10話 そして捕らわれる
ゴトゴトと荒い音を立てて、激しく揺れながら走る馬車の中で、フィリアは必死に手首の縄と格闘していた。
大事な商品に傷が付かないようにだろうか。手首は痕がつきにくい柔らかな布で縛られ、馬車の床にもクッション代わりの布が敷き詰められていた。
口には猿ぐつわを噛まされているせいで、声も出ない。
(男たちも手慣れているみたいだし、いつもこうして奴隷にする人たちを運んでいるんだわ。イリスはバッカードと一緒に劇場で到着を待っているのかしら。それとも、別の場所に……?)
フィリアは、少し前の記憶をたどった。
アドリアが早朝にフィリアを迎えにきて、フィリアは指示通り大人しく従った。さもアドリアからの関係修復の申し出を、喜ぶふりをして。
「一緒に景色のいい所で食事でもと思って。せっかく久しぶりに再会したんだもの。喜んでくれるでしょう? フィリア」
アドリアが以前と同じ高飛車な雰囲気を漂わせながら、でもどこか媚びを売るようにフィリアに話しかける。
「ええ、もちろんよ……。アドリア様」
そう応えるフィリアもまた、絶妙に怯えをにじませてぎこちない笑顔を見せる。
その二人のやり取りに満足げな表情を浮かべた案内役の男たちが、アドリアとフィリアを乗せて馬車は走り出した。
そして今、隣にアドリアはいない。途中所用があると降りたまま、アドリアは戻ってこなかった。どうやらそういう手筈だったらしく、すぐにフィリアは拘束され別の馬車に乗せられたのだった。
アドリアが馬車を降りる直前、一瞬こちらを見た目に心配の色が浮かんでいたのに気がついた。きっとあれは、アドリアにも知らされていなかった行動なのだろう。
(にしてもこの馬車、どこに向かってるのかしら。劇場に向かうには遠すぎるし、随分悪路だから街道沿いではなさそう。獣道にしては草の匂いがしないし)
馬車の中には、上の方に小さな空気穴程度の小窓がひとつあるだけで、外の様子はまったく伺えない。音も、車輪の音がうるさすぎてよく聞こえない。
つまり、フィリアが今手にしている情報はほぼないに等しかった。
(ヨーク様たちが追跡してくれているんでしょうけど、やっぱり少し不安かも。リガルドはもうイリスに呼び出された頃かしら……)
どんなに強がってみても、護身術を習っていても、やはりそこはただの小娘なのだ。
怖いものは怖いし、人身売買なんて悪趣味なことを考える連中も気持ちが悪い。そんな取引場所に連れて行かれると考えただけで、背筋がぞわぞわする。
(アドリアも無事かしら。お腹に子どもがいるんだもの、体に障りがないといいけど)
久し振りに会ったアドリアは、以前とは比べ物にならないくらい穏やかでやわらかい印象に変わっていた。
きっと幸せな結婚生活を送っているのだろう。
同行していた男たちの目があるため余計な話は何もしなかったけれど、話さなくても今のアドリアが敵ではないことはすぐに分かった。
(アドリアが幸せで良かった。ある意味アドリアもイリスの犠牲者なのかも。……もうちゃんとイリスと決着をつけて、あんな弱い自分とはおさらばしなくちゃ)
フィリアはそう言い聞かせて、自分を奮い立たせていた。
◇ ◇ ◇
「ダルトンはヨークとの連絡役を、ミリィはフィリアを保護した時に必要になりそうなものを揃えて劇場近くで待機していてくれ。ハンナたちは屋敷を頼む。いつ戻るか読めないからな」
テキパキと使用人たちに指示を出しながら、リガルドは必死に冷静さを保とうと自分に言い聞かせていた。
ともするとフィリアを心配するあまり今すぐ駆け出したくなるが、そんなことをすればイリスたちにあやしまれてしまう。あくまで、あちらからの指示が来るまで知らぬふりで待つしかないのだ。
「リガルド様っ! きました」
一通の手紙を手に、ダルトンが足早に近づいてくる。それをもどかしげに受け取ると、中を確認する。
「あちらはなんと?」
「予想通りだ。フィリアの身と引き換えに、私に劇場に来いと。そこで捕まえて二人もろとも売買にかけるつもりだろう」
手紙の差し出し主は、バッカードではなくイリスだった。
足がつくような手紙を、バッカードがわざわざ署名入りで出すわけもない。イリスの名前があれば、もしフィリアの誘拐がバレたとしてもイリスの単独犯行と言い逃れできるのだから。
「ヨーク様からの報告では、フィリア様が運ばれているのは、王都の端にある水路周辺のようです。一体あんな何もないところで、奴らは何を……」
「恐らくあの辺りにある古い地下道を使って、劇場に入り込むつもりだろう。ヨークの調べでは地下道と劇場の地下がつながっているようだから」
あの劇場の地下が取引場所に選ばれたのも、それが一番の理由だろう。まさか由緒正しい劇場で人身売買が行われているとは誰も思わないし、地下道を使えば誰の目にも付かずに出入りできる。
「では、劇場に乗り込むまではフィリア様の身の安全を確認するすべはありませんね……」
ダルトンの表情が重く陰った。
「あの子なら大丈夫だ。それにヨークの仲間がすでに何人も劇場内に入り込んでいる。万が一の時は助けに入ってくれるはずだ」
ヨークは、いざとなれば王命を優先するだろう冷徹さも持ち合わせた男である。だからこそ、それを鵜呑みにしているわけではない。
だが、今はそれを信じるしかないのだ。
「それは、ええ。もちろんそうでしょうが……」
今はもう、やれることを粛々とこなすしかない。冷静さを欠けば、それがフィリアの危険につながる。絶対に、失敗は許されない。
(待っていてくれ、フィリア。すぐに迎えに行く。必ず……)
リガルドの濃藍色の目がぎらり、と強く光った。
そして、リガルドはすぐにイリスの指示通り指定された場所へと一人向かったのだった。
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