7話 祝福される命
ドレスの打ち合わせもいよいよ大詰めである。
王都でも評判のデザイナーが手掛けるフルオーダーとあって、リガルドの希望を詰め込んだその世界で一着だけのドレスは見事なものだった。
婚礼衣装のためベースの色は純白だが、そこにリガルドの目の色、つまり濃藍色はしっかり忍ばせてあるあたりが、リガルドらしい。
「ではこのまま進めさせていただきます。ええ、きっとご満足いただける出来になりますとも。きっと貴族界でも評判になりますわ。お楽しみしていてくださいませ」
最後の打ち合わせを終え、やっと一息ついたフィリアとリガルドである。
「ちょっと疲れましたね……」
「ああ、熱量の高さにちょっと生気を抜かれる気がするな……」
二人してぐったりとソファに体を預け、大きな息をついた。
あの約束の日から早いものでもう三か月である。もう季節はすっかり春めいていて、屋敷の庭には春を告げる小さな花たちが可憐に咲き出していた。
「ベールは順調か? ダレンも変わりない?」
心配そうなリガルドに、フィリアはふふ、と微笑んでうなずく。
「リガルドこそ、無理してない? ドレスのデザインを決めるのに、睡眠時間を随分削ってるってミリィが。お式で倒れたら大変よ」
「このくらい大丈夫だ。どうせ君のドレス姿が楽しみで眠れないんだから」
二人の間に、甘い空気が流れる。手はしっかりとつながれたまま、見つめ合う。
「そう言えば、アドリアからは連絡はまだ? そろそろのはずだけど」
「ああ。生まれたら二人で会いに行こう」
アドリアの出産予定日はもうまもなく。
新しい命が生まれようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後のあたたかな春風が吹き渡るさわやかな日の昼下がり。
フィリアはリガルドとともにたくさんの荷物を持って、アドリアの暮らす屋敷へ向かっていた。
「ようこそいらっしゃいました。ノートン伯爵様、フィリア様。ささ、どうぞ。こちらです」
丸い顔をした穏やかな顔立ちの男が、フィリアとリガルドを出迎えてくれた。アドリアとは十五年が離れていると聞いていたが、そのつやつやとした肌艶のせいかそれほど年上には見えない。一目見て、フィリアは好印象を抱いた。
満面の笑みをたたえたアドリアの夫に案内され、フィリアはアドリアのいる部屋へと通された。
「アドリア! ……まぁ、なんて小さいの。ああ、おめでとう。アドリア」
視界の中に飛び込んできたその小さくかわいらしい体に、フィリアは歓声を上げた。
アドリアの腕の中に眠る、まだ生まれたばかりの小さな小さな体。ぎゅっと握りしめられた手は、母親の袖を決して離すまいとでもいうように握りこんでいる。
「来てくれてありがとう。フィリア、リガルド」
そう言って微笑むアドリアは、これまでに見たことがないほど幸せそうで母として子どもを産み落とした自信に光り輝いていた。
「もちろん来るわよ。約束したでしょう? 必ずお祝いにかけつけるって。お祝いの品もたくさん持ってきたのよ。あとで見てね。それにしても、本当になんてかわいいの……。見て、リガルド。この指、こんなに小さくて。なのにこんなに力強くて」
「そうだな。……おめでとう、アドリア。そしてあなたも」
そう言って、リガルドは後ろでにこにこと微笑みを浮かべて立っていたアドリアの夫に祝いの言葉を伝えた。
リガルドにとっては適当に選んだつもりの相手だったが、まさかこんなに穏やかな日がくるとは思いもしないことだった。縁が巡り巡って、今ここに新しい命が生まれている。
それは、ここにいた者全員に不思議な感動を与えていた。
「子どもがこんなに愛おしいものだとは思わなかったわ。本当に幸せよ。……そうだ。そろそろあなたたちのお式も近づいてきたわね。準備はどう? 順調に進んでいる?」
「ええ。バタバタしているけど、なんとかなりそうよ。お式には参列してもらえそう? やっぱり産後だし、難しいかしら」
フィリアが尋ねると、アドリアは一瞬顔を曇らせた。
「もちろん私はあなたたちの門出をお祝いしたいわ。……でもやっぱり私が参列するのは外聞が悪いのではなくて? だって私の母親は……」
アドリアは、苦し気に顔を伏せた。
フィリアの胸にもどこか切なく、苦々しい気持ちが広がる。
イリスの処刑が行われた日から、数か月が過ぎていた。
事件のことは固く秘されているとはいえ、色々な噂が人の口にのぼっていた。もちろんそのすべてが正しいわけではないが、いずれにしてもイリスが何らかの犯罪を犯し刑に処されたことは間違いないのだ。そのことは、やはり実娘であるアドリアの心に重い影を落としていた。
そしてそれはリガルドとフィリアにとっても、同じだった。
「君は君だ、アドリア。それに今の君は立派な母親なんだだ。内輪の者で挙げる小さな式だし、人の目など気にせず祝ってくれたら嬉しい。一時の縁とはいえ、これも縁だ。それに、君のおかげでフィリアも私もこうして無事でいられるのだから」
「そうよ。私たちは今を生きているんだし、こうして新しい命も生まれたんだもの。いつまでも過去を引きずってはいられないわ。……過去に何があっても、新しくあたたかなものを積み上げていけばいいのよ。ね?」
フィリアとリガルドの言葉に、アドリアは目を潤ませ小さくうなずいた。
母親の心の動きを感じ取ったのか、赤ん坊が握りしめていた袖口をぐいっと引っ張り、慌てたアドリアがしっかりと抱き直す。
そしてぱっとアドリアの顔に開いたばかりのつぶらな目を向け、きゃっきゃと明るい笑い声を立てた。
その楽し気な笑い声に誘われるように、部屋の中に笑いが満ちていく。
部屋中がどこまでも幸せな空気に満ちて、穏やかに時間は過ぎていった。
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