8話 休憩室にて Part.2
「やれやれ、今日も安定のぎこちなさでしたねぇ」
夜も更けた休憩室で、ミリィは疲れた肩をこきこきと回しながらつぶやいた。
夜勤の者以外はすでに自室へと戻っている時間とあって、ここにいるのはダルトンとミリィの二人だけである。
年頃の娘としては少々色気がなさ過ぎる気もするが、一日働いた身体にストレッチは大切である。
ダルトンは姪の行動に目をつぶり、温かい紅茶を差し出した。
「フィリア様は特に変わりないか」
「う~ん、そうですねぇ。強いて言えば、悶々としてらっしゃいますかね」
「……悶々?」
ミリィによると、どうやらリガルドの無自覚な行動のせいで困惑しているらしい。まぁ実際は血のつながりのない年頃の男女なのだから、意識してしまうのも無理らしからぬことである。
「血のつながった兄妹だと思っていらっしゃいますからね。罪の意識とか、感じていらっしゃるんじゃないかと。……まぁ、あれだけ執着丸出しにされて意識するなってほうが無理ですよねぇ」
ミリィが呆れたようにため息をついた。
この屋敷の当主であるリガルドは、あの若さであ没落寸前のノートン家を見事二年足らずで立て直した人物である。先々代のご当主から、才を受け継がれたのだろう。その能力の高さを、ダルトンは高く評価し信頼もしていた。
が、ことフィリアに関しては――。
「あんなあからさまに執着して、フィリア様が逃げたらどうするんですか。しかもそれが無自覚って、どういうこと? ありえません」
ここ最近のリガルドは、自分の色を思わせる貢ぎ物を用意するのに忙しい。いや、もちろん仕事にも精力は傾けてはいるのだが、それ以外の力を全振りしているのだ。その嬉々とした表情といったら。
が、一途な心中を思えば止めることもできず、フィリアの反応を思えばぜひ止めねばと思う気持ちもあり。ダルトンは、そのふたつの感情の間で揺れていた。
「仕事以外は、清々しいまでにポンコツでいらっしゃいますからね、あの方は」
当のリガルドは、いたって無自覚である。おそらくは最初に用意したものの多くに自分の色を忍ばせたのも、無意識による行動だろう。がそれを身に着けたフィリアを目の当たりにした結果、あまりの喜びに暴走しているのである。
「フィリア様が鈍……いえ、察しの良すぎる方でなくて助かったな。でなければ、とっくに逃げ出していただろう」
幸いなことに、フィリア様はあまり察しのよいお方ではない。というよりも、こと色恋に関してはとんと疎い。そのおかげで、今はまだ大丈夫だろうと踏んでいるのだが。
「なぜあれで自覚ないんですかねぇ。明らかに恋じゃないですか。しかも独占欲丸出しで執着深めの。それにあんなにベタベタと触ったりして……。セクハラですよ、あれ」
ミリィからすれば、ドン引き以外のなにものでもない。
「でも、早くお二人の心が通じ合うといいですね。フィリアお嬢様も憎からず思われているのは確かみたいですし。……まぁそのためには、リガルド様が覚悟を決めてくださらないとお話にならないんですけど」
それはもちろん、ダルトンも懸念しているところではある。
だが、実のところ肝心のリガルドには、フィリアへ向けているその執着こそが恋であるという自覚がない。もっとも、兄として少々いき過ぎた愛情を持っているとは思っているようだが。
それこそが恋であり、愛なのだとどんなに周囲が伝えたとしても、きっと意味がない。それに、それくらい家族として守ってやりたいという気持ちも嘘ではないのだ。
とはいえハンナの話では、フィリアもこの屋敷を気に入ってはいても妹としていつまでもここで暮らせるはずがないと考えているようだし、やはり近いうちに屋敷を出る意思にかわりはないようだ。
「真実を伝えないと、きっとフィリアお嬢様はここを出て行ってしまわれるんですから。それをお止めするには、結局のところリガルドさまが玉砕覚悟でどーんとぶつかるしかないんですよ、やっぱり!失うことを恐れていては大切なものなんて手に入らないんですから」
そう熱く語るミリィもまた、恋を夢見る若者であると知り、ダルトンはほっとする反面複雑な気持ちにもなる。
人は心底大切にしたいものに対しては、どうしても守りに入る。どれほど望んでも手に入らないものは、人生の中でいくつもあるものだ。
もし真実を伝えてフィリアが永遠に自分の前から去ってしまったら。嘘をついて傷つけたことで、完全に失ってしまったら。ならばせめて偽りの兄として近くに置いておきたいとすがりつく気持ちも、ダルトンにはよくわかる。
リガルド様にとっては、十七才の時からフィリアがただひとりの運命の人なのだ。どうしても失いたくない。手放せもしない。だが、縛りつけることも苦しめることもできない。だからこそ、家族であろうとする。それが永遠に切れない絆となると思うからこそ。その一途さははたから見ていて、いじらしくもあり少々恐ろしくもある。
「まぁ、今は時間も必要だろう。我々は黙って見守るしかない。……ところで例の件だが、そろそろ動きがあるかもしれない。お前も十分に警戒しておくように」
ふとその表情に陰りを浮かべ、ダルトンは声を潜めた。
若い男と出奔したはずのイリスがその男と別れ、とかく悪い噂のある男の元に潜伏しているらしいという情報を得たのは、ほんの数日前のこと。
そのことで、少々屋敷全体がピリピリとした緊張感に包まれていた。リガルドもその件について情報を集めるため、ほとんど屋敷に滞在する時間もないほど忙しくしている。
「はい、任せてください。もしあの女がフィリア様に手を出すようなら、私が盾になります。敵がイリス様でも、それがフィリアお嬢様の意に沿わない形で手を出そうとしたリガルド様であっても、このミリィ、差し違える覚悟で……」
そう言うと、ミリィはぐっと拳を握りしめた。
見た目よりも強そうな姪の力こぶを見て、さらに心配の種が増えたような気になるのは考えすぎだろうか。
「気持ちはわかるが、一応お前も嫁入り前の娘だということを忘れないようにな。ミリィ」
「はぁい」
にっこりと愛嬌のある笑顔を浮かべて、ミリィが明るく答えた。
いつだって返事だけはいいのだから、と心の内でこぼすダルトンなのだった。
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