6話 あの日の回想


 リガルドにとってこの家は、牢獄も同然だった。


 唯一愛してくれた母親は七才の時に亡くなり、父とはろくに会話を交わした記憶もない。家族の温かさも知らず、いずれ屋敷を継ぐ長子としての勉強をこなすだけの日々。

 その後父が後妻としてイリスを迎え、この屋敷は経済的にも傾いていった。


 無能な父親と、財産を食いつぶす義母とその娘。信頼のおける使用人たちは次々と辞めていき、家令のダルトンを残してまともな人間は皆いなくなった。残ったのは、イリスたちのご機嫌を取ることだけ必死で、仕事もろくにできない使用人たちだけ。


 そしてリガルドが十七才になった頃、屋敷にフィリアがやってきたのだ。


『使用人に産ませた子だ。アドリアと同じ扱いをする気はない。お前もそのつもりでいるように』


 父親のあまりに情のない言葉に、自分にもこの男と同じ血が流れているのかと愕然としたのを覚えている。しかし同時に、同じ血を分け合う妹がいると聞いて期待する自分にも気がついた。

 自分が思う以上に、家族のぬくもりに飢えていたのだろう。


 フィリアは、質素だがよく似合うワンピース姿でそこに立っていた。所在なげにだけどどこか期待に目をきらきらと輝かせた薄茶の目が、かわいいと思った。

 と同時に、身体中に言いようのない喜びと執着が湧き上がるのを感じた。そして突き上げるような強い感情とともに、この子を守りたいと思った。

 それなのに。


『あの仕打ちは、あまりにひどすぎではありませんか。まともな人間のすることではありません。仮にも、娘として迎え入れたのですよ?』


 リガルドが何度抗議しても、無駄だった。いや、かばったことでむしろ事態を悪化させたのかもしれない。幼く行く当てのないフィリアは、イリスたちの格好の餌食であり続けた。

 してやれることといったら、小さな肩を震わせて泣くフィリアにせいぜいキャンディを差し出してやるくらい。


 自分にもっと力があれば、父もイリスたちも追い出して守ってやれるのに。あたたかな食事とやわらかな寝床すら与えてやれない。同じ思いを分かち合えるたった一人の異母妹を、助け出してやることもできない。 

 しかし、何の力も持たない未熟な自分にできることはなく、無能な父を当主の座から引きずり降ろすにはまださすがに若すぎた。


 そんな日々が長く繰り返されたある日、フィリアの婚約が決まった。それは、文字通り金と引き換えにした身売りだった。

 それを聞いた時、フィリアならきっと屋敷から逃げ出すだろうと思った。あの子の芯の強さと行動力を知っていたから。だから、さりげなく逃亡に使えそうな服などをあの子の目につくところに置いておき、決行するだろうと踏んでいたその日には密かに父やイリス、そしてダルトンを除いた使用人たちに微量の睡眠薬を盛って万全を期し、その時を待ったのだ。


 その後、リガルドは実の父から当主の座を半ば強引に奪い、支度金を補填するためと称してイリスたちから金目の物をすべて没収した。 

 唯一の誤算は、イリスが隠し持っていた金目のものを手に若い男と駆け落ちしたことだろう。しかも、実娘のアドリアを屋敷に残して。母親に見捨てられ自暴自棄になったアドリアには、あの女に似合いの縁談を突き付けてやった。もとよりノートン家とは血縁もない娘だ。金だけは持っている男との縁談だから、暮らしには困っていないはずだ。


 その後、ひたすらにノートン家の立て直しに精力を傾け、ようやくかつての輝きと落ち着きを取り戻した。


 これでようやく、フィリアを迎えに行ける――。


 そう思った。もちろん、まだいたいけな少女に対してあんな仕打ちをしたのだ。そう簡単に連れ戻せるとは思っていなかったが。だからこそ帰れ、と言われた時もすぐに引き下がったのだ。


 しかしそのあとの展開は、リガルドも予想だにしていないものだった。

 リガルドの手元に届いたのは、一通の手紙。その差出人は、ダレンだった。


『あの子が元の自分に戻る機会を与えてやってほしい。今は男のなりなんぞしとるが、このままでは痛い目に遭いかねん。何か起きる前に、一日も早くお前の屋敷に連れ戻して欲しい』


 ダレンはリガルドを呼びつけ、そう言ったのだった。


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