11話 夢はいつか覚めるもの
切なげな歌声が、劇場全体に響き渡る。
この話は、宰相の娘と下位貴族の男の身分違いの恋を描いた悲恋ものだ。
一幕では、主人公と男がまるで番う小鳥たちのように幸せそうに、朗らかに歌う。
そして二幕では一転、主人公に他の男との縁談が持ち上がる。家の将来を思えばそれを断ることもできず、主人公はせめて愛する人を自由にしようと偽りの言葉を口にして、恋人に残酷な別れを告げる。
しかし男は主人公をあきらめきれず、その身ひとつでともに海を渡ろうと誘う。その誘いに迷いつつも、家族の思いを犠牲にはできないと男の誘いを振り切るのだ。
『あなたを愛したことなどありません』
『その腕の優しさも肌のぬくもりも、すべては幻想なのです。だからどうぞ、私のことなど忘れて他の誰かと幸せに』
主人公の悲しみに溢れた声が、聴衆の胸を打つ。
それに応えるように男が歌う。
『あれが幻想などどうして思えようか。今もあなたのその手触りを覚えているのに』
『ずっと愛していた。一目会ったその時に、私はあなたを全身全霊で愛したのだ。唯一の人』
狂おしいほどの愛を、男が叫ぶように泣き咽ぶように歌う。
そして三幕になり、舞台は荒れた夜の海に変わる。愛する人以外のもとへ嫁ぐなどできないと逃げ出した主人公は、一人荒れた夜の海を渡るのだ。
『さようなら、愛しい人。どうか私のことは忘れて。私は遠い海の向こうであなたを思い続けます』
『弱い私を許してください。一目会ったその時から、私もあなたを愛したのです。唯一の人』
荒波が主人公を襲い、その姿は見えなくなっていく。
主人公の旅立ちを知った男はその後を追うも、その行方は知れない。そしてあれほど愛し合った恋人たちは二度とその消息も聞くことなく、ただ互いを思いながら生を終えるのだ。
最後の一節が静まり返った劇場のすみずみまで響き渡り、舞台は暗転する。
そのあまりに切ない幕切れに、あちらこちらからすすり泣く声が漏れた。そして大きな拍手が、さざ波のように大きく広がっていき熱狂のような歓喜の拍手に包まれた。
舞台を見終えたフィリアの目からも、とめどなく涙があふれた。
けれどその涙の意味は、歌声の美しさや物語の素晴らしさへの感動ではなく、じくじくとうずく胸の奥の痛みだった。
(……ああ、こんなの観なければよかった。だって、わかってしまったんだもの……)
フィリアの脳裏に、あの香水の香りが蘇る。
あの強く甘く香る残り香と、余裕のある美しい大人の微笑み。子ども扱いされて見下された時に感じたあの嫌な気持ち。なぜあの香りにあれほどもやもやした感情を抱いたのか、なぜあの人に子ども扱いされて頭にきたのか。
その理由が、ようやく分かったのだ。
嫉妬したのだ。いつの日かリガルドを独占する誰かに。そしてその相手はきっと、リガルドと身分も容姿も釣り合う大人の女性なのだと。そのどれひとつ満たしていない自分が、ひどくみじめに思えた。どんなに素敵なドレスで着飾っても、自分ではリガルドに到底釣り合わない。
(私にはせいぜいキャンディがお似合いだ。だって、妹だもの。リガルドだって、頭をなでてくれるのもこうして連れ出してくれるのも優しくしてくれるのも、妹だから)
フィリアは、涙に濡れた頬を乱暴に拭った。
(だから私、お屋敷を逃げ出したんだわ。身売りからでもイリスたちからでもなくて、このままリガルドのそばにいたらいけないって思ったから。恋してはいけない相手なんだもの。だからもう、リガルドには会ってはいけなかったのに。気づきたく、なかったなぁ……。このまま兄だと思って、気楽に甘えられたら良かった)
はじめはただの淡い初恋だった。孤独を埋めてくれたリガルドに、ほのかな思いをいだいただけだった。
でも自分でも気づかぬうちに、リガルドへの思いは確かな恋心へと育ってしまっていたのだ。
頑なに女性として生きることを拒んでいたのも、リガルド以外の誰かと恋も結婚もしたくなかったから。
そして、必死にそれに気づかないふりをして感情に蓋をし続けた。気づかないふりをすれば、あれは淡い初恋だったと笑って懐かしむことができるから。
(血のつながりがなければ、良かったのにな。それなら、思いを打ち明けて恋を終わらせることができたのに)
せめて、きちんと打ち明けて終わりにできる恋なら良かったのに。
フィリアはそう思った。
主人公の身を切るような切ない歌声を思い出して、フィリアはぎゅっと強く目を閉じるのだった。
外で待機していたミリィにすっかり落ちてしまった化粧を直してもらい、劇場をあとにする。帰りの馬車の中で、フィリアは必死に明るく振舞っていた。
「リガルド……今夜は本当にありがとう。こんな素敵な場所に連れてきてくれて」
必死に明るい声を振り絞る。
こんなに素敵な場所でこんな一夜を過ごせたのだ。二人で過ごす最後の思い出にするには、最高の舞台だろう。これが思い出になるのなら、最後の一瞬まで笑っていたい。兄と妹として、屈託なく。せめて思い出す記憶くらい、幸せなものであって欲しいと思った。
そうして夜は更けていく。
フィリアの心と貼り付けた笑顔はちぐはぐだったけれど。胸は締め付けられるようにきしんだけれど。エスコートしてくれるリガルドの腕はどこまでも優しく、その表情は見惚れるくらいあたたかかった。
もう充分だ。そう思えた。
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