7話 休憩室にて Part.3

「こんな大変な時にのんきに観劇なんて、何考えていらしゃるんですかね! まったく」


 休憩室に、ミリィの苛立たし気な声が響いた。

 他に使用人たちがいない時間帯とはいえ、姪の遠慮のない言葉にはらはらとするダルトンである。


「会う時間がなくなって、相当焦れておいででしたからね。もう限界だったのだろう。まぁ、あの劇場ならば警護上の心配もないと思うが」

「うぅ、心配なのはむしろリガルド様のほうですかぁ……。確かに暴走しないといいですねぇ」


 ミリィの目がキラリと光った。


 もしリガルド様がフィリア様に不用意に接近するようなことがあったら、本気で雇い主を叩きのめしかねないと心配になるダルトンである。


 実際今はイリスの動向を探るために、リガルド様も使用人たちも力を合わせてあちこちで情報収集に走り回っているのだ。あえてフィリア様を目につくような場所に連れ出すのは得策ではない。あえておとりにするようなものだ。


(もっともそれくらいリガルド様もお考えだとは思うが。それ以上にフィリア様が足りていらっしゃらないのだろうな……)


 例の香水の一件以降、お二人の仲は明らかにぎくしゃくとされていた。主にフィリア様が。


「フィリア様があんなに嫉妬されるなんて思いませんでした。きっと色々想像しちゃったんでしょうねぇ。長年片思いしてらっしゃるフィリア様の手も握れないリガルド様に、そんな甲斐性あるわけありませんのにぃ」


 いくらなんでも失礼な言い方にこら、と一応嗜める。


「でもまぁ、あんな女性が恋人だと勘違いされたリガルド様には同情するな。あの晩は相当嫌な思いをされたようだから」


 あれはイリスが身を寄せているバッカードが懇意にしているという噂の娼館の女主人なのだ。リガルド様がこの世でもっとも嫌悪するタイプの女で、しかもイリスに似ているときている。そんな女に会わなければならなかった上、恋人だと勘違いされたのだ。

 おかげでせっかく近づいた距離が再び離れてしまって、リガルドはがっくりと肩を落としていたのだ。その様子はあまりにも哀れだった。


(あんな残り香さえなければ、リガルド様にとってはいい夜になられただろうに)


 まさかダントンも、フィリアが帰宅したリガルドにあんな嬉しそうな顔を出迎えるなど思っていなかった。その様子はまるで夫を出迎える新妻のような初々しさで、とても愛らしかったのだから。

 もっともあの後、リガルド様からの贈り物ですっかりご機嫌を治されたようで、今はすっかり平穏を取り戻している。いまだにあの晩の逢瀬の相手が恋人だと、フィリア様は勘違いしているようだが。


 その勘違いにリガルドが気づいたのは、フィリア様がご機嫌を直されたあとのことだった。慌ててどうすればいいかと泣きついてきたリガルドに、せめて外出にでもお誘いしてはどうかと助言したのだ。それで少しはぎこちなくなった距離も縮まるだろうし、理解が深まれば誤解もとけるかもしれないと思ってのことだった。


(なんとか早く誤解が解ければよいのだが……フィリア様も随分な勘違いをされたものだ。しかも嫉妬しているならまだ脈もあるが、今はすっかりリガルド様の結婚を後押しする気でいらっしゃる……)


 見事にすれ違う二人の姿に、ダルトンをはじめ使用人皆ががっくりと肩を落としていた。


「まぁともかく、リガルド様が勇気を振り絞って外出に誘われたんだ。あの方にとっては、大きな進歩といえるだろう」


 まだ一緒に暮らして、ふた月ほどしかたっていないのだ。互いを分かり合い心の距離を近づけるには、まだまだ時間が必要だろう。それに、朝食をともにするくらいの時間は絶対に死守したいと、リガルドも睡眠を削って頑張っておいでだし。

 今はお二人をあたたかく見守ることが、自分たちにできる最善なのだとダルトンは思う。元々互いのことをよく知らず、なおかつ離れていた時間も長かったのだ。まずは互いの理解をゆっくりと深めて、恋心を育てていただくのが一番だろう。


 リガルドに息子に対するような思いも持つダルトンは、その幸せを心から願っていた。もちろん、幼い頃を見知っているフィリアもまた同様に。その二人がいつか手を取り合い、幸せな家庭を築けたらいい。そう思っていた。


「リガルド様の格好があれなら、フィリア様はやっぱりグラデーションがきれいなあのドレスですかねぇ……。おきれいでしょうねぇ。楽しみだわぁ」


 フィリア様の着飾った姿を想像してうっとりと目を細めるミリィを、ぬるい目で見つめる。


 ミリィの心は、すでに当日に向けて弾んでいるようだ。にまにまと満面の笑みを浮かべながら、先ほどからぶつぶつとつぶやいている。

 我が姪ながら、少々性格が変わっているのが心配だ。どうして自分の周りの若者たちはこうも、ちょっぴり残念な性質な者ばかりなのか。こっそりとため息をつくダルトンである。


 確かに正装姿のリガルド様の横に立つドレス姿のフィリア様は、さぞかしおきれいだろう。一見冷ややかな印象を与えるリガルド様に、ふわりとしたやわらかな、それでいて芯の通った凛とした佇まいのフィリア様は互いの良さを引き立て合ういい組み合わせだ。

 ダルトンもまたその幸せそうな姿を想像して、口元を緩めた。


「しかし、気を引き締めておいた方がいいに越したことはない。念のため行き帰りの馬車には見張りを付けるが、馬車にはお前も同乗してくれ」

「わかってまぁす。護身用に武器も忘れずに持っていきますとも。……あ、もちろん私は御者台で。お二人の邪魔はいたしません」


 本来ならば未婚の男女が同じ馬車内に乗るなど許されることではないのだが、表向きはお二人は兄と妹の関係だ。二人一緒に乗っても問題はない、が。


「あとはリガルド様の自制心に頼るしかないが……大丈夫、だろうな」


 色々と心配をのぞかせるダルトンであった。




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