10話 副支配人ヨーク

 そのなまめかしく肉感的な腰つきを、なんとも言えない気持ちでフィリアは見送った。


 正直に言って、苦手なタイプだと思った。

 そんな人がリガルドの恋人でなくて本当に良かったと安堵すると同時に、リガルドがそんな女性の香りを不可抗力とはいえ身に移していたことにもやっとする。それにあの態度だ。なぜ初対面の自分にあんな不愉快な態度を取るのだろうか。あれは明らかにこちらを子どもだと馬鹿にして下に見ていた。


(……それに随分高そうなドレスを着てはいたけど、貴族っていう雰囲気ではなかったような。……にしてもリガルドはどうしてあんなに怒ってたのかしら)


 これほど端正な顔立ちの男が絶対零度の怒りを静かに滾らせている姿というのは、なかなかの迫力だ。ある意味、貴重なものを見れたような気もする。ひょっとしてリガルドも、あの女性を好ましく思っていないのだろうか。

 そのことに少しだけほっとする自分がいる。


 リガルドはその後、あの女性について何も語ろうとしなかったし、興味もないようだった。それに身にまとう雰囲気も、気づけばすっかりいつものリガルドに戻っていた。





 爽やかな酸味のある果実酒をちびりちびりと味わいながら、会場内を眺める。


(一口に貴族と言っても、色んな人がいるわね。気取った人ばかりだと思ってたけど、中にはとても感じのいい優しそうな人もいるし)


 ここにこれるのは、お金のある貴族かもしくは裕福な一部の商家の人間くらいだ。少なくともただの町民が足を運べる場所ではない。


(まるで劇場そのものが美術館みたい。王族も利用するって言ってたし、こんな素敵な場所に連れてきてくれたリガルドに感謝しなきゃ)


 そんなことを思いながら、先ほどの女性のことなどもう忘れて再び夜を楽しんでいた。


「おや、これはこれは、ノートン家のご当主様ではございませんか。今宵は当劇場に足をお運びいただき、誠に光栄でございます」


 そこに今度は、落ち着いた渋みのある男性が声をかけてきた。

 なんとも忙しい夜である。


「しかし、このような華やかな場にあなたがお越しとは珍しいですね。しかもとびきりの可憐な花をお連れですし。……こんばんは、レディ」


 思わず、歯が浮きそうになった。マダムのような嫌な感じはまったくしないけれど、別の意味で頬がぴくつく。


 制服のような服装から言って、客ではない。おそらくはこの劇場の人間だろう。柔らかな品のある物腰は、対する者の気をふと緩ませるようなそんな人懐っこさも感じさせる。


「あなたは、副支配人のヨーク様ですね。……実はこの劇の評判を聞きつけまして、それならばぜひにと妹を連れてきたのですよ」

「それは光栄な。……いかがでしょう。お気に召していただけておりますでしょうか」


 ヨークと呼ばれた男は少し垂れ気味の目をにっこりと細め、優しい口調でフィリアに問う。


「はい、もちろんです。……とても素敵で胸がいっぱいになりました」


 そのするりと人の警戒心をほどくような微笑みに、フィリアの口から素直な感想がこぼれる。


「それは大変ようございました。でしたら、二幕はきっともっとご堪能いただけると思いますよ。皆様ハンカチなしにはご覧になれないと評判なのです」


 先ほどのマダムとは正反対の悪意など微塵も感じさせないにこやかな人好きのする態度に、フィリアは肩の力が抜ける気がした。


「妹君はとても素敵なお方ですね、ノートン伯爵。……これほどお美しいと、少々ご心配なこともおありでしょう?」


 どこか意味ありげな言葉に、フィリアは首を傾げた。何のことかとリガルドを見上げると、その口元には愉快そうな小さな笑みが浮かんでいた。


「おっしゃる通りなのですよ。……実はこの子のために、とっておきの宝石を探していまして。世になかなか出回らない逸品を扱う秘密の取引が開催されていると聞いたのですが、あなたはご存じですか」


(とっておきの宝石? っていうか、美しいって私のこと? ……えええええ?)


 思わず照れるフィリアの視界のはしで、ふとヨークの目に一瞬ちらりと強い光がちらついた気がした。


「さて、私は一介の副支配人ですからね。……ただ、口を利いて差し上げるくらいはお手伝いできますよ」

「ならばぜひお願いしたいものですね。もちろんそれなりの対価はお支払いしますよ」


 フィリアには何の話をしているのかさっぱり分からないものの、気づけば何かの商談がはじまっていた。


 首を傾げるフィリアの前で、リガルドとヨークがにこやかな表情を浮かべて視線を交わす。


「かしこまりました。では、詳細は後日お伝えするといたしましょう。では、どうぞ最後までお楽しみくださいね。レディ。素敵な夜をお過ごしくださいませ」


 そう言うと、ヨークは最後に自分への気遣いも忘れることなく優雅な物腰でゆったりと去っていった。


 こうして幕間の時間は、どこかせわしなく過ぎていくのだった。




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