36話  唯一の本物

<七下 莉玖>



『私は悪くないですよ!!大体キモいじゃないですか!!兄弟で恋愛なんて先生は納得できるんですか!?』



そんな爆弾を親の前で投げかけられた時、世界が一瞬で停止したような錯覚に陥った。


次第にその子のお母さんが申し訳ございませんと両親に何度も謝ってはいたけど、聞き捨てられない言葉を聞いてしまった両親はそのまま固まって、しばらく何も言わなかった。


どんな思いであの時間を過ごしたのか、分からない。


ただ、向こうに非があるとはいえ私も一応は暴力を振るったので、停学処置を免れないと言われたことだけは、何となく耳に入っていた。それ以外、一切の声が私の耳から遮断されていた。


すべてが、終わってしまった。



「……帰るぞ」

「ほら、莉玖」



両親の顔もまともに見れず、私はただただ俯いて、罪人のような気持ちで家に帰った。帰り際にずっと続いた沈黙が体にのしかかって、息ができなくなりそうだった。


そして、家に帰った後。


すぐに玄関の前に出た兄を相手に、お義父さんは苦々しい口調でこう言った。



「秋、話がある」

「……ああ」



まるで、この状況を予測していたかのような兄さんの薄い反応。


それからは、すべてがあっという間だった。気が付けば私と兄さんは両親の前で跪いていて、両親はため息をつきながら胡坐をかいている。


先に口を開いたのは、お義父さんの方だった。



「……一応、確認したいのだが」

「ああ」

「秋、お前は莉玖と……付き合っているのか?」



心臓をぶっ刺してくるような刺々しい質問の刃。


兄さんはしばらく間を置いてから、ゆっくりと肯いた。



「……ああ、付き合っているような関係だよ」

「………………………そんな」

「………………いつからだ?」



ただの恋人なんかじゃない。


恋人という単語で表すには、あまりにも愛が大きい。穏やかに流れるような愛じゃなくて、抱えきれなくて飲み込まれてしまいそうな洪水の愛だ。そんな甘ったるい単語は、私たちの間を定義づけてくれない。


……でも、こんなことを両親に言うのは火に油を注ぐもの。私は黙って、兄さんの言葉を待つ。



「付き合い始めたのは、約1年前で……一度別れてから、よりを戻すことになった」

「一度別れたと?何が原因で?」

「………………こうなるのが怖かったからね」



兄さんの答えで、ただでさえ重たかった沈黙がその重さを増す。


項垂れているせいで床だけが映る視線の端っこに、膝に置かれた兄さんの手が震えているのが分かった。



「いつからだったの?」

「……はい?」

「いつから、秋君と莉玖はそういう気持ちを抱くようになったの?最初から?」

「………………それは」

「いいから、すべて言ってみなさい。これはもうあなたたち二人の問題ではない。これは、家族の問題なの」



嗜むようなお母さんの声に、ビクッと肩が震えた。


そう、バレたからには私たち二人で抱えきれるはずがない。順を辿るとしたら、元々はお母さんたちにちゃんと報告するべきだったのだ。だけど、怖くて言い出せなかっただけで。


……そして、今も私は怖い。怖くて、心臓がはち切れそうで、目尻に涙が溜まって行くのが分かる。


お母さんが、再婚したことを後悔するかもしれないという事実が怖い。穏やかな家庭が、私の衝動のせいで壊れてしまうんじゃないかという不安が私を狂わせる。


でも、こんな場面でさえも私は、兄さんと離れ離れになるのがもっとも怖かった。



「二人とも、ほぼ初めて会った時から、惹かれ合っていました」

「……なるほど、つまりあなたたちはほとんど一目惚れ、というわけね」

「…………はい」

「莉玖、顔を上げなさい」

「……………………っ」

「いつまで秋君の背中に隠れているつもり?これは、あなたの問題でもあるのよ。早く顔を上げなさい」



……言われた通り顔を上げると、私の顔を見たお義父さんは目を見開き、お母さんは目を細めて私を見つめていた。



「なんで、先に教えてくれなかったのかしら」

「………………それは」

「……どうりで、最近のあなたたちの様子が変だったわね。莉玖はずっと泣いているように見えたし、秋君はずっと落ち込んでいるように見えたから」

「……………母さん」

「はあ…………」



私が何とも答えないでいると、お母さんは深いため息をついた後、再び兄さんに向き直った。



「秋君」

「はい」

「正直、私はあななたちの交際に反対よ」

「――――っ!」



咄嗟に目が見開かれて、私は拳をぎゅっと握りながらお母さんに目を向ける。


そんな私を流し目で確かめてもなお、お母さんの表情には揺るぎがなかった。



「あなたたちはまだ幼い高校生なの。そんな時に過ちを犯すことなんて、何も不思議な事ではないわ。恋愛だって自由にできると思うの。ただし、あなたたちは兄弟なのよ?もし別れてしまったらどうするつもり?」

「………それは」

「たぶん、あなたたちが別れたのって先月辺りかしら。その時に家の雰囲気がどうなっていたと思う?ずっと沈んでいて窮屈で、健一けんいちさんとも何度か話し合ったくらいなのよ?正直、あの頃も二人の間で何かあるんじゃないかと予想はしていたけど、ありえないことだと思ってあえて考えていなかったわ」

「…………………」

「秋君、あなたは17歳で、莉玖は16歳よ。あなたたちは、あまりにも幼過ぎる。あなたたちの恋は、あまりにも衝動的で突発的なものだわ。それに、あなたたちは書類上では確かな兄弟仲だし……二人のこれからを考えても、この交際に賛成はできないの」



そして、そんなお母さんの言葉に釘を刺すように、お義父さんが言う。



「僕も同感だ。秋、莉玖、君たちのその感情は一時の過ちに過ぎない」

「………………………………………………………」

「今すぐ、二人には別れてもらおう」



言葉の棘が全身に刺さって、動けなくなる。


ただただ、私は思っていた。いや、感じていた。心の底から湧いてくる怒りと悔しさを噛みしめていた。


…………なんで。


なんで、なんでそう言い切れるの?一時の過ち?過ち?これが、この恋が?兄さんに対するこの愛が、過ち?


冗談じゃない。そんなの、冗談じゃないよ。なんでそんな風に言うの?兄弟だから?なんで、なんで兄弟だからといって、この愛も否定されなきゃいけないの?


こんなに好きなのに。


こんなに、こんなにも好きなのになんで、なんで否定されなきゃいけないのよ。なんで過ちと見なされなきゃいけないの?分からない。これは本物なのに。


この愛が、この愛こそが私の人生の唯一の本物なのに……!!!


納得できない。こんなの、絶対に許せない。許すもんか!!!



「違うよ、お義父さん、お母さん。私は―――!!」

「二人のご意見は、ちゃんと分かりました」



感情が爆発して思わず大声を出しそうになった時に、ふと兄さんの落ち着いた声が、私の熱を凍らせる。


涙が溜まった目で、私は兄の横顔を見つめた。兄さんは俯いたまま真剣な口調で言った後、顔を上げて―――



「でも、申し訳ございません。莉玖と別れることは、できません」



そんな、両親の志向に正反対な答えを出しながら、覚悟を固めていた。

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