12話 捕らわれた二人

 

 フィリアが地下に捕らわれてから、どのくらいの時間が経ったのだろう。窓がないせいで、時間の経過がわからない。


 さすがにこう長いこと放置されると、不安になってくる。


 しびれを切らし始めた頃、ようやく部屋の扉が開いて、くたびれた人相の男がひとり入ってきた。

 無言で鎖をじゃらりと外し、フィリアの背後に回り込むと、フィリアの手首を縄で縛り上げる。


(……ん? なんだか縄が緩いような。それに、この人……)


 覚えのある気配に、フィリアが男の顔をそっと覗き込もうとした時。


「レディ。もう少しの辛抱ですよ。リガルドも無事ですから、その時までもう少し我慢してくださいね」


 聞き覚えのあるその声にフィリアは思わず声を上げそうになり、慌てて飲み込んだ。


(やっばりヨーク様っ? じゃあ……)


 外見はまったく違うが、なんとなく気配に覚えがある気がしたのだ。


「お芝居のはじまりだよ、フィリアちゃん。静かにしててね」


 そして理解した。ヨークがここにいる以上もう事件は、解決目前であることを。


 首輪をはめられたまま、じゃらじゃらと鎖を引っ張られるようにして部屋から連れ出される。一回り大きな稽古場の壇上に立つように指示され、ゆっくりと上る。

 そこには。


(リガルド……!)


 同じ壇上には、後ろ手に体を拘束されて膝立ちになったリガルドの姿があった。


 後ろでひとつにまとめられた黒髪がほどけかかり、顔を半分隠している。そしてその表情はどこか虚ろにも見えた。

 が、そっと隣から伺い見ればそれが芝居だと気づいた。


(ヨーク様が無事だと言っていたし、きっと薬を飲まされたふりをしてるのね。なら……)


 フィリアもまた、もう観念したとばかりに悲壮感を漂わせながらうなだれ、周囲の動きを伺う。


 すると扉の方から、客をともなった支配人とバッカード、そしてイリスが現れた。

 客の男は顔の上半分にベールをつけてはいるが、その口元には隠しきれない下卑た笑いが浮かんでいるのが遠目でも見て取れた。

 豪奢な身なりからして、かなり高位の貴族なのだろう。


 むかむかする気持ちをなんとかこらえ、しおらしくうつむいて様子を伺う。

 

「さぁ、お近くでどうぞお確かめください。こちらもなかなかの上玉ですよ。これをご覧ください」


 いきなりバッカードが近づいてきたと思うと、フィリアの横に立つ。

 そしておもむろに指をフィリアの顎にかけ、ぐいっと首元を客の前に見せつけた。


 手袋越しとはいえ、直接触られた恐怖に危うく悲鳴を上げそうになったのをなんとか飲み込む。


「娘のこの細く白い首元をご覧なさい。これをじわじわ真綿のように時間をかけて締め上げるのも、一興ではございませんか? さぞいい声で鳴くでしょう。くくく……」


 心の底から愉悦を感じている様子に、ぞわぞわと全身に鳥肌が立つ。


 客の男はフィリアの首元をねっとりとした視線で眺め、満足そうにうなずいた。

 そして隣のリガルドにも、その熱のこもった視線を移す。


「そしてこちらは、まあ見ての通りです。薬の効果はあと半刻ほどで切れるでしょうが、もしご入用なら別の薬をお渡しいたしますよ。それはもう極上の快楽を引き出してくれるいい薬でしてね」


 バッカードはリガルドにはさほど興味がない様子だったが、客の方はリガルドに大分ご執心のようでその目がぎらぎらと興奮に輝いている。


「はっはっはっはっ! まさかノートン家の当主を飼えるとはな。まさに極上だ。一千ベリル払ってもいい。それと、こちらの娘も悪くない……そうだな。三百ベリルでどうだ?それと、その薬も頼む」


(ちょっと! リガルドが一千ベリルで私が三百ってどういうこと?) 


 つい突っ込んでしまったけれど、確かにリガルドの方が極上には違いない、とどこか納得する。


 とはいえ、その醜悪さにフィリアは思わず顔をしかめそうになるのをぐっとこらえた。今ここで余計なことをして計画の邪魔をするわけにはいかない。


 ちらりと隣のリガルドに視線を移すと、やはりそのこめかみに青筋がくっきりと浮かんでいた。


 美形が怒りに静かに燃えている姿というのは、はたで見ている分にはある意味眼福なのだなと思ってしまったのは秘密だ。


 ふとちらりと部屋のはしに控えているイリスに目を向ける。満足そうな笑みを顔いっぱいに広げて、こちらをじろじろと観察しているのが見えた。


「お気に召していただけると思っておりました。では商談は成立ですな。早速、こちらに署名をいただけますかな?」


 支配人がでっぷりと肥えた腹を揺らしながら売買契約書らしき書類を客に差し出すと、男は一瞬のためらう様子もなくさらさらと署名しはじめた。


 そして。

 書き終えると同時に、ヨークの威圧するような大声が部屋に響いた。


「劇場支配人マリヤ、並びにその協力者バッカード、イリス! お前たちを人身売買の罪名でこの場で捕縛する。引っ捕らえよ!」


 一瞬にして稽古場の中に緊迫した空気がみなぎり、一体どこに身を潜めていたのかわらわらと部屋の四方からヨークの手の者たちが一斉に姿を見せた。


 そこからはあっという間の展開だった。

 ヨークが目の前にいた支配人をすばやく取り押さえ、部下が逃げようとする客の男を後ろ手に縛りあげる。逃げ出そうとする一味の者たちを次から次へと倒し、取り押さえていく。


 フィリアはすぐに手首の縄を解いて逃げようとするも、首輪につながれたままなことに気がついて焦っていた。が、隣にいたリガルドの腕がフィリアを強くかき抱き、あっという間に首輪を外し自由にしてくれた。


「あ、ありがとう。リガルド」

「大丈夫か、フィリア」


 すっぽりとリガルドのたくましい身体に包まれ、こんな状況下にも関わらず思わず胸を高鳴らせてしまう。


「くそっ! こんなはずでは……!」


 思わず頬を染めるフィリアの視界の隅で、ヨークの部下の手から逃れようとしたバッカードがリガルドの目の前を横切ろうとする。その瞬間、あっという間の早業でその後頭部にリガルドの長い足が弧を描いて回し蹴りが命中し、バッカードは派手に床に吹っ飛んだ。ものすごい音がした気がしたけれど、果たしてバッカードは生きているのか心配になるくらいの衝撃だった。


 そのあまりの鮮やかさに、フィリアは驚きを隠せない。


 しかし呆けている間もなく今度は、フィリアの視界にあるものが飛び込んできた。それは、奇声を上げながらこちらめがけて走り寄ってくるイリスの姿だった。



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