7話 リガルドの願い


『あの子を今すぐ屋敷に連れ戻せ、とは? なぜあなたがそんなことを』


 フィリアに会いたいと伝えた時、ダレンはフィリアの存在さえ否定した。引き渡す気などないのは確かだったはずだ。なのになぜそのダレンがフィリアを屋敷に連れ戻すよう進言するのかと、意図のつかめないリガルドは首を傾げた。


 ダレンとは子供の頃に一度だけ面識があったが、どんな人物であるのかを知ったのはフィリアがあの店に逃げ込んだあとのことだ。

 あの男は、ただの鑑定屋の主人ではない。貴族社会のありとあらゆる情報に通じた、情報屋としての顔も持っていた。そのダレンのもとにフィリアが逃げ込んだと聞き、初めは心配したものの、正体を知るにつれこれほど安全な居候先もないだろうと胸をなでおろした。

 もちろんフィリアは、何も知らずに駆け込んだに違いないが。


『あの子にはもう、男の真似事は無理だ。見ればわかる。……それに、お前さんのことは色々知っている。だからこそあの子の行く末を託したい。あれは少々無防備すぎるし、頑固が過ぎる。今のままではあの子をもう守り切れん』


 ダレンの言っている意味は何となく分かった。さすがに十九才ともなれば、身体つきや顔の変化で性別をごまかすのは難しくはなるだろう。

 しかし当の本人が女性に戻りたがっていないらしい。男として生きたい。けれど見た目はもう誤魔化せない。そんな乖離の中であの子が望む生き方を続けていくのは、難しい。

 だからこそ、フィリアを安全な場所で女性として生きる心づもりができるまで守って欲しいのだ、と。


『もちろんそれが、あの子のためになるのなら……。でもなぜそこまで女性として生きることを嫌がるんです?』

『さぁな。本人にも自覚はないようだが、根っこに何かあるんだろうよ。……で、どうする? 話に乗るのか?』


 どこまで情報を握っているのかはわからないが、ダレンがフィリアを実の娘同然に大切に思っていることはわかる。それならば、話に乗らないわけがない。


『それがフィリアのためになるならば、どんなことでもします。それくらいしか、償えることはありませんから』


『……ふん。償い、ね。まあいいだろう、今はな。……が、お前の立場は異母兄であることをくれぐれも忘れてくれるなよ。でなければあの子のことだ。また逃げ出しかねんからな』


 互いの利が一致した瞬間だった。そうしてあの日、ダレンと申し合わせた上で一芝居打ち、フィリアを屋敷へと連れ戻すことに成功したのだった。


 フィリアに再会したリガルドは、ダレンの言っていた意味を理解した。男の格好はしていてもどこから見ても女性にしか見えないにも関わらず、そのことに本人はまったく気づいていなかった。それが、どれほど恐ろしいことか。

下手をすれば、良からぬことを考える男に襲われる恐れもあった。すでに町の幾人かは、フィリアが女性であることに気がついていたようだ。

 ダレンからそのことを聞いた時は、おおいに肝が冷えた。


 フィリアがもとよりノートン家の一員であることを望んでいないことは知っていた。恨みこそすれ、戻りたい場所であるはずがない。が、もう手放す気などなかった。少々強引にことを進めた自覚はあるが、そのうちここでの暮らしにも慣れノートン家の人間として、自分の妹として生きてくれたらいい。そう思っていた。


 リガルドは安堵の表情を浮かべて、目を閉じる。

 瞼に浮かぶのは、わずかに灰色を帯びた薄茶色の目をしたフィリアの笑顔。


(あの子がもし本当に実の妹だったら、こんな気持ちにはならなかったのか……)


 リガルドは胸の奥にちりちりとした熱を感じた。ずっと表には出さないよう押し殺してきたそれは、胸を激しく焦がすほどの熱い感情だった。


(あの子は妹じゃない。でもそれを明かすことは許されない。それがあの子のためなのだから)


 自分に強く言い聞かせるように、リガルドは固く拳を握りしめた。


 フィリアが血のつながった妹ではなく赤の他人だと知ったのは、あの子の婚約話が持ち上がる少し前のことだった。父がフィリアの母親に手を出そうとしたのは確かだが、実際には未遂だったのを聞きつけたイリスが嘘をついてフィリアを利用したのだ。


 それを知ってリガルドは決意した。

 ノートン家を一日も早く自分のものにしイリスたちを排し、フィリアを今度こそ正式に妹として屋敷に迎えようと。


 出生がどうであろうと、リガルドにとってはどうでも良かった。フィリアを永遠に自分のそばで守ってやれるのならば。そして、フィリアをこれ以上悲しませないために、真実を伏せたまま異母兄として永遠に家族でありつづけようと誓った。

 

 そのことは、使用人たちにもきつく言い含めてある。長仕えのダルトンはもちろん、今この屋敷にいるのは信頼できる使用人たちだけだ。異を唱える者は、一人もいなかった。


 こうして万全の体制を整え、フィリアをこの屋敷に迎える日を迎えたのだった。





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