2話 戻った日常
国王陛下との謁見も終わり、ノートン家のお屋敷には元の穏やかな日常が戻った。
「ダレン、クッションはこのくらいの高さでいい?」
ようやくダレンのぎっくり腰も、無理をしなければ日常生活を送れる程度には回復しつつある。
長い療養生活だったけれど、このお屋敷での生活もそろそろ終わりが近づいていた。
「にしても本当にびっくりしたんだからね。まさかダレンが貴族様だったなんて。一言言ってくれたらよかったのに」
謁見で知らされた驚きの事実に、フィリアはダレンらしいと思いつつももし貴族だと知っていたらとてもあんなふうに転がり込むことなどできなかったろうとも思っていた。
「別に爵位なんて俺は欲しくなかったのに、あいつが勝手に押し付けたんだ。しかも今度は勝手に縁組など……。まったく今度あったらとびきり苦い茶を口に突っ込んでやる」
国王の口に茶を突っ込むなどその場で切り殺されてもおかしくないが、ダレンならやりかねない。
思わず想像して冷や冷やしてしまう。
「本当に迷惑なら断っていいんだよ? もうダレンには十分よくしてもらったし、これ以上ダレンのお荷物にはなりたくないし」
「……ふん。別に構わん。もうあの店が、お前の家なんだ。今さら貴族暮らしをさせてやれるわけでもなし、名前だけの貴族だからな。それでもいいなら、娘にでもなんでもなればいい」
突き放したような、でもちょっと照れくさそうないつもの顔。
(ダレンってば……。ありがとう。すごく嬉しいよ)
「そう言えばリガルドの顔を見ないが、事件の後始末に追われてるのか」
「うん。朝食は一緒に食べているけど、すごく忙しそう。しょっちゅう王宮やヨーク様に呼ばれてるし、執務も大分溜まってるみたいで。手伝ってるダルトンも大変そうよ」
謁見が終わってからというもの、リガルドとは満足に話をする時間もない。朝もその日の予定や当たり障りのない話をするくらいで、状況が落ち着くまではまだ時間がかかりそうだ。
フィリアが手伝えることもさほどないため、せめての癒しにとせっせと甘いものを作っては差し入れる毎日だ。
「にしても動けるようになって、本当に良かったね。一時はどうなることかと思ったんだから。あんなに健康には気を配ってたのに、やっぱりダレンも年なのね」
はじめはほんの少しの間お世話になるだけだと思っていた。なのに気づけば、この屋敷に滞在してもう三か月近くが経過していた。
男装して生活していた頃のことなど、すっかり嘘のようだ。それどころか令嬢としてこんな立派なお屋敷に暮らしているのだから、不思議なものである。
(じき事件の方も落ち着くだろうし、その頃にはダレンもすっかり良くなってるはず。……そうしたら、リガルドに伝えなきゃね。ここを出て店に戻るって)
リガルドと自分に血のつながりがないことを打ち明けられたあの日の約束を、フィリアは思い返す。
赤の他人である以上、いつまでも同じ屋敷で兄と妹として暮らし続けるわけにはいかない。
もともと血のつながりを感じたことはなかったし、兄妹らしい関係なんてはなからなかったのだけれど。でもその縁が偽りだったと知って、寂しくも思う。
(でも、これでちゃんと終わらせられる。リガルドへの恋をちゃんと終わりにして、先に進まないと幸せにはなれないもんね。こんなに皆に良くしてもらったし、もう自分を偽って気持ちを誤魔化して生きていくわけにはいかないから)
フィリアの決心は、とっくに固まっていた。
もうリガルドとこんなふうに会うことはできないかもしれない。けれど、こんなにたくさんの優しさと、兄として精一杯の愛情を注いでもらったのだ。戻っておいでといってくれたおかげで、ミリィやダルトン、ハンナやラスたちにも会えた。
血のつながった家族がもうこの世にいなくても、天涯孤独でも、こんなにあたたかいつながりができると知った。
(それにもうダレンがいる。大事なのは血のつながりなんかじゃなくて、生きていく間にどれだけ大切な人とあたたかい関係を築いていけるかなんだよね。だから、もう充分。きっと、いつかはきっと懐かしく思える日がするはず……)
「ねぇ、ダレン。もう少ししたらこのお屋敷を出て店に戻るって、そろそろリガルドに伝えようと思うの。いいかな」
そう言うとダレンは少し押し黙った後、「まあ、好きにしろ。お前に任せる」とだけ言ってうとうとと船をこぎ始めた。
「じゃあまたくるね」
ダレンの部屋をあとにしたフィリアの視線の先に、ちょうど通りがかったダルトンの姿が見えた。ちょうどいいとばかりに、呼び止める。
「ダルトン、忙しいところごめんなさい。実は話しておきたいことがあって。そろそろダレンも元の生活に戻れそうだし、このお屋敷を出て行こうと思うの。もちろんリガルドとは落ち着いたらゆっくり話すつもりだけど、色々準備も必要でしょう? だから前もって、ダルトンには伝えておこうかと思って」
ダルトンも忙しいに違いないが、屋敷を切り回す立場としては事前に色々と準備が必要なこともあるだろうし、出て行く直前になって切り出すのも申し訳ない。
そう考えて、フィリアはダルトンに事前に伝えておくことにしたのだ。
「それは……さようでございますか。とても残念です……。ですが……分かりました。リガルド様にはフィリア様から直接お話いただいても構いませんか? 最終的にはリガルド様の判断を仰がねばならないことでもありますので」
ダルトンは一瞬何か言いたげに口を開いて、そして飲み込んだように見えた。
「もちろん。リガルドがもう少し落ち着いて話ができるようになったら、そうするつもり。……約束もあるし」
「約束、でございますか?」
「うん、そう。リガルドと、大事な約束をしているの。だからそれを果たすまでは、ここにお世話になるつもりよ」
それを聞くと、ダルトンの表情が少し和らいだ気がした。
あの時すでに部屋から出て行ったダルトンは、約束のことを知らないはずだけれど、何か感じるところがあったのだろうか。
「分かりました。……ああ、そういえばひとつお伝えせねばならないことがございました。ヨーク様が明日お会いできないかと連絡が。なんでもフィリア様にお会いになりたい方がいるそうですよ」
自分に会いたい人がいるとは一体誰のことだろうか。思い浮かぶ相手がいない。
でもまぁヨーク様とは謁見以来、一度も会っていないから事件のことを少しは聞けるかもしれない。
そんなことを考えながら、自室へと戻るフィリアだった。
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