3話 アドリアとの再会
頭まですっぽりと厚い外套に身を包み、アドリアは寂れた教会の中で一人立っていた。
ぎこちない当たり障りのないやり取りのあと、アドリアが言った。
「見ての通り、お腹に子どもがいるの」
手のひらをそっと大事そうにお腹に当て柔らかく微笑むその姿は、リガルドの知っているアドリアとは別人のようだった。表情も以前よりずっと柔らかく、落ち着いて見える。
「この子がいるとわかった時、ようやく目が覚めたの。私が母にまったく愛されていなかったんだってことが、よく分かったわ。あの人が愛しているのは自分自身とお金だけ。私のことなんてどうだって良かったのよ」
アドリアはそう言って外套のフードを下ろし、まっすぐにリガルドと視線を合わせた。
「あの頃はごめんなさい。あなたにもフィリアにも本当に悪いことをしたわ。私は最低の人間だった。あの母とそっくりな」
思いもかけない言葉に、リガルドは目を見開いた。あのアドリアが誰かに謝罪するなど、想像もつかなかったから。
「あの子、今ノートン家のお屋敷にいるんでしょう? 母はもう勘付いてるわ。……この前会った時にそう言っていたから」
「会ったのか、イリスに。いつだ。他に何を言っていた?」
思わずつかみかかりそうな勢いで問い質す。
「……全部話すわ。協力もする。母を、いえイリスを捕まえてちょうだい。あの人を止めないと、フィリアもあなたもきっといつかひどい目にあうわ。だからあなたの手で、終わらせて」
「それでいいのか……? 母親を売るような真似をして。ただでは済まないかもしれないんだぞ」
アドリアがどこまで知っているのかはわからないが、誘拐を計画していることは理解しているはずだ。母親が罪に問われても仕方ないと考えているのか。
リガルドは、アドリアから感情を読み取ろうとうかがう。
「私は、お腹の子に恥ずかしくない母親になりたいの。母のようにはなりたくない。娘を捨てて逃げ出すような母親には。それに……罪は償うべきよ。そうでしょう?」
アドリアの真っ直ぐな目が、リガルドをとらえた。その目に偽りは見えない。
「だから私にも償わせて。必要なら私を利用してくれて構わない。私が手を貸すふりをすれば、イリスは油断するはずだから」
しばし逡巡したのち、リガルドは心を決めた。
「……分かった。君を信じよう」
味方は一人でも多いほうがいいのだ。リガルドの目から見て、今のアドリアは信用に足ると思えた。
「ありがとう。……それと、あなたにいつかまた会えたら言いたかったことがあるのよ」
「……何だ?」
それでもつい警戒の色を浮かべて聞き返したリガルドに、アドリアはふふっ、と小さく笑い声を立てて言った。
「ありがとう、私を夫に出会わせてくれて。もっと悪条件な嫁ぎ先なんて他にもあったでしょうに、あんな良い所へ嫁がせてくれたんだもの。あなたはお人好しね」
アドリアの嫁ぎ先は、金はそこそこあるがばっとしない十五も年上の商家だった。
人柄に問題はなくそれほど苦労もしないだろうが、貴族ですらないあの男は、あの頃のアドリアがうなずくような縁組では決してなかった。
だからきっと恨んでいるだろうと思っていた。
意外そうな表情を浮かべるリガルドに、アドリアはおかしそうに口元を歪めた。
「いい人よ、夫は。見た目はまぁ平凡だけど、でも私にとっては唯一の人なの。……だって、母親にも愛されなかった私を生まれてはじめて愛してくれたんだもの。おかげで愛されるってことが、こんなに心が深く満たされるものなんだって初めて知ったわ」
そう言って微笑むアドリアは、とても穏やかで幸せそうだった。
意図したことではないとはいえ、自分のしたことの結果がアドリアを救い、巡り巡ってそれがフィリアを助けることになるとは不思議な巡り合わせだと思った。
「……そうか。そういう、ものか。幸せなら、良かった」
母から受けた愛以外は知らず育った自分には、心が深く満たされる愛も愛される喜びも今では遠く感じる。
少しだけ、アドリアがうらやましいと思った。
「ええ、とても。あなたのおかげよ。本当にありがとう。心から感謝してる。そして……フィリアには心から申し訳ないと思っているわ。……あの子は今幸せそう?」
そう聞かれて、すっと体温が下がった気がした。
(幸せ、と言えるんだろうか。穏やかに笑ってはいるが、本当に幸せなら出ていくなど……)
リガルドは答えることができないでいた。
その様子に、アドリアの表情になんとも言えない心配げな色が浮かんだ。
「あの子にも幸せになってほしいと思ってる。私と母が苦しめた分も。私にこんなこと言えた義理はないけど。……あの子に伝えて。ひどいことをして、本当にごめんなさいって。あなたとリガルドのためなら、何でも協力するって」
そう言ってアドリアは去っていった。
その後のヨークからの報告でも、アドリアが嘘をついていないことは確かだった。
だが、リガルドは今もアドリアからの伝言をフィリアに伝えられないままだ。
そしてフィリアとはほとんどまともに口を聞くこともなく、その時は刻々と近づいていたのだった。
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