9話 初めての贈り物

 フィリアは、執務室の前に立っていた。もうとっぷりと夜も更けたこんな時間になっても、ドアの隙間から光が薄く漏れている。


 フィリアは、遠慮がちに扉を叩いた。


「……フィリア? こんな遅くにどうしたんだ? 何か問題でも」


 驚いた表情のリガルドに、午後に作ったばかりのお菓子の包みを差し出した。


「えっと、これを渡しにきたの。いつも良くしてくれるお礼にと思って」


 午後にできたばかりのお菓子をラッピングし終え、帰宅したリガルドに渡しにきたのだ。贈り物というほどのものではないけれど、一応リボンをかけてラッピングしてあるから少しは見栄えがするはずだ。


 手渡された包みを見た瞬間、リガルドの目が丸くなった。


「フィリアが私に……?」

「あ、別にたいしたものでは……。っ……?」


 フィリアは、思わず息を呑んだ。

 目の前で、大きく驚きに目を見開かれたリガルドの顔がみるみる赤く染まっていく。その反応はフィリアの想像を超えていた。


(うわ……! 何その反応っ。耳も真っ赤だし、色気もだだ洩れなんだけど)


 リガルドは、緩む口元を隠すように上気した顔を背けていた。でも到底隠しきれないその赤く染まった顔からは凄絶な色気が漂う。


 それを目の当たりにしたフィリアも、まるで伝染したように顔が熱くなる。

 これはとても直視できない。慌てて包みに視線を落とし、求められてもいないのに中身の説明を始めてしまう。


「えっと……その、ミリィに甘いものが好きだと聞いて。……木の実と、香り付けにブランデーを使ったお菓子なんですが……。結構いい出来じゃないかと我ながら思うんですが、久しぶりに作ったのでどうかなと。いや、でも味はハンナにも試食してもらったから大丈夫だと……」


 思いもよらない反応に、つい挙動がおかしくなる。


(こんなに喜んでくれるなんて……。それに、いつもこんな分かりやすく反応するなんてことないのに、こんな……)


 リガルドは、表情に乏しい。昔からそうだった。感情はちゃんと動いているのだろうけど、それを表に出すことはほとんどない。そのせいか、整い過ぎた彫像のような造作とあいまって、どこか冷たく突き放したようにも見えるのだ。

 でもいつだって、その目の奥にはちゃんと優しさがのぞいているのをフィリアは知っていた。だからきっと喜んでくれるだろうとは思ってはいたのだけれど。


(こんなふうに感情を露にするリガルド……初めて見たな。なんかちょっと、嬉しいかも)


 初めて目にする異母兄の表情に驚きと困惑と、そしてそれを引き出したのが自分だと思うと喜びが沸き上がってくる。

 

「その、ありがとう。……中を見ても?」


 こくこくとうなずくフィリアの視線の先で、リボンが解かれていく。


 ブランデーを多めに含ませた生地は時間がたってもしっとりだし、ごろごろと大きめにカットした木の実の食感も楽しい一品だと思う。自分で言うのもなんだが、なかなかの自信作だ。


「……っふ」


 リガルドから、小さくうめき声のようなくぐもった音がした。


 見上げた視線の先には、先ほどよりもさらに赤く染まった嬉しそうな顔。それは少し幼く無防備に見えて、非常にかわいらしい。


(あああぁ、これは見てはいけないものを見てしまったかったかもしれない。……いや、いい年をした男性にかわいいなんてどうかと思うけど。だってあんな顔、いつもとギャップがあり過ぎて……)


 胸の奥で、ずっと蓋をしたまま閉じ込めていたものが動き出す、そんな音が鳴った気がした。


(こんな顔も、するんだな……。子どもみたいな)


 誰かを喜ばせたくて、そのために何かをするのはとても幸せな行為だ。そんなふうに思える相手がそばにいることも、その相手に受けとってもらえることも。


 以前は両親やダレンに、そして今はこうしてリガルドに。それはとても幸せで、そんな相手がそばにいてくれることは実は当たり前などではない幸運なのだと、今ならよくわかる。

 でも今感じている感情は、今まで感じたことのあるものとも少し違っていて。うまく言葉では表現できないけれどもっと強くて、熱いもの。


(嬉しい、だけではない感じ……。すごく満たされる、みたいな)


 フィリアはリガルドの本当の姿をほんの少しかいま見れたような気がして、それがたまらなく嬉しくなる。

 もしかしたら、素のリガルドはこんなふうに柔らかくあたたかい表情で微笑む人なのかもしれないと思った。


「……あり、がとう。こんなに嬉しい贈り物は初めてだ。大事にいただく」

「……うん。いつももらってばかりだから、そのお返し。こんなものくらいしか、あげられないけど」


 昔も今もリガルドは不器用な優しさとあたたかさをくれる。自分を屋敷に迎え入れてくれたおかげで、今またこうして二度と手に入らないとあきらめていた家族のぬくもりと帰る場所をくれたし。

 そしてきっとリガルドも、家族のぬくもりに飢えている。だから妹である自分を、こんなに大切にしてくれるんだろう。

 たとえ血がつながっている実感などなくても、このつながりを大事にしたい。初めてそんなふうに思えた。


(こんなに喜んでくれるなら、また作ってもいい……かな。それでまたリガルドのこんな顔が見られるなら。……一応妹、なんだし)


 もっとたくさんの表情を見てみたい。リガルドが本来持つ色々な感情を、のぞいてみたい。


 頬を染め合い、向き合う兄と妹。

 その距離は家族と言うには遠く、でも手を伸ばせば互いに触れられるほどで。


 静かにふけていく夜の時間は、優しくゆっくりと過ぎていくのだった。




 ◇ ◇ ◇ 



「あ、でもお酒入りなので多少日持ちしますけど、できるだけ早く食べてくださいね」


 大事そうに包みを抱えて眺めてばかりのリガルドに、不安を覚えたフィリアが釘を刺す。

 そういえばミリィが言っていた。額に入れて飾っておきそうだ、と。


 日持ちするとはいっても、まだ気温が高い日もある。悪くなってしまっては意味がないし、どうせなら一番生地がしっとりと馴染んで食べ頃のうちに食べてもらいたいのだ。とはいえ、本当に一応、念のためという気持ちで釘を刺したのだが。


 明らかにしばらく眺めて堪能するつもりだったらしいリガルドは、目を大きく見開いて動揺しながら口ごもる。


「えっ……。いや、でも大事に味わっ……」


(まさか本当に飾って眺めておく気だったんじゃ……。うわ、ちょっとそれは引く。ただのお菓子なのに)


 思わずドン引きになるフィリアである。見かけによらず愛が重いリガルドに、思わず将来が心配になる。こんな愛を引かずに受け止めてくれるそんな女性がどこかにいるだろうか、と。

 

「……また、作りますから。悪くなる前に食べないと、次作りませんからね」


 念押しするように強い口調で言うと、しばし躊躇した後あきらめたように渋々とうなずくリガルドなのだった。



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