5話 約束を果たしましょう
「ずっと忙しかったでしょう? 食事を満足に楽しむ余裕もなかったんじゃないかと思って、作ったの」
フィリアは、かごの中からサンドイッチや果物、お菓子を次々に敷き布の上に広げていく。
あの日の約束を果たそうと湖へと誘ったのは、リガルドだった。けれど、いざ気持ちを伝えようと思うもなかなか切り出せないまま、時間だけが過ぎていく。
どこかぎこちない空気の中、リガルドが問いかける。
「そういえばあのペンダント、いつのまに用意していたんだ?あれほど武器は隠し持つなと念押ししたのに」
痛いところを突かれたとばかりに、フィリアは焦った表情を浮かべた。
「あ、あれはあくまで護身用で! それにあのおかげでイリスの動きを封じることができたし」
慌ててそう言い訳すると、リガルドがおかしそうに笑った。
「いや、冗談だ。驚きはしたが、君らしい」
そう言って言葉を切り、ふと真顔になる。
「……フィリア、ちゃんと話さなければと思いながら、つい先延ばしにしていた。済まない」
リガルドが視線を遠くに向けながら、ぽつりぽつりと話し出す。
「屋敷を出て行くんだな。……早くに手放してやれなくて悪かった。ダレンとの養子縁組手続きも無事終わったことだし、好きな時に出て行くといい」
リガルドの横顔に、苦しみの感情がのぞいた。
その表情に、フィリアはうつむく。
「リガルド……。今まで私をずっと見守ってくれて大切にしてくれたこと、本当にありがとう。ずっと見ていてくれたんでしょう? ……嬉しかった。本当に」
心からそう感謝を伝えるフィリアに、リガルドは無言で首を振る。
そしてしばしの沈黙の後、リガルドはフィリアの顔をまっすぐに見つめそっと手を取った。
真剣な眼差しが、フィリアをとらえる。
「君に伝えたいことがあるんだ。どうしても、君がいなくなる前に伝えたい。聞いてくれるか? フィリア」
フィリアはその目の強さに押されるようにうなずき、と同時に握られた手がかすかに震えていることに気づいて、心が揺れた。
「フィリア、……君をずっと愛してきた。初めて会った時から、妹じゃないと知る前からずっと愛してきた」
リガルドを、フィリアは信じられない気持ちで見やった。
「本当は、君を手放したくない。どこにも行ってほしくないんだ。屋敷から君が逃げ出したあの時、君を見送るしかなかった。でもやっとこれで君を手放さずにそばにいられると思ったんだ。なのに……」
吐き出すようにそう言うと、リガルドは自嘲するように笑った。
「でも、先に進もうとしている君の邪魔はしたくない。最後くらい君の背中を押してやりたい。もう何もしてやれなくても、せめて気持ちよく見送って……」
「待って! リガルド。私の話も聞いて!」
気がつけば、フィリアはリガルドの言葉を遮っていた。
驚いたように目を見張るリガルドに、フィリアは握られた手をそっと握り返す。
「私……こんなに優しくしてくれるのは、私が妹だからだと思ってた。でも……そうじゃないの? 妹だからじゃなくて、本当に私を……?」
震える声で尋ねる。
「ああ、本当だ。愛している、心から。本当は手放したくないし、誰にも渡したくない」
本心からの言葉であることは、その真摯な目と揺るぎない声が物語っていた。
そのことに気付いて、フィリアの目に薄っすらと膜がかかる。
「……私、お屋敷での暮らしはとても辛くて寂しかったけど、いつもリガルドに救われてた。そして気づいたら好きになってた。でも実の兄にこんな気持ち抱いちゃいけないって、必死に気持ちに蓋をしてた。でも婚約が決まってどうして耐えられなくて、逃げ出したの」
リガルドはじっと耳を傾けたまま、身じろぎひとつしない。
「でも今なら分かる。本当に逃げたかったのは、リガルドを好きになった罪悪感からだったんだって。だから男の格好をして結婚なんてしないって言い張ってたの。……私も、リガルドのことがずっと好きだった。きっと初めて出会った時から」
きっとダレンにはそんな気持ちはお見通しだったのだろう。だからあんなに、男の格好をやめて女性に戻れといっていたに違いない。
フィリアは小さく笑った。
「私たち、ずっと思い合っていたのね。そんなこと、想像もしてなかった。だってリガルドはずっと兄でいようとしてくれていたから」
フィリアの言葉に、リガルドは頭を振る。
「必死だったんだ。兄でないことが分かれば、きっと君は離れていくと思っていたから。それに兄でいてやりたいと思ったのも、嘘じゃないんだ。……でも、本当なのか?本当に君は、私を……」
リガルドの目が不安そうに揺れている。
リガルドもまた、愛されていたなんて思いもしなかったのだろう。けれど、兄としてずっと大切に思い続けてくれていたその思いの深さとひたむきさに胸が詰まる。
「本当よ。兄としてじゃなく、一人の男性として愛してる」
そう言い切ったフィリアの言葉に、リガルドの目が潤んだ。そして、リガルドは意を決したように口を開いた。
「私と結婚してくれないか、フィリア」
フィリアは、息を呑んだ。
「私は君を幸せにしたい。どんなことからも守ってやりたいし、私にできることはすべて……」
フィリアはリガルドの言葉を遮った。
「待って、リガルド。私の思い描く幸せは、誰かに守ってもらうものじゃなくて、一緒に作り上げていくものなの。誰かに用意してもらった場所でぬくぬくと幸せになりたいわけじゃない。……リガルドはどう?」
その言葉に、リガルドはショックを受けていた。
「私は……君を幸せにしたい」
そうつぶやくものの、リガルドは果たして自分がフィリアにしてきたことを思い返し、それは本当にフィリアのためだったのかと振り返る。
「過保護なんだと思ってた。妹かわいさに、償いの気持ちもあって過保護になってるんだろうって。……でも私はリガルドとこれからも一緒にいるのなら、そんなのは嫌。言ったでしょう?隣に立ちたいんだって。私もあなたの役に立ちたいし、あなたを幸せにしたい。あなたと一緒に歩めるのなら、二人の幸せは二人で作っていきたいの」
リガルドは、目を伏せた。
自分の愚かさに、未熟さに雷に打たれたような気持だった。
「できる、だろうか。不安なんだ。君をいつまた失うんじゃないかと思うと、いくら何をしても足りない。足りないんだ」
フィリアは、ふとマダムの言葉を思い出した。
こんなに執着が強くて独占欲が強い男は苦労すると言っていたっけ。
フィリアは小さく笑う。
「執着心と独占欲の強さはきっと、生まれつきね。でも……それは言いかえれば、愛情の深さだもの。嬉しいよ、そんなに思ってもらえるのは。私はね、そのままのリガルドが好きなの。誰よりもとびきり優しくて不器用で、本当は感情豊かなくせにちっとも表情にも出なくて。……そんなあなたが好き」
フィリアはそっと握っていた手をほどき、そっとリガルドの頬に当てた。そのあたたかな熱を感じながら、微笑む。
「私の気持ちを、愛しているって言葉を信じてほしい。お互いに同じ時間ずっと同じようにお互いのことを思ってきたのよ。その気持ちは、そんなに簡単に消えてしまうものじゃないでしょう? きっと私たちには必要な遠回りだったの。これまでリガルドが私のためにしてきてくれたことも、私がしてきたこともきっと無駄じゃない。そうは思わない?」
その言葉はリガルドの揺れていた心に、ゆっくりと染みわたっていく。
間違いもした。空回りもした。嘘もついた。後悔もした。けれどそのすべては無駄ではなくて、必要な遠回りだったのだとフィリアは言う。その言葉を、信じられる気がした。
そしてそのままの自分が好きだと言ってくれたフィリアの心が、リガルドの頑なだった心を溶かしていく。
リガルドは顔を上げ、フィリアを抱きしめた。そっと壊れ物を抱くように、でもしっかりと。
「フィリア、愛してる。私のすべてで愛している。……だから私と一緒に歩いてくれないか。この先の未来、私の隣で。そして、一緒に世界で一番あたたかな場所を君と作りたい。私と結婚してくれ、フィリア」
もうリガルドの表情に迷いはなかった。まっすぐどこまでもひたむきな思いが、フィリアにも伝わる。
もう、言葉は必要なかった。
「はい……、喜んで」
そっと抱き合う二人のまわりを、爽やかな風がふわりと吹き渡り優しくなでていった。
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