13話 そして終幕
イリスの血走った目がフィリアと合う。
完全に常軌を逸したその目つきに、フィリアの背筋に悪寒が走った。イリスの手には、細いナイフのようなものが握りしめられている。その刀身は、明らかにフィリアの方を向いていた。
とっさに、リガルドがフィリアを抱き込むようにして身構える。
「きいいいいいーっ! お前の! ……お前らのせいでっ! 何もかもっ、台無しに! 死ねぇーっ!」
フィリアはとっさに首元のペンダントを引きちぎり、ロケットの蓋を開けつつイリスの方へと放り投げた。
「目をつぶって! リガルド、ヨーク様」
ペンダントは空中をゆっくりと弧を描いて、イリス目がけて飛んでいく。それにイリスも気がついたのか、一瞬怯んだように見えた。
「……っ?」
一瞬、イリスのいる辺りが赤く染まった。
狙い通り、視界の先で飛び散る真っ赤な粉末は見事イリスの顔面にヒットし、部屋中にイリスのつんざくような悲鳴が響き渡った。
「ぎゃあああああっ! 痛い、痛いーっ! 染みる、ぐわぁぁぁっ……」
目や鼻の中にも粉末が入ったのだろう。その強い刺激に床の上でのたうち回り、その顔は涙とよだれと鼻水でひどい有様だった。
その絶大な効果に、我ながら目を見張る。
そして気づけば、支配人とイリスは縄で縛り上げられ、バッカードは床の上で完全に伸びていた。
もちろん客である貴族の男も、「あなたにも色々話していただきますよ。これは王命ですから、抵抗しても無駄なことはお分かりでしょう」とヨークに言われ、がっくりとうなだれて連れられていった。
そして地下の稽古場には、リガルドとフィリア、ヨークだけが残されたのだった。
「さてと、二人ともお疲れさん。ひとまずこれで捕獲は終了ってことで。……あ! 黒幕の男は別働隊がもう拘束済みだから安心していいよ」
ヨークがこの場にそぐわない間延びした声で、声をかける。
先ほどまでの鋭く凛々しい姿とは完全に別人である。
「ヨーク様、その変装……。もしかしてずっと近くにいたんですか?」
「ああ、大分前から奴らに疑われないように手下として入り込んでたからね。……にしても、君よく分かったね。僕の変装、そんなに甘いかな」
どこか不安げにヨークがつぶやく。
目の前に立つヨークは、以前に劇場で会った時とは大分雰囲気が違っていた。髪型も表情も、歩き方や話し方さえ。ただなんとなく、まとう雰囲気というのか気配が独特なのだ。どんな、と言われてもうまく説明できないのだけれど。
「なんとなく、ですかね……」
「ふぅん……。ああ、ちなみに君に薬を嗅がせて劇場に運び込んだのも僕だよ。だって君に何かあったら僕リガルドに絶対殺されるもん。そのためには君の安全は絶対に確保しないとって思ってさ。リガルドを敵に回したら怖そうだし」
ヨークがそう言った瞬間、周囲にブリザードが吹き荒れたように温度が下がった気がした。見るとリガルドが今にもヨークを氷漬けにしそうな顔で睨んでいた。
(こ、怖っ! ちょっと何そんなに怒ってるの)
驚くフィリアをよそに、それを気にするふうもなく飄々としてヨークがにっこりと微笑む。
「とにかく、君には何も危害は加えられていないし、着替えさせたのも正真正銘イリスだから安心して」
「ありがとうございます。守ってくださって。おかげでイリスにもやり返せたし。すっきりしました」
そう言うと、ヨークが無邪気な表情を浮かべて笑った。
「本当にけがはないんだな。痛むところも?」
ヨークの言葉だけでは安心できないのか、リガルドがたずねる。
リガルドの目が不安そうに揺れている。
その目に自分の姿が映っているのをみて、近すぎる顔の距離に今さらながら戸惑う。けれどそれほどリガルドの心を揺らしているのが自分なのだと思うと、嬉しくもあり。
「うん。大丈夫。それより、リガルドは……?」
「私はそもそも薬も飲んでないし、すぐヨークに気づいたからな」
安堵するフィリアの肩口に、リガルドの頭がもたれかかる。その重さと熱にドキリと胸が高鳴り、思わず身を固くする。
「バッカードに触れられた時は、奴を八つ裂きにしてやろうかと思った……。でも、本当に無事で良かった。姿を見るまで生きた心地がしなかった」
リガルドはそう言うと、ゆっくりと頭を持ち上げバッカードが触れた顎にそっと指をかける。
(待って待って待って待って! ここ、皆見てるからね! リガルド、落ち着いてーっ)
すぐそばにヨークもいるのに、リガルドにはそんな姿も目に入っていない。フィリアは顔は真っ赤にしながら、意識が飛ばないよう必死に耐えるしかない。
(うわわわわ……。ああ、もうどうしよう。もう無理)
あと少しで魂が抜け出しそうになった辺りで、ヨークの声が聞こえた。
「ええっと……うん。リガルド、ちょっとそれ後にしてくれるかな。悪いけどあまりここでゆっくりもしていられないんだ。とりあえずは外に出よっか。ね?」
その声にようやくリガルドが離れる。
興奮状態にあったせいだろうか、今になって色々気になって落ち着かない気持ちになってしまう。しかも、今になってとんでもないことに気づいてしまった。
(私あれからずっと抱きしめられたまま……! ちょっと、ヨーク様も何か言ってくれたら良かったのに。恥ずかしい……!)
穴があったら入りたいとはこのことだ、と悶絶するフィリアである。
そんなフィリアに、リガルドが近くにかけてあった白い布をつかむとフィリアの身体にぐるりと巻き付けた。
(そうだった……。私ひどい格好してたんだった。もう何もかも、頭から飛んじゃってたわ)
「あ、ありがとう……」
口ごもるようにもごもごとうつむきながら、リガルドに礼を言う。
「さ、出よう。上で、君たちの帰りを今か今かと待ってる人がいるようだからね」
「フィリア、劇場の外でミリィを待たせているんだ。とりあえず顔を見せてやろう」
リガルドの言葉に、フィリアは途端に懐かしいような気持ちになって大きくうなずき、劇場を後にしたのだった。
劇場の外は、あんな物騒な事件が起きていたなんて想像もできないくらい、穏やかに静まり返っていた。やっと終わったのだとほっと長い息を吐き出した瞬間、道の向こうからミリィがすごい勢いで飛びついてきた。
「フィリアお嬢様ーっ! ご無事ですか? 奴らに変なことされてませんか? けがは?」
強い衝撃に倒れ込みそうになりながらも、必死にミリィをなだめる。
かわいい顔を涙でぐしゃぐしゃにして、ミリィがわんわん声を上げて泣いている。その様子にどれだけ今まで心配をかけていたのだろうと、胸が痛くなる。
「うん。大丈夫。けがもないし、リガルドもヨーク様もちゃんと守ってくれたから。……心配させてごめんね、ミリィ」
「うわーんっ! お嬢様ぁ! 良かったですぅ。本当に心配したんですからぁ!」
ヨークはそんなミリィをおもしろそうな顔で見ていたけれど、その目にきらきらした好奇心のようなものが浮かんでいたのは、気のせいだろうか。
「さて、僕たちはこれからあいつらの取り調べがあるからもう行くけど、君たちはとりあえず今日のところは帰っていいよ。いずれ色々話を聞くことにはなるだろうけどね」
そう言って、捕まえた者たちとともに王宮へと走り去っていった。
屋敷へ向かう馬車の中、リガルドはひとときも手をつないだまま離そうとはせず、それをじっとりとどこか憐れむような視線のミリィが見ていた。
そんないたたまれない雰囲気の中、気づけばフィリアは馬車の心地よい揺れとリガルドのあたたかさに包まれ、うとうとと眠りに落ちていったのだった。
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