2話 男装少女、鑑定屋の小僧になる


「髪伸びたな、フィル」

「え?」


 ダレンの言葉に、耳の辺りの髪を一筋つかみ上げる。この前切ったのはいつだったか思い出そうとして、眉間に皴を寄せた。


「思い切って、もっと短く刈り込もうかな。その方がもっと男っぽく見えるし」

「やめておけ」


 間髪おかずに止められて、口を尖らせた。いい考えだと思ったのにとぶつぶつ言う私に、ダレンは深いため息をついた。


「忘れてるかもしれんがな、お前はもう十九才なんだぞ。フィリア」


 そう呼ばれて、フィリアは面白くなさそうな顔で口を尖らせた。


 ここは町はずれの鑑定屋。骨董品や絵画、宝石などの鑑定を生業にする小さな店だ。過去に一度だけ面識のあったダレンのもとに、その身一つで転がり込んでもう二年と半年になる。


『お前さん、ノートン家から逃げてきたんだろ。ったく、そんな格好で……。かくまってやるから、俺の店にこい』


 あの夜、フィリアは屋敷から逃げる途中で走り疲れて座り込んでいたところをダレンに拾われた。どうやら以前ダレンが仕事でお屋敷を訪れたときに、会ったことがあるらしい。

 その縁で、今はここでフィルと名乗り、男の格好で弟子兼家事手伝いとして暮らしている。


 目利きは確かだが偏屈と評判のダレンに弟子が、と町の人たちは随分驚いたらしい。


「まったくお前は、いつまでそんな格好を続けるつもりだ? ここで女として暮らすのはそりゃ問題かもしれんが、住み込みの働き口ぐらい俺が用立ててやるといってるだろうが」


 そうは言われても、フィリアには今さら女性に戻る気はない。

 若い女性が一人で生きていくのは難しいし、男のふりをしていたほうがイリスたちからも身を隠しやすいし。


 けれど、フィリアはダレンに心から感謝していた。頼るあてのない十七才の娘がたったひとり生きていくためには、もしかしたら自分を売り物にして生きていく他なかったかもしれないのだ。


 ダレンは口は悪くて偏屈だけれど、情が深くてとてもあたたかい。

 だからフィリアは思っていた。このままずっと、ここで暮らせたらいい。たとえ、女として一生生きることができなくても、と。


「この先結婚する気もないし、このままでいい。仕事だって男の方が働き口多いし。それに私がいなくなったら、ダレンだって寂しいでしょ」


 そう言って、にっと笑って見せる。


 いつも通りの返事に、「頑固なやつめ……」と苦虫を噛み潰したような顔で首を振ると、ダレンは再び居眠りをはじめた。


 こくりこくり、と気持ち良さそうに舟をこぎはじめたダレンの向こうに、夕日がきらめく。


 そのきらめきにふと懐かしい記憶がよみがえった。それは、キラキラと色とりどりに輝く小さなキャンディと口の中に広がる甘酸っぱさ。そして、一見冷たくもみえる切れ長の目の奥に隠れたあたたかい光。

 その優しい手の平の感触を思い出し、フィリアはそっと短い髪の毛に触れた。


「元気にしてるかな。……リガルド」


 フィリアの口から、小さな呟きがこぼれた。

 


 ◇ ◇ ◇ 



「じゃあ、いってくるね」


 鑑定屋から町の中心部までは、歩いて半刻ほどの道のりだ。何もない寂しい一本道を進んでいく。


 こんな人っ子一人通らないような辺鄙な場所によくもまあ店を開いたものだ。ダレンに言わせると、鑑定屋なんてひっそりと誰にも見つからない場所が向いているらしいが。


「よう!フィル。いい肉が入ってるよ。寄ってきな」

「おはよう。安くしてくれるなら喜んで」

「おう、任せときな。後で待ってるぞ」


 いつものように、明るい声がかかる。


「おっ! フィルじゃんか。なぁ、遊ぼうぜっ」

「マルコ、また店番抜け出してきたんだろ? またおばさんに叱られるぞ」


 そう返した時、後ろから近づいてきた恰幅のいいパン屋のおかみが怒りの形相でマルコの首根っこをつかんだ。


「こぉら! またあんたはこんなとこでサボって!」


 ジタバタと手足をばたつかせて暴れるマルコ。


「いってぇ! 母ちゃん、離せよ」

「まったくあんたって子は! ああ、そうそう。フィル、この間畑仕事を手伝ってくれた礼にパン持ってきな」


 そう言うと、おかみは焼き立てのパンが入った袋をぽんと手渡してくれた。


「うわ、いい匂い! ありがとう。また必要な時はいつでも手伝うからね」


 この町での暮らしは、とても心地良い。女であるとバレたこともないし、町の人たちもとても良くしてくれる。

 

 今の生活に、不満なんて何ひとつない。男の服は動きやすくて安価だし、短い髪も手入れが楽だ。それに何より結婚もしなくていいし、あんなみじめな奴隷暮らしもしなくていいのだ。

 そのせいか、もう自分を探しまわる者もいなくなった今でも女性の姿に戻る気になれずにいる。きっとこのまま男として生きていくのだろうと考えていた。


 が、その頃。


「フィリアという少女を探している。ここにいることは調べがついている。会わせてほしい」


 一人の男が、ダレンの店を訪れていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る