4話 過去とさよなら
それから数日が過ぎ、フィリアはリガルドとともに王宮へと馬車で向かっていた。
「本当の黒幕だった貴族の男も、あの日別動隊が確保したそうだ。それと支配人とバッカード、イリスの処刑は明後日だそうだ。……フィリア、本当にイリスに会うのか?」
フィリアは向かいに座るリガルドとは目を合わせないまま、うなずいた。
正直な気持ちを言えば、会いたくない気持ちもある。けれどこの機会を逃したら、もうイリスに言いたいことも言う機会はないのだ。なにせこの世から永遠にいなくなるのだから。
本当はひとりで立ち向かうべきなのかもしれないけれど、どこかまだひるんでしまう弱い自分がいる。でも隣にリガルドがいてくれる。
(大丈夫。ちゃんと終わりにできる……。ちゃんと終わらせよう)
馬車が王宮の西にある建物へと到着する。
飾り気のない無骨なその建物は、重罪を犯した貴族や要人たちを一時監禁しておくための牢屋だった。
冷え冷えとしたその階段をゆっくりと降りていくと、湿ったかび臭い空気の中に少し生臭い汗と血の匂いが混じっていることに気がつく。
思わず体をぎゅっと抱きしめると、リガルドが手を握ってくれ、そのあたたかさに励まされるように一番奥の地下牢へと進んでいく。
「イリス……」
頑丈な檻の中に閉じ込められたイリスは、どこか虚ろで狂気に満ちていて、空気の抜けた風船のような頼りなさを醸し出していた。
厳しい尋問の痕だろうか、腕や顔に赤黒い染みのようなものが見える。
「……何よ、何しに来たのよ。私を笑いに来たの? ……いい気味だと思ってるんでしょうけど、私は絶対にここを出てやるわ。ええ、死んでなるもんですか」
イリスの耳障りな声が、石造りの壁に反響してこだまする。
その声はどこか投げやりで、でも生への執着にも満ちていた。
フィリアは、手をぎゅっと強く握り合わせお腹に力を込めた。
「あなたに言いたいことがあってきたの」
「……」
「あなたの身勝手な欲望のために、リガルドもアドリアも私も皆苦しんだわ。でももうあなたが自由にできるものなんて何ひとつない。人もお金も何もかも失って、一体あなたは何を得たかったの?」
「……」
「本当は恨み言でも行ってやろうかと思ってた。でもやっぱりやめる。……ただ、これだけ。もうあなたが私やリガルド、アドリアにも苦しみを与えることは絶対にできないわ。あなたにはもう何も残されてない。あなたが支配できるものなんて、初めからなに一つなかったの。だから私はもうあなたを恐れたりしないし、絶対に幸せになってみせる。きっとリガルドやアドリアも」
イリスからは何も返ってはこない。ただ壁の方をぼんやりと見つめて、身じろぎひとつしない。
「それだけ。……さよなら、イリス」
フィリアはそう言って、牢の前を離れた。
一瞬階段を上がる時に小さなすすり泣きのようなものが聞こえた気がするけれど、ただのすきま風のいたずらかもしれない。
とにかく、これで何もかも終わったんだ。そう思った。
「あら……フィリア。来ていたの?」
ちょうど建物から出ようとしたとき、入ってきた誰かとぶつかりそうになった。
顔を上げると、そこにはアドリアがいた。きっとこれからイリスに最後の別れをしに行くのだろう。何とも言えない気持ちになって、フィリアはうつむいた。
「そんな顔しないでよ。もういいの。あの人はきっとこうなる運命だったのよ。最後まで過ちに気づけなかったんだもの。自業自得だわ」
「アドリア……」
「そう。事件のこと、色々聞いたわ。あなたもなかなかやるわね。あなたと取っ組み合いの喧嘩なんてしなくてよかったわ。絶対に勝てっこないもの」
ふふ、と小さな笑い声を上げてアドリアが、ふと驚いたようにお腹に手をやった。
「どうかした……? アドリア」
「……今、お腹を蹴ったの。赤ちゃんが」
アドリアの目に、ほんの少し光るものが浮かんだ。
「こんな風にあの人も私の成長を嬉しく思った瞬間、あったのかしらね。……今さら、だけれど」
アドリアの心中を思うと、かける言葉などなかった。
たとえ自分を捨てた母親でも、生んでくれた人には変わりないのだ。その母親をこれから最悪な形で失くそうとしているのだ。
フィリアも少し離れた場所で見守るリガルドにも、アドリアに言える言葉などない。
「じゃあ、行ってくるわ。これもけじめだから。あなたも決別してきたのでしょう?」
複雑な思いでうなずくと、アドリアが小さく笑った。
「ねえ、もしこの子が生まれたら会いに来てくれる? フィリア」
「……もちろんよ。お祝いをもってかけつけるわ。新しい命だもの、皆で祝福して迎えてあげなくちゃ」
その言葉に、アドリアは嬉しそうに微笑むと牢の中へと入っていった。
こうしてイリスとの、過去との決別は終わったのだった。
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