13話 思いの先の決意


 リガルドに縁談を打診し終えた足で、そのままダレンの部屋へと向かう。  


「お前はいいのか、それで」


 着くなり開口一番にそう問われて、フィリアは苦笑した。


 ダレンには、きっと何もかもお見通しなんだろう。自分が、本当は何から逃げるためにあの屋敷を飛び出したのかも。どうしてあんなに男として生きることに、頑なだったのかも。

 

 リガルドに縁談を用意してほしいと頼み込んだのは、それが恩を返すのにいい方法だと思ったからだ。

 イリスたちの言いなりになるしかなかった昔の私を助けてくれたのは、間違いなくリガルドだった。リガルドがいなければ、もっとひどい目にあっていただろう。自分を助けられないことに苦しんでいたことも、知っている。何度も父やイリスに進言してくれていたことも。その優しさに、ずっと救われていたのだ。

 

 愛してくれた両親がいなくなっても、血のつながった父がかえりみてくれなくても。イリスたちに理不尽に扱われて一方的に利用されても。まだこの世界に自分のことを大切に思ってくれる人がいるんだって思えた。


(そんな恩を返さずに、ここを去るわけにはいかない。じゃないと、先に進めないし)


 リガルドの反対は予想していた。まさかあんなに感情をむき出しにして却下されるとは思っていなかったけれど。


(過保護、なんだろうなぁ。妹をずっと手元に置いておける訳、ないのに)


 リガルドと妹である自分がいつまでも結婚もせずにいたら、どんな噂が立つかわからない。下世話な噂を好む人間は多いのだ。せっかくリガルドが苦労して立て直したノートン家が、また悪評まみれになってしまったらそれこそ目も当てられない。


「もういいの。別に愛のない結婚でも、そのうち家族の情は生まれるかもしれないし。貴族ならそんなの、珍しくもないでしょ。案外幸せな結婚ができるかもしれない」


 それに、リガルドが用意してくれる縁談ならそこまで悪い相手を連れてこないだろう。兄の情を利用するみたいで、ずるい考えかもしれないけど。


「……相手があの男じゃなくてもか?」


 ダレンが問う。


 やっぱり全部お見通しだ。頭の中も、ずっと隠し続けてきた心の中も。


 思わず口から小さな笑いが漏れた。


「うん。……本当は嬉しかったの、リガルドが迎えにきてくれた時。でも、戻ったらこうなるって、わかってた気がする」


 ダレンが倒れたあの日。

 リガルドが家族なんだから一緒に暮らそう、屋敷に戻っておいでと言ってくれて、とても嬉しかった。久しぶりに再会したリガルドがあまりに素敵すぎて動揺もしたけど、昔と変わらないその優しい眼差しに胸が締め付けられた。


 また会えて嬉しい気持ちと、二度と会いたくなかった気持ち。相反する思いが交差して、どう接したらいいのか分からなくて困惑ばかりしていたけれど。

 それでも、昔と変わらず兄として一生懸命守ろうとしてくれるその優しさと不器用さが、たまらなく嬉しかった。


(距離感はちょっとおかしかったけど。兄というより、あれじゃ恋人に対するみたいだもんね)


 見た目はあんなに素敵なのに、中身はどうしようもなく不器用でわかりにくくて、そういうところが好きだった。


「大切にしてくれた分、恩を返したいの。でも私に返せるものなんて何もないから。……結婚なら、少しは役に立てると思って」


 口ではそう言いながら、フィリアは視線を泳がせる。


 本当は、違う。リガルドはあんなことを言っていたけれど、いつか誰かと結婚するだろう。そして子どもを設けて幸せな家庭を作るだろう。それを、間近で見たくなかった。


(本当は、誰にも渡したくない。誰にも触れてほしくないし、あの優しい目で他の誰も見つめてほしくない)


 だからといって、それは口にしていい思いじゃない。心の中は、嫉妬と欲にまみれたドロドロとした思いばかりだ。こんな気持ちを、リガルドには知られたくなかった。だから、少しでも早くリガルドのそばからいなくなりたい。それだけだった。


「……何も好きでもない男のところに、嫁に行く必要はない。自分を売り物にするな、馬鹿者が」


 ダレンらしい優しさに、視界が薄っすらと滲む。


「もしリガルドが縁談を用意してくれなかった時は、助けてくれる? もう黙って姿を消したり、自分を偽って生きたりはしないから」


 大切に思うから、もう逃げ出したくはない。誤魔化して逃げ続けても、いい結果は生まないと分かったから。

 あの劇の主人公は最後まで愛する人に嘘をついてひとり去ったけれど、私は逃げたくはない。あんな結末にはしたくないのだ。


(たとえ思いは伝えられなくても、私はいつかちゃんと恋を終わらせる。そしてちゃんと幸せになる)


 新しくはじめるために、この恋をちゃんと終わらせる。そう決めたのだ。


「当たり前だ。お前は娘みたいなもんだからな。あんな若造の手の届かないところへ送り出すくらい、朝飯前だ」


 ふん、といつものように鼻を鳴らす。照れ臭いのを誤魔化すときの癖だ。


「……ありがとう、ダレン」


 ここを去ったらもう、二度とリガルドに会うことはないだろう。


 少なくとも、自分にとってリガルドは、最初から兄ではなかった。そして、今も。兄と思えない以上、もうそばにはいられない。妹の顔で平気な振りで笑うことなどできないのだ。

 それでも、兄という存在を永遠に失っても、リガルドに永遠に会えなくなっても、ダレンがいてくれるなら先へ進める。 


 そんな思いにしがみつくように、フィリアは自分を奮い立たせるのだった。



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