6話 妹の言いなり
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「兄さん、ちょっといいですか?」
「……えっ」
ヘッドホン越しに聞こえてくる妹の声に、思わず肩がビクンと跳ね上がった。
昼間にあんなことがあったのに、なんで突然………?
「ああ、今開ける」
ヘッドホンを外して机に置き、僕は直ちに立ち上がってドアを開けた。
すると、昼間とは違って少し目元が腫れ上がっている妹の顔が目に映った。真っ白な紙に赤い線を一つ引いたような感覚だった。
自分がそうさせたんだと思うと、胸が苦しくなってくる。
相変わらず警戒心の欠片もない薄着で、
「……どうしたの?急に」
「いえ、ちょっと話したいことがありまして」
その言葉を聞いた途端に、体中に緊張が走った。
話したいこと?今さら……?昔からそうだったけど、僕には莉玖が何を考えているのかよく分からない。
莉玖から感じられたのは、溺れそうなほど膨大な愛だけだった。でも、少なくとも今の莉玖にそんな兆しは見えない。
「うん、なんでもいいよ」
「……どんな音楽ですか?」
「え?」
「さっきまでヘッドホン付けてたじゃないですか。どんな音楽ですか?」
「………ポスト・マローンのステイ」
「別れの歌ですか?」
「そうかも」
僕のために無理しないでくれ。君の苦しみを和らげてあげる。
サビの前にそんな歌詞があって、気付いたら聞き入っていた曲だった。何故か、その歌詞が今の僕と莉玖の関係を表しているようで。
莉玖の視線は冷たい。昼間とは打って変わって腫れぼったい目で、僕をジッと見つめている。
「兄さん、言いましたよね」
「なにを?」
「私が兄さんを許さない限り、絶対に幸せにはならないと」
「………ああ」
「それと、私にどんな仕打ちを受けても、甘んじて受け入れると」
「確かにね」
「その言葉に、ウソはありませんよね?」
「うん、誓いだから」
「…………兄さんの誓いは、信用なりませんが」
莉玖は急に立ち上がり、机の椅子に座っている僕にゆっくりと近づいてくる。
ビックリして、僕は呆けたままそんな妹を見上げていた。あっという間に莉玖は僕の前に立って、柔らかい動きでゆっくりと手を差し伸べてくる。
「り………く」
「………兄さん」
真っ白で長い指が頬に触れて、電流でも走ったかのように背筋がビクッと震える。
顔と顔が近い。もう少し身を屈めばキスまでできそうな距離で、莉玖はしっとりした赤い目で僕を捉えていた。義理とはいえ、兄弟にはあるまじき近さに目が自然と見開かれる。
まさか、という単語が頭をよぎって。
このまま、莉玖にキスでもされたら―――
「大嫌いです」
「………………ぁ」
「………何を、呆けているのですか?今更、私がキスしたり襲ったりするとでも思ってたのですか?勘違いしないでください。自惚れも、そこまで行ったら天才的ですね。別れた元カレにそんなことをするなんて、生理的に無理です」
「……………そ、そう」
ふぅうう………ああ、ふぅうう………。
………くそ。
「……話を戻しますけど、さっき兄さんも言いましたよね?わたしにどんなことされても、受け入れるって」
「うん。そのつもりでいるよ」
「……そうですか。なら、兄さんは私の言いなりってことですよね」
「え?」
「違いますか?私が兄さんにどんな意地悪をして、どんな酷いことをしても、兄さんは黙って耐えるしかないのです。それとも、その誓いでさえウソだと言うつもりですか?」
おぼろげな頭の中で、ふと確かなものが刺さったような感覚にハッと目を覚ます。
そっか、僕の言葉はそんな風にも捉えられるのか………って、なにバカな事言ってたんだ、7時間前の僕は。
………と言っても、一度吐いた言葉を無下にするつもりはなかった。莉玖にはもう、数えきれないくらいのウソをついてしまったから。
愛してるって言葉も、好きって感情も、ずっと一緒にいるって誓ったその瞬間も、僕が全部ウソにしたのだ。
「………いや、莉玖の言う通りだよ。莉玖がどんなことをしようが、僕は抵抗しない」
「……危ない発言をしているってこと、ちゃんと自覚してますか?兄さん」
「驚いたな。莉玖がまだ僕に遠慮するなんて」
莉玖のしれっとしていた表情が、一瞬にして怒りへと変わる。
お互いの息遣いまで届きそうな距離で、僕たちはジッとお互いを見つめた。莉玖は間もなくもう片方の手でも僕の頬を捕まえて、唇をぶるぶる震わせている。
……本当に、好きだった。
この刺激的に立ち込んでいる香りも、感情を湛える時に一気に光り出す目も、全部好きだった。今も、好きだ。
だから、僕は莉玖にウソがつけない。
「………えん、りょ?遠慮?ふざけないでください」
「莉玖……」
「私は、あなたを一生呪います。一生、あなたに付きまとって離れない疫病神になってあげますから。私があなたを気にかけていたなんて、そんなバカなこと言わないでください」
「………………」
「……いいでしょう。罰を受けると言ったのはあなたですから、しっかりと私の操り人形になってもらいます。これから兄さんは、兄さんのすべては、私の物です」
「……えっ?」
「………………勘違い、しないでください。そんな意味じゃありませんから」
ひゅっと音が出るくらい体を引いて、莉玖は未だに唇を震わせながら座っている僕を見下ろしていた。
何度も深呼吸をして平静を取り戻してからようやく、莉玖の赤い目に炎がなくなっていく。
「……………残念でしたね、兄さん」
「……何が?」
「私みたいな、重い女に引っかかってしまって」
「…………………………」
それだけ言い残して、莉玖はさっさと僕の部屋から出て行った。返事をするも前に、僕の妹は姿を消した。
夢のような香りと声色が消え、僕はため息をつきながらがくっと俯く。
………最悪だ。
「……はっ、ははっ」
……操り人形。莉玖のいいなりか。本当に、つくづく自分は最悪の人間だと実感してしまう。
頭ではヤバいと、莉玖に離れた方がいいと唱えているのに。
こんな形でも莉玖と一緒にいられると思ったら、最高に幸せになってしまうから。
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