14話 幸せの形


 リガルドの心は、フィリアとのあの一件以来千々に乱れていた。


 気がつけばフィリアのことを思い、どうすれば自分の屋敷に留めておけるのかと途方に暮れるばかりで一向に答えは見つからない。


(使用人たちともうまくいっているし、屋敷での暮らしも満足しているといっていた。ならば、ここを出て行きたいと思うのは私のせいか。無理矢理騙すようにここへ連れてきたからか。それとも……)


 フィリアはあの後も特に変わった様子はない。朝食の席でも以前と変わらずにこやかに笑っているし、何かに思い悩んでいる様子もない。


(別に結婚などしなくても、ノートン家に問題はない。後継はもともと縁戚に頼むつもりだったのだし。それに確かに多くはないかもしれないが、別に兄妹で一生暮らしたって問題は……)


 と考えて、ふと書類に走らせていたペン先を止めた。


 フィリアだってもういい大人なのだから、誰かと結婚して子どもを生み家庭をもちたいと願っても当然だ。

 その幸せを引き止める権利など、兄だろうとなんだろうと初めからない。


 そんな当たり前のことに気付いて、リガルドは深く長いため息を吐き出した。


(フィリアの幸せといいながら、ひどい兄だな。幸せをつかもうとする妹を邪魔立てするなど。……やはりあの子の希望を受け入れて手放してやるしかないのか……)


 リガルドの脳裏に、走り去っていくフィリアの小さな後ろ姿がよみがえる。

 とともに、苦しみからも寂しさからも救ってやれなかったあの不甲斐なさと、気が狂いそうなほどの歯がゆい気持ちを思い出す。


 あの時は絶対にいつかあの子を連れ戻すという一心で、耐えられた。が、今度は違う。あの子が結婚してここを出て行ったら、別々の人生を別々の場所で歩んでいくしかないのだ。

 もちろん、兄と妹としての関係は当然残り続けるだろうが、それはリガルドの望む形ではない。


(だめだ、手放せない。手放せないんだ……。それだけは絶対に無理だ。あの子がそばにいなかったら私は……)


 やっと取り戻した愛しい存在を、また手放して他の男のものに任せるなど到底できそうにない。あの子の隣に立つ男の姿を想像しただけで、耐えられない気持ちになる。

 が、それは兄として正しい思いなのか。


(どうしたらいいのかわからない。でも手放せないんだ……どうしても。どうしたらいい? どうすれば君をつなぎとめられるんだ、フィリア)


 何度も何度も同じ問いを繰り返す。が、その答えは見つからないままリガルドは焦り苦しんだ。


 ダレンの言葉がよみがえる。


『お前、いつまでそうして自分を偽り続けるつもりだ』

『……覚悟を決めることだ。覚悟もできんようなら、お前にあの子は渡さん』


 覚悟とは何だ。フィリアに望む未来を自ら選ばせたいといっていたが、あれは一体どういう意味だろうか。


「フィリアの望み……」


 気づけば口から小さなつぶやきが漏れていた。


 兄としてあの子が幸せになるためならなんでもしてやりたいと思っていた。

 でもそれは、本当に兄としての気持ちだろうか。フィリアが望むなら、気持ちよく他の男のもとに送り出してやるのが自然な兄の気持ちではないのか。なら、それができない自分はなんなのか。


 この胸の奥底から湧き上がる激情のような気持ちは、どこからくるのか。手放したくない、誰にも渡したくない、そばにいてほしいと願うこの気持ちは。


 ダルトンも言っていた。このまま兄と妹のままでいれば、きっとあの子を永遠に失うと。失う恐れに負けて、間違った選択をするなと。


 ふとリガルドは思った。


 もしあの子に自分との間に血のつながりなどないと打ち明けたら、あの子はどんな顔をするのだろうか。兄じゃないと知って逃げ出すだろうか。それとも。

 そしてもし真実を打ち明けたら、自分はどうするだろうか。あの子に何を伝えるのだろう。


 自身の中に深く抑え込んだ熱情を、ようやくリガルドは見つめはじめていた。




 その日の夜、リガルドのもとに差出人の名前のない一通の手紙が届いた。そこにはただ短く、こう書かれていたのだった。


『母がフィリアの誘拐を画策しています。過去の償いとしてぜひお力添えしたく、町外れの教会に内密におひとりでお越しください。 アドリア』




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