43話  楽園

<七下 莉玖>



市内にあるホテルに徒歩で向かいながら、私は美紀からの電話に出ていた。



「うん、美紀?」

『あなたね…少しはチャット見てよね?』

「うん?チャット?」

『そうだよ。さっき送ったじゃない』

「あ……ごめんね。今日はちょっと色々あって」

『うん?色々って?家に引きこもってるんじゃないの?』

「えっと………………」



どうやって答えればいいのかな。


美紀に駆け落ちの件を教えたい思いと、私と兄さんの二人だけの秘密にしたい思いがせめぎ合う。隣を歩いている兄さんを見上げると、兄さんは淡く微笑みながら肯いてきた。


たぶん、兄さんは私が何を言いたいのかを察したんだろう。


……本当に、ずるい人。



「今、兄さんといるの……」

『うん?そりゃ学校終わったから当たり前じゃん』

「そうじゃなくて、えっと……ちょっと遠くまで来ちゃったというか」

『えっ』



間の抜けた声が響いた後、美紀は次に大きな声で叫んできた。



『ま、ままままさか駆け落ち!?!?』

「ひゃっ……!耳痛いよ。なんでそんなに叫ぶの」

『いやいや、マジで?マジで!?』

「…………そうです。絶賛家出中です」

『いや、ヤバいって!莉玖、あんた停学中でしょ?もし学校の人に見つかったらどうすんのよ!?』

「………そっか、そうだね」

『いやいや、そんなにあっさり流されても困るんだけど!?』



そういえば、そうだった。私、停学処分受けてるんだっけ。おまけに来週の週明けにはテストも控えているし、なのに今兄さんと夜の街を歩いている。


……不良になったな、私。あはっ……。



『はああ……莉玖、少しは自覚持ってよ。あんた、ただでさえ目立つんだから通報される可能性だってあるんだよ?』

「美紀って、やっぱり常識的な人だよね」

『常識的だったら莉玖と友達になんてならなかったから。ふう……寝るのはどうするの?お金、持ってる?』

「えっと……今日のところはまだ大丈夫かも」

『明日からは?』

「……………なんとかなる、と思う……」

『……莉玖?』



瞬間、美紀が思いっきりドスの効いた声を出してきて、思わずびっくりしてしまった。こんなに怒っている美紀の声は初めて見たかも……。



『はああ……道端で野宿するくらいなら、いっそのことウチに来なよ』

「えっ、美紀の家?」

『そうそう、ウチの父さん、今出張中だから。家は空いてるよ?』

「そっか」



確か、美紀の家は父子家庭だった。小さい頃にご両親が離婚して、美紀は経済的に余裕があるお父さんと一緒に住むことになってたっけ。


でも、美紀の家か……どうしようかな。私は重々しく間を置いてると、美紀が何気ない口調でそっと付け足してくる。



『まあ、必ず来いというわけではないからさ。でも、報告だけはちゃんとしてよね?けっこうマジで心配だから』

「ふふっ、美紀は私のお母さんなの?」

『おばさんに失礼だと思わんのか!はあ……おばさんにどんな顔して挨拶すればいいのよ、もう……』

「ごめんね。でも、ありがとう。前向きに検討させていただきます」

『はい、はい……後でまたチャットするから、見てよね?』

「うん、ありがとう」



電話を切ると、私たちはいつの間にかラブホがたくさん並んでいる街に来ていた。ずっと私の左手を握っていた兄さんは口角を上げたまま、優しく聞いてくる。



「池田が自分の家に来いって?」

「はい、野宿するくらいならちゃんと来なさいって」

「……そっか。本当、池田には感謝しかないな」

「そうですね」



人が生きるために必要なのはたぶん、他人からの共感だと思う。


私の抱いている感情に共感して、応援してくれる人。美紀は今も、私たちに色々なことをしてくれているのだろう。



「とりあえず、入ろっか」

「……………はい」



砂浜でパラソルを差していた時にあらかじめ調べてくれたらしく、兄さんは少し古ぼけたホテルの前に立って、入口のドアに手をつけた。



「この部屋でいい?」

「はい」



今日に限って、料金表の数字がやたら大きく見える。


私たち二人とも、それなりにお小遣いをもらっているのでお金はそこまで気にしてなかったけど、改めて現実を直視したらしみじみと感じる。私たちの両親は、本当に私たちを大切にしてくれたという事実を。


帰りが遅いから一緒にいる時間が足りない分、お金でせめての愛を伝えようとしていたんだと思う。


そんな両親を裏切って、気持ちが晴れるわけがない。それでも、私たちはここまで来てしまった。


エレベーターに乗って、天井で設置されているカメラをぼんやりと見上げた。私たちが手を繋いでいる場面が漏れなく取られている。



「……兄さん」



それが、嫌だった。


ただ愛し合えるよう、放っておいて欲しかった。私に向けられる他人の視線は、ただのウザったい偏見に満ちていたから。



「………私、欲しいです」



そんな簡単な行為に誰かからの許可が必要なんて、間違っている。


ホテルの部屋に入った途端、靴も脱がずに私は兄さんに抱き着く。キスをして、首筋に顔を埋めてチロチロと舐めて、離れんばかりに兄さんを抱きしめる。


この複雑な世の中が、嫌いだ。


色々な要素が絡み合って、それに全部気を配らなければいけない世の中が、嫌いだ。だから、逃げた。逃げるしかなかった。


この小さなラブホの一室は、私たちのための楽園。


この先何が待ち構えていようとも、この時間の濃度が薄れることはない。




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いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。


突然の話ですが、パソコンが壊れてしまってストック分が全部吹っ飛んでしまいました……地道にバックアップをしてなかった報いが来たのかもしれませんね(´;ω;`)


というわけで、申し訳ございませんが残りの分のアップロードは来週の月曜日、すなわち13日から上げることにします。この物語も思いっきり終盤まで来てしまったので、たぶん来週あたりで終わりかなと思っております。


改めて皆様、お読みいただきありがとうございます。よい一日をお過ごしください。

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