3話 それぞれの矜持


「久しぶり、ってほどじゃないけど、元気そうだね。フィリアちゃん」


 相変わらずのほほんとした空気感を漂わせながら、ヨークが姿を見せた。

 今日の格好は、さしずめ町でナンパにいそしむ気のいい若者といったところか。


「ヨーク様もお変わりなく。随分お忙しいと聞きましたけど、事件の調査はまだまだ続きそうですか?」

「まあね、裏取りにちょっと時間がかかってさ。でもようやくその目途もついたから、リガルドもそろそろ解放してあげられそうだよ。もう限界みたいだしね、この人」


 そう言って、向かいに立つリガルドをにやにやした笑みを浮かべてちらりと見る。


「うるさいぞ、ヨーク。……それで、フィリアに会いたがっている人間というのはどこだ?」


 別にリガルドも同席して構わないとヨークがいうので同行を頼んだのだが、会うなり険悪なムードである。

 もっとも事件を介してすっかり気心が知れたらしく、いいコンビという感じがしないでもない。まったく正反対な二人だけど。


「うん。ここにもう来てるよ。じゃあ、行こうか」


 そう言うと、フィリアとリガルドを伴って目の前の店に入っていく。


 おそらくは夜は飲み屋になるのだろう。昼下がりの今は、人影もなくひっそりと静まり返っている。

 カーテンが閉められた少し薄暗い店の中を通り、細い階段を上がる。


「さあ、どうぞ」


 促されて突き当りの部屋の扉を開けると、中にいたのは。


「あなたは……なぜこんなところに?」

「あ! あの香水の……」


 フィリアとリガルドの声が同時に重なった。


 目の前にいたのは、ゆったりと長い足を組んで相変わらず妖艶な笑みを口元に浮かべたあのマダムだった。


「あら、息がぴったりね。……ごめんなさないね、呼び出したりして。もう一度あなたに会ってみたくて」


 思わず隣のリガルドに視線を向ける。会いたいというからにはきっと、その相手はリガルドに違いないと思ったから。


「違うわ、あなたよ。会いたかったのは」


 驚いて、フィリアは自分の顔を指さした。


 この人が自分に会いたがる理由なんて皆目見当もつかない。あの時劇場で、小馬鹿にしていたのではなかったか。


「あの時は嫌な態度を取って、ごめんなさいね。ついちょっかい出したくなったのよ。あんまりあなたが無垢できれいだったから」


 あの時、というのは劇場で会ったあの夜のことだろう。そしてふと気がつく。今日はあの香水の香りがしない。わずかに感じるこの香りは、普通によくある石鹸の香りだ。


「無垢できれい? 私がですか?」

「ふふ。ええ。憎たらしいくらいにね。そう思ったらなんだかちょっと、からかいたくなって。……悪かったわ。気分を悪くしたでしょう?」


 首をふるふると振るフィリアに、マダムはくすりと笑う。


「きっと、あなたのその無垢さがうらやましいのかもしれないわ。だって私はもう、そんな頃には戻れないもの。そんなにきれいでいるには、色々知りすぎたわ」


 どこか寂し気なマダムの表情に、思わずどきりとする。

 そして、やっぱりきれいな人だ、と思った。大人でちゃんと自分の足で立って生きていける強い女性。少しそれが眩しくて、自分もそうあれたらいいと願う。


「この人さ、娼館の女主人なんだよ。事件の裏取りに協力してくれたのもこの人。皆我が身かわいさで客の貴族たちからなかなか証言が上がらなくて困ってたんだけど、この人が以前バッカードたちに売られた女性たちから証言を得てくれたんだ。おかげで事件も無事片付きそうなんだ」


 ヨークが横から口を出す。


 マダムはそれに首を少しすくめて、なんてことはないといった表情を浮かべていた。


「そうだったんですか……。あなたは知っていたんですか? 人身売買のこと」

「まあね。こんな仕事を長くしてると、色々な話が入ってくるものよ。それこそ薄汚れた血生臭いものまで。……うちにはね、色々な女性たちが着の身着のままで逃げ込んでくるの。暴力亭主だったり売られそうになって逃げてきたり。その中にいたのよ。バッカードたちに売られた先から命からがら逃げだしてきた子たちが」


 その女性たちはひどい姿だったらしい。傷だらけで骨が折れたまま放置されていたり、首輪をはめられたままだったり、中には妊娠している者もいて。

    

 そんな惨状を見て、バッカードのやり方に腹を立てていたのだという。


「世の中から見れば私たちのしていることは、恥ずべきことなのかもしれないわ。でも娼婦には娼婦の矜持があるの。生きていくために胸を張ってしていることよ。それを望みもしない人間相手に、尊厳まで踏みにじるようなやり方は許せないわ。だからお役に立てて、こちらこそ感謝してる。……これで少しは、あの子たちも溜飲が下がるでしょう」


 そう言って微笑んだ。その顔は凛としていて、フィリアの目をくぎ付けにした。


「でもあなたには悪いことしちゃったから、おわびにその男から逃げたくなったらいつでもいらっしゃい。私のところでかくまってあげるわ」


 マダムの目がいたずらっぽくきらめく。

 すかさず隣に座っていたリガルドから声が飛んだ。


「おい!」


 その慌てた様子におかしそうに笑い声を上げながら、マダムが言う。


「だって、執着心の強い男って大変よ。この人、独占欲の塊なんだもの。きっとあなた、苦労するわ」


 思わずリガルドにちらりと目をやれば、視線がかち合った。


 リガルドの表情が固くこわばっている。それがなんだかおかしくて、思わず苦笑いしてしまう。


「苦労するかどうかはわかりませんけど、覚えておきます。マダム」


 そうしてマダムは去っていった。


 その後ろ姿に、人には色々な矜持や思いがあってその中で懸命に生きているのだと改めて思う。

 自分もいつかあんなふうに、自分の中に凛と通った芯のようなものを持てるようになれるだろうか。


 それは矜持といえるようなものでなくても、揺るがずにそれを信じて生きていけるような女性になりたいと思った。


「さて、これで事件も数日で片付くだろうしやっと休めるよ。もうくたくた。あれからほとんど不眠不休なんだよ」

「お疲れ様です」


 そう言うと、ヨークはご機嫌な笑みを浮かべた。

 

 これが素かどうかはともかくとして、こうしているとヨークは本当に気のいいその辺にいる若者のように見える。一体どれが本当のヨークなのか、一度みてみたい気もする。


「ありがと、フィリアちゃん。あ、そう言えばさ。二度ほど取引が流れた件ね。イリスが君たちを二人そろって同じ客に売り渡したくて、ごねてただけらしいよ。ああいう趣味の客をずっと探していたらしい。執念深いよね。まあ他に余罪も多々あるし、イリスも処刑は免れないだろうね」

「そう、ですか……」

「一応、その日が決まったら知らせるね。じゃあ僕はこれで」


 ヨークと別れ、リガルドともに屋敷へと戻る。

 

 イリスの処刑が決まったら一度会いに行きたいとリガルドに伝えたら、少しためらったのち了解してくれた。同行すると条件はつけられたけど。


 ちゃんと最後にイリスと話をして、言いたいことを言ってから終わりにしよう。

 そうして、本当に過去と決別しよう。


 そう思った。



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