6話 鑑定屋の憂い ダレンside
ぎっくり腰になどなるつもりは、毛頭なかった。
元々はフィリアをこの屋敷に置いてもらうために、骨休みついでに逗留させてもらう予定だった。たまには、豪華な食事に至れり尽くせりの生活も悪くない。あの日倒れたのも寝込んでいたのも医者と口裏を合わせた上での芝居だったし、実際のところピンピンしていたのだ。
なのに、もうベッドから起き上がれないまますでに一週間が過ぎようとしている。
「……ええいっ! 暇だっ。なんでこんなことになった!」
無駄にだだっ広い贅沢な部屋に、地の底を這うようなダレンの不満に満ちたうなり声が響いた。
そこにノックの音とともに姿をのぞかせたのは、リガルドである。
「調子はどう……。やっぱりだめそうですね。まぁ、あと数週間の辛抱……」
「そんなに長いこと寝たきりになっておったら、それこそカビが生えるわい! なんとかならんのかっ! この青二才がっ」
ダレンは今日も、仏頂面で窓の外を眺めていた。というよりはそれ以外にすることがない。何しろ一歩も動けないのだから。機嫌がいいはずもない。
とはいえ、至れり尽くせりで世話になっている身でありながらこの屋敷のある主を怒鳴りつけるなどなんとも失礼千万である。
が、それはダレンのことだ。無言で受け流すと、口の悪さなど気にするふうもなくリガルドはゆったりとベッド横の椅子に腰かけた。
「ふん、聞いたぞ。フィリアと観劇に行くらしいな。こんな時分にいいご身分だ。……あの子にかすり傷一つ負わせてみろ、切り刻んでやるぞ」
ベッドの上でふんぞり返りながら、ダレンはリガルドをじっと見据えた。その眼光は鋭く、冗談ではないことを物語っている。
リガルドもまた、それを正面から堂々と受け止めた。
「あの劇場は王宮並みに堅牢ですし、席も人目に付きにくい場所を押さえましたから問題ありません。もちろん道中の警備も万全です。……それより、例のことであなたにお願いがあります」
「どうせこの年寄りをこき使おうっていう算段だろうが。……食えない若造が」
リガルドの言葉をふん、と鼻であしらい、ダレンはじろりとリガルドの端正な顔を見やる。
鑑定品の品定めでもするかのようなその目に、リガルドは心のうちまで見透かされそうだと思わず背を伸ばした。
フィリアがこれまで問題に巻き込まれずに無事でいられたのは、この男のおかげであることをリガルドはよく理解していた。フィリア自身も努力はしたろうが、あの無防備さを考えればかなり危うかったに違いないのだ。そのフィリアを守るために必要な手はいつでも貸すと、ダレンは約束した。リガルドがここに来たのは、そのためである。
「バッカードについて知っていることがあれば、すべて教えていただきたいのです」
その瞬間、ダレンの眉がぴくりと動いた。
「バッカードとはイリスもまずい相手に手を出したもんだ。自分の首をかけてでも、お前とフィリアに復讐する気なのかね」
現在イリスが行動をともにしているバッカードという男の実態を知る者は少ない。ところが、ある種の事件が起こると決まってこの男の影がちらつくのだ。バッカードは人身売買、しかも性的な目的での奴隷を専門に扱っていると目されていた。そんな男にイリスが近づいたのだ。
「イリスの狙いは、当然フィリアだろうさ。それと、お前さんもな。きれいどころの男を欲しがる貴族は多いからな。お前さんほどの見た目なら、高く売れるだろうよ」
リガルドは背筋に走る悪寒にぞわりと身を震わせながら、頭を振った。
「私はともかく、問題はフィリアです。あの子に害が及ばないようにするために奴の動きを知りたいのですが、あの男が人身売買の取引に使っている場所がどうしてもつかめなく……。あなたなら何かご存じではないかと思ったのですが」
ここのところフィリアと過ごす貴重な時間も惜しんで動いていたのは、それを調べるためだった。だが、大金が絡む闇取引とあって、誰も口を割ろうとはしない。こちらも相手に動きを悟られないために表立って嗅ぎまわるわけにもいかず、途方に暮れていたのだ。
「なんだ、目星がついたからあの劇場に行くんじゃなかったのか」
ダレンが意外そうに目を見張る。
やはりこの男は只者ではない。なぜか自分たちの動きまで把握しているようだ。ずっとベッドの上で寝たきりだったにもかかわらず、一体どこから情報を得ているのかと思わず眉をひそめた。
「一応疑ってはいますが核心は……。正直ああいう場には不慣れで情報にもうといんですよ」
リガルドとて、こんな危うい時期にあえて人目につく観劇などにフィリアを誘うべきでないくらいよくわかっていた。わかってはいたが、フィリアと離れている時間はどうにも耐え難かったし、それに劇場で確かめたいこともあったのだ。
劇場には、ありとあらゆる情報と噂が集まる。そしてあの劇場は、この国でもっとも豪奢で人気のある劇場であるとともにとある疑惑のある場でもあったし。
「ほう、なかなかやるじゃないか。……お前さん、あの劇場の新しい副支配人を知ってるか」
「いえ、確か一年前に着任したとか。その男が何か?」
ダレンがにやりと笑う。
「そいつはな……」
ダレンがもたらしたその情報は、核心に近づくに大いに役立つものだった。
(それならば、こちらに勝機はある。ならばさっそく連絡を取って……)
リガルドは、目の前に横たわるこの食えない老人に尊敬と畏怖を持って頭を下げた。やはりここに助言を求めにきたのは間違いではなかった。これで事態は動き出すだろう。
「ではすぐに当たってみることにします。貴重な情報に感謝します」
そうして部屋を立ち去ろうとしたリガルドを、ダレンが呼び止めた。
「お前、いつまでそうして自分を偽り続けるつもりだ?」
「偽るとは、どういう意味です……? 私は何も」
リガルドは、ダレンの言葉の意味を図りかねて言葉を濁す。
「血のつながらない相手に、いつまで兄妹ごっこを続けるつもりかと聞いているんだよ」
「……なっ! それは……」
リガルドは、言葉を飲み込んだ。言われてみれば、ダレンが、自分とフィリアとの間に血のつながりがないことなど気づかないはずもなかった。
「……もちろんあの子は真実を知らん。知っていたらとっくにここにはいないだろうからな。俺がお前にあの子を託したのは、なんでだと思ってる? 兄としてのお前を見込んでじゃない、お前ならあの子を一人の男として守ってやれるかと思ったからなんだがな。その上で、あの子に自分で望む未来を選ばせたかったからだ」
先ほどまでの鋭い色はもうなく何かを問いただすような静けさをたたえたダレンの視線に、リガルドは沈黙した。
「……覚悟を決めることだ。覚悟もできんようなら、お前にあの子は渡さん。もしフィリアがお前の元から去ることを望むなら、わしはどんな手でもつかって二度とお前の手の届かんところへ逃がすつもりだ」
その一言一言は、ずっしりと重く背中にのしかかるように響く。
「……覚えておきます」
フィリアの望みが何なのかは、リガルドには分からない。けれど再びフィリアがこの手を離れ、永遠に手の届かない場所へと消えてしまうかもしれないというその言葉に、指先が冷たく冷えていくのを感じた。
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