2話 ヨークとの密談
ヨークは人の良さそうな顔に抜け目ない鋭い色を浮かべ、テーブルの上に手紙を置いた。
「教会へは、こっちの人間を張りこませるよ。もちろん見つかるような動きはしないから、ご心配なく。罠かもしれないからね。アドリアの周辺についても、こっちで調べておく」
この男がルノ公爵家の密偵だとダレンから知らされていなければ、ただの劇場の副支配人と信じて疑いもしなかっただろう。そのくらい、ヨークの擬態は見事だった。その外見も含めて。
リガルドは、ヨークを驚きと感嘆を込めて見やった。
目の前の男は、どこから見ても仕事もせず昼間からその辺をうろつく商家の風来坊そのものだった。
劇場を優雅に歩くヨークと髪色と顔は同じなのに、服装や歩き方、表情までもガラリと違うのだ。それだけでまったくの別人に見える。
この男と副支配人とが同一人物であると気づく者は、おそらくいないだろう。
ルノ公爵家が古くから王家の影の仕事を担っている一族であるという噂は、聞いたことがあった。が、それが真実で、しかもこれほどの能力の人間を揃えているとは。
もっとも一番恐ろしいのは、そんな公爵家当主と顔馴染みであるというダレンの影響力ではあるのだが。つくづくフィリアは、すごい男を味方につけたものだ。
「お力添え、感謝します。その首謀者の貴族と支配人、バッカードの動きについてどこまで調べがついているのかお尋ねしても?」
「あぁ。まぁ首謀者の貴族の名は明かせないんだけど。その男はある目的を持って、いわゆる性的な意味での人身売買を首謀してる。支配人は金が目当て、バッカードは快楽目的ってとこだろうね。バッカードは、人が絶望の中でもだえ苦しみながら壊れていくのを見るのが趣味の男だから」
ヨークの任は、あの劇場で行われている人身売買の現場を押さえ、その首謀者たちを秘密裏に捕えることである。
リガルドは、その一味であるバッカードと手を組んだイリスの企みを止めるためにヨークに協力を申し出た。つまり、気づけば王命に手を貸す羽目になっていたわけだが、その結果としてフィリアを守れるのであれば、ヨークのような男の力を借りれるのはありがたい。
人身売買は重罪だ。が、その影の首謀者が高位の貴族となれば、その目的はただの金ではなく恐らくは権力がらみだろう。あえて性を目的とした人身売買に限るのは、より顧客の秘密、つまり弱みを握り、自在に操るために違いない。
リガルドにとって、その貴族の男が何者であるのかは特段興味もない。が、王命が出ているということは、少なくとも国の中枢に近い立場の家ではあるのだろう。
(そんなだいそれた事件に巻き込まれていたとは、面倒だな。道理でやすやすと情報がつかめないわけだ)
もっと早くにダレンの助力を仰ぐべきだったと、心の内で舌打ちするリガルドである。
「多分イリスは、君を餌にしてバッカードに取り入ったんじゃないかな。貴族には女より男の方を好む連中が多いからね。君くらい見目麗しければ、いい買値が付くだろうし」
なんとも笑えない話に、フィリアが狙われるよりマシとはいえぞっとする。が、いかにもイリスの考えそうなことだ。
思わず、口から嫌悪のため息がついて出た。
「この件は、フィリアには絶対に気づかれたくないのです。怖がらせたくありませんから。ですから」
「分かってるよ。大事な妹なんでしょう?」
その言い方に含みを感じて、リガルドはヨークをじろりと見る。
ヨークはその視線をニヤリと笑って受け流すと劇場の見取り図をテーブルに広げた。
「取引はいつもここ、劇場地下の稽古場で行われる。支配人とバッカードが立ち会い、客が希望の品を競り落とすんだよ。顧客は皆上位貴族ばかりだから、本人が買付に姿を見せることはまぁほぼないけど」
「王家も訪れるこの国随一の劇場でそんな取引が行われていることがもし明るみに出れば、とんでもない醜聞ですね」
「その通り。だからルノ公爵家に密命が下ったんだよ。この事件のすべては秘密裏に処理される。一連の者たちの首も含めてね」
そう言うと、ヨークはちらりとリガルドと視線を合わせた。
それはイリスの首も含めてだがいいな、という意味だろうとリガルドは理解した。正直リガルドにとって、イリスがどうなろうと知ったことではない。
「理解しております。私はフィリアさえ守れるならそれで充分ですから」
「それを聞いて安心したよ。近々の取引は、今週土曜の深夜だ。そこで君にも協力してもらって捕まえてもいいんだけど、できたらもう少し大物の客が来るときにしたいんだよね。いい見せしめにもなるし」
にこにこと人懐っこい笑顔を見せながら、言っていることはなかなかに冷酷だ。
「……ああ、それと君。娼館の女主人と会っていたようだけどあれは無関係だよ。ただの噂。……でもまあ、多分色々と裏を知ってはいるだろうけどね。少なくとも敵ではない」
リガルドがバッカードと関係があるとみた自分は、見当違いだったというわけだ。
今となっては、あの香水の一件が遠い昔の出来事のようだ。
フィリアがあの女を恋人だ勘違いしていると知ったのは、劇場から帰ってからのこと。まさかあの子がそんな勘違いをしていることに驚きもしたし、どこか嬉しくも感じた。明らかにあれは、嫉妬と呼べる態度だったから。
(あんな劇を観に行くんじゃなかったな。あの日あんな場所へ誘わなければ、あの子は婚約なんて言い出さなかったのかもしれない……)
気づけばまたフィリアに思いは飛んでいく。
(あぁ、もう。しっかりしろ! あの子の身の安全が先だ)
そんなリガルドの様子に、ヨークは密かに苦笑いを浮かべるのだった。
「じゃあ落ち合う日程が決まったら、また連絡をくれ。それと君の大事な妹には、こちらからも見張りをつける。正直こっちとしては王命が最優先だけど、君の妹に何かあったら君に殺されそうだし」
「……わかりました。妹の件も、感謝します」
恐ろしく切れる男には違いないが、どうにも食えないなと眉をひそめるリガルドだった。
リガルドが町外れの教会へと向かったのは、その二日後だった。
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