11話 過去との再会
馬車で運ばれていた、はずだった。
だが、気づけばフィリアは小さな部屋の中に閉じ込められていた。
(この床と壁の色、劇場だわ、ここ! ということはあのまま劇場に運ばれて……)
周囲に人の気配はなく、縛られていたはずの手と足も自由だ。しかし、代わりに首輪のようなものがはめられ、太い鎖で部屋の柱につながれていた。
そしてもうひとつ、大きく異なる点があった。
そのことに気づき、フィリアは一気に青ざめた。
(なんなの? この服。一体誰が着替えを? ま、まさか馬車に乗っていた男たちが……)
フィリアが着ているのは、体の線が透けて見えそうな薄手の真っ白なドレスだった。コルセットも外されているため、ほとんど下着に近い格好である。
これに着替えさせたのがあの男たちかもしれないと思い、フィリアは激しい嫌悪に身体を震わせる。
(運ばれるまでの間、一体何が……?)
その時だった。
カツカツカツ、と乾いた音が檻に近づいてきて、懐かしい声がした。
「久しぶりねえ、フィリア。随分大きくなったじゃない」
イリスだった。
この二年半の間に何があったのかは知らないが、肌にも髪にも艶はなく、身体の線も大分崩れてしまっている。厚化粧と服でなんとかごまかしているようだが、当時を知っているフィリアにはひと目で厳しい生活だったのだろうと分かった。
「ん? ……ああ、あんたを着替えさせたのは私よ。安心なさい。最後にそんなきれいな格好をさせてあげたんだから、感謝するといいわ。なんたってあんたはこれからリガルドと一緒に、貴族様に売られるんだもの。小奇麗にしておかないとねぇ」
その言葉に、フィリアははっと首元を押さえた。
「ペンダントだけはそのままにしといてあげたわ。そんな安っぽいもの、大方あんたの母親の形見とかでしょう。それくらい、後生大事に新しいご主人様の元に持っていけばいいわ」
フィリアはペンダントの中身を改められていないと知り、安堵する。
おそらくは武器などを隠し持っていないかも調べるために、わざわざ着替えさせたのだろう。もしリガルドの言うことを聞かずにナイフでも持ち込んでいたら、大変なことになっていたかもしれない。
フィリアは、イリスの様子を伺う。
ここにいるのは、どうやらイリスと自分だけのようだ。リガルドの姿もないし、支配人とバッカードの姿もない。
「……売られるってどういうこと?」
こちらが計画を知っていることを、決して悟られるわけにはいかない。
人身売買も、バッカードのことも知らないふりをしなければ。
「ふふ。そうね、教えてあげてもいいわ。……あんたはこれからリガルドと一緒に、お金持ちの貴族様のところに奴隷として買われていくのよ。その殿方はね、若くてきれいな男が好きなんですって。リガルドはきれいな顔をしてるもの、間違いなく高値で買ってくださるわ。そうそう、あんたは壊れるまでいたぶって遊びたいらしいわよ。嗜虐趣味っていうのかしら。どう? 嬉しいでしょう」
「悪趣味ね。私たちへの復讐のつもり? リガルドはどこ? ここには私しかいないようだけど」
フィリアの問いに、イリスはご機嫌な様子で答える。
「すぐに会えるわ。それに、これからも二人一緒に同じお屋敷で飼ってもらえるのよ。喜んだらどう?」
その言葉に、たまらずイリスをにらみつける。
(本当に最低。やっぱり飛び道具のひとつも持ってくれば良かった)
そこに一人の男がカツン、と靴音を立てて近づいてきた。
「おや、ここにいましたか、イリス。……その子に傷をつけられては困りますよ。大事な商品なんですから」
一見、物静かなとりたてて特徴のない、ひょろりとした細身の男だ。だが、銀縁の眼鏡の奥にはどこかぞくりとする気味の悪さがのぞいていた。
体温を感じさせない蛇のような気配に、フィリアはこれがバッカードと呼ばれる男なのだと理解した。
「ふん、承知してますよ。本当は顔に傷でもつけてやりたいけど、あの客に売れればもっとひどい目にあうでしょう。そのほうが気分がいいもの」
「まったく、あなたらしいですね」
イリスの言葉に呆れたように苦笑すると、バッカードはフィリアの方へ顔を向けた。
「……お嬢さん、怖がることはありません。人は慣れる生き物なんですよ、どんなに辛く絶望的な状況でもね。そのうち抵抗する気もなくなりますから、心配はいりません。真の快楽とは、その先にあるものなんですから」
フィリアは、その穏やかな口調の中に潜む残虐さに気づき、心底怖いと思った。
バッカードは、こうした状況をただひたすらに純粋に楽しんでいた。人の恐怖がこの男にとっては快楽となるのかもしれない。イリスなどとは桁違いの狂気に、フィリアはこんな男と手を組んだイリスの気がしれないと身を震わせる。
「もうすぐあなたのお兄様の支度も整うはずです。今別室で薬を飲まされている頃ですから。まぁ、意識が朦朧としているでしょうから、まともに話はできないと思いますが」
そう言って、バッカードがにこりと微笑む。
思わずフィリアは、首輪でつながれているのも忘れバッカードに詰め寄った。
「ちょっと、薬って何? リガルドに何をしたの? ……イリス! あなたが一番憎いのは私でしょう。だったらリガルドなんかに構ってないで、私だけに復讐したらどう?」
その言葉に、イリスがおかしそうに口元を歪ませた。
「馬鹿ね、あの男を許すわけないじゃない。初めからあんたたち二人ともに復讐するつもりだったのよ。楽しみだわ、あんたたちが不幸になる様をこの目で見れるなんて」
イリスの顔に、下卑た笑いが浮かんだ。そして鎖が届くギリギリの距離まで近づくと、声を潜めた。
「いいこと教えてあげる。……あんたとあの男は兄妹なんかじゃないわ。血のつながりなんて一滴もないの。リガルドは昔からあんたに夢中だったし、あんただってまんざらじゃなかったでしょう。目の前で愛する人が凌辱されるのを見ながら壊れていくなんて、最高の復讐だと思わない? こんな素敵なショーはないわ。ざまあみろよ」
イリスの目に、狂気がきらきらときらめく。
フィリアは唇を噛んだ。
(どうすればいい? 首輪は外れそうにないし、きっとこの部屋にも鍵がかかってるだろう。薬って言ってたけど、リガルドは大丈夫なの?)
自由にならない体で、フィリアは必死に考える。
今ヨークたちが突入したところで、バッカードとイリスしか捕まえられないし、売買の現場は抑えられない。ならきっと、客が来て売買が成立したところでヨークたちが動くに違いない。
となれば、今できることはできるだけイリスの注目を自分に向けておくくらい。
フィリアは、くっと顔を上げてイリスに向かってにやりと挑発するように笑ってみせた。
「それがどうしたの? とっくに知ってたわ。ねえ、イリス。私ずっとあなたに言いたかったの。……私はもう絶対に、あなたの思い通りにはならない。あなたがどんなに卑怯な手を使っても絶対に阻止してみせる。だって、今のあなたに一体何ができるの? そんな肌も髪もボロボロで、すっかりくたびれたあなたに」
イリスの顔が怒りでみるみるどす黒く染まっていき、目は吊り上がり、大きく血走った目が零れ落ちそうなほど見開かれた。
とはいえ、バッカードの狂気に比べればかわいいものだ。頭の中は目の前の怒りに燃えるイリスではなく、すでにリガルドに向いていた。
(リガルド……。どうか無事でいてね)
祈るしかできないフィリアだった。
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