3話 初恋は甘くほの苦い


「フィリアという少女を探している。ここにいることは調べ済みだ。会わせてほしい」


 その頃ダレンは、鑑定屋の店先で一人の男と対峙していた。


 男の人相には覚えがあった。ましてこんな目立つ容姿ならなおさらだ。

 目の前に立つこのすらりとした長身のこの男は、ノートン家の現当主に間違いない。わずか二十一才で没落寸前のノートン家の当主の座におさまり、あっという間に立て直した話題の人物。あの一族についての色々な噂は、ダレンの耳にも入っていた。


「さて、何のことかさっぱりわかりませんな。ここにいるのは弟子の小僧一人だけですがね。その小僧も出かけておりません。お引きとりを」


 澄ました顔でそういうと、ドアを顎で指す。


 もちろんこんな言葉で男が簡単にあきらめるとは思っていないが、そろそろフィリアが戻ってくる頃だ。鉢合わせさせるわけにはいかない。


「……わかりました。今日のところは引き上げます。あの子に、これを渡していただけますか」


 そう言って男がテーブルに置いたのは、透明なガラス瓶に入れられた色とりどりのキャンディだ。

 冷たさを感じさせる整い過ぎた顔の男には不似合いなそれに、ダレンはいぶかしげな表情を浮かべた。


「……それから、もうあの屋敷にはお前を苦しめるものはいないと。だから屋敷に戻るようにと伝えてほしい」


 そう言うと、特に食い下がる様子もなくすんなりと男は去っていった。まるで追い返されるのが想定通り、とでも言うように。


(さて、どうしたものか)


 遅かれ早かれこんな展開になることは、分かっていた。聞こえてくる噂からも、それが遠くない未来であることは明らかだった。

 そして、男の話ぶりや態度から何もかも調べ上げているようだし、今さら別人だとごまかしたところで無意味だろう。

 とはいえ。


(こんな子供だましのキャンディなんぞ置いていきおって。……どういうつもりだ?)


 あの子があの屋敷に戻る気のないことは確かだ。そのために性別まで偽って、男として生きていく覚悟まで固めているのだから。

 あれほど頑ななまでに女として生きる道を拒否するのには、きっと他に理由があるのだろう。それをあの子が自覚しているかどうかは別として。


(屋敷に戻れ、か――。あの男がこのまま引き下がるとは思えないし、さてどうするか)


 ダレンは思案の表情を浮かべ、ため息をついた。



 ◇ ◇ ◇ 


 フィリアの人生が悪い方向に転がりだしたのは、十三才の時。母が流行り病で亡くなって、半月が過ぎた頃のことだった。


『あなたは、ノートン家の現当主様を父君に持つご令嬢です。当主が屋敷で家族とともに暮らすようお望みです。すぐにお支度を』


 ノートン家の使いだという男はそう言って、有無を言わさずフィリアを連れ出したのだ。


 父親を早くに亡くし大好きだった頼りの母までいなくなり天涯孤独となった身に降りかかったのは、思いもよらぬ話だった。


 自分の本当の父親が貴族の当主で、母はノートン家に奉公していた時に見初められ自分を身ごもったのだという。その後すぐに母は屋敷を去り、その後出会った父と結婚し自分を産んだらしい。


 父親と慕っていた人が実の父ではないと知って、正直落ち込みはした。けれどほんの少し、期待もしたのだ。自分にはまだ血のつながった家族が他にもいると知って。

 けれど――。


『あなたの部屋はここ。明日からこれを着て、掃除や料理をなさい。食事はここで一人でとるように。勝手に屋敷の外にでることは許しません』


 待っていたのは、埃だらけの狭い屋根裏部屋とタダ働きだった。


(無償の使用人兼、身売り要員になると踏んで呼び寄せただけなんだろうなぁ)


 あの継母たちが考えそうなことだと、今なら思う。継母のイリスと連れ子のアドリアは、まだ子どもだったフィリアを来る日も来る日もひたすらこき使った。食事は、カチカチのパンと薄い色水同然の冷え切ったスープがせいぜい。あまりの空腹に、庭に生えた草を口にしたこともある。


 でも何より辛かったのは、孤独だった。

 父親であるはずの当主はフィリアには何の興味も示さなかったし、使用人たちとも一切口を聞かないようきつく言い含められたおかげで、フィリアはあの屋敷に徘徊する亡霊のように暮らしていた。


 そんな孤独な屋敷の中で唯一救いだったのが、異母兄の存在だった。


 現当主と先妻の子である異母兄リガルドは、イリスとアドリアと血のつながりはない。しかし、血のつながった父親とも全く似ていなかった。容姿も中身も。トンビが鷹を生むとは、まさにこのことだ。


 切れ長の濃藍色の目と黒髪をした端正な顔立ちの十七才になったばかりの少年で、すらりとした身体を仕立ての良い服に身を包んだその姿はまるで絵画から抜け出してきたようだった。

 あまりに自分とかけ離れたその容姿に、腹違いの兄と言われてもとても実感などわくはずもなく。


 けれどリガルドは、まだ子どもだったフィリアをなぜかいつも気にかけてくれた。


『君は、あんな者たちの言いなりになる必要はないんだ。助けてやれなくてすまない』


 そう言って、イリスたちの目を盗んではそのきれいな指先でそっと頭をなでてくれ、優しい言葉をかけてくれた。


 こっそりと食事を運んでくれたり、泣いていると口にキャンディを放り込んでくれたり。キラキラと輝くガラス玉のようなキャンディを口に含むと、不思議と怒りも寂しさも吹き飛んだ。


 あれを、初恋と呼ぶのかもしれない。相手は半分血のつながった異母兄だったけれど。  

 男として生きていくと決めた以上、あれが最初で最後の恋かもしれないなどと思う。恋などとは到底呼べないくらい、淡い想いではあるけれど。


「結局、ありがとうもお別れも言えなかったな……」

 

 脳裏に浮かんだ優しい眼差しの記憶に、胸がチクリと痛んだ。

 あんな形で屋敷から逃げ出した以上、礼を言う機会などない。だからこそ、淡い想いごと記憶の中に閉じ込めて生きていこうと、そう思っていたのに――。



 なのに、どうしてだろうか。

 気づけばなぜか、フィリアはノートン家の屋敷の客間でリガルドと向かい合わせに座っていた。



 

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