4話 男装少女、網にかかる
フィリアは落ち着きなくもぞもぞと座り直し、そっと向かいに座る男の顔を見た。ちょうどこちらに向けられていた男の視線に射すくめられて、息をのむ。
目の毒だ、と思った。
久しぶりに再会したリガルドは、身体は記憶よりも一回り大きく、そして元々端正な顔立ちに精悍さが加わって恐ろしいほど美しい青年へと変容していた。
小柄でやせっぽちなまま成長が止まってしまった自分とは大違いだ。
そしてこの屋敷も、けばけばしい悪趣味な装飾品が取り払われたせいだろうか。品のある落ち着いた雰囲気に様変わりしていた。使用人たちも、家令のダルトン以外知らない顔ばかりだ。
(……イリスたちが出ていったどころか、今はリガルドがノートン家の当主なんて)
イリスとアドリアは、もうここにはいない。当主だった父親もろとも、リガルドが叩き出したのだと聞いて、フィリアは心底驚いた。
そして現当主となったリガルドが傾いていた財政を見事に立て直し、今ではすっかり別のお屋敷へと生まれ変わっていた。
フィリアは、ゆったりと長い足を組み優雅な仕草で紅茶を飲むリガルドに、もう何度目かの視線を向けた。
(いやまぁ、それはともかくとして。にしても、何がどうしてこうなった……)
あいも変わらず、というよりはさらに凄みを増した整った顔を前に言葉も出ない。が、このまま流されるわけにはいかない。
だって、今さらノートン家の屋敷に戻れと言われてはいそうですか、と戻るわけにはいかないのだ。
「ダレンを助けていただいたことは感謝してます。ですが、私はこのお屋敷とはもうなんの関係も」
「君はノートン家の人間だよ。私の血のつながった妹だ、今も昔も」
リガルドは、フィリアの言葉を遮った。
こちらの言い分など聞く気はないと言わんばかりの強引さに、頬がぴくりと動く。
永遠に終わらなそうなこのにらみ合いは、もう小一時間あまり続いていた。
「君が世話になっているのだから、このくらい当然だ。ダレンが回復するまで、君もこの屋敷で過ごすといい。……先ほどの返事は、いつでも構わないから」
記憶よりも低くなった声に優しさが滲んでいることに気付き、ドキリとする。
リガルドが探していると知り、本当はすぐに隣町に逃げ出すつもりだった。けれど何の運命の悪戯か、まさに逃げようとしたその時ダレンが倒れたのだ。そしてそこに居合わせたのがリガルドだったのである。
リガルドの迅速な対応のおかげで大事には至らなかったことは、まさに不幸中の幸いだったと思う。
けれど、結果こうしてノートン家の敷居を再びまたぐことになるとはあまりに皮肉だ。
リガルドは、ノートン家の現当主としても兄としても、今度こそ自分を妹として正式にこの屋敷に迎え入れたいのだと言った。だからこの屋敷で一緒に暮らさないか、と。
もちろんリガルドには今も恩を感じている。けれど、ある日突然実の兄妹ですと言われてもそんな実感が簡単にわくはずもなく、今も昔もリガルドを兄だと思ったことはないのだ。
だから、そんな相手とひとつ屋根の下で暮らせるかと言われるとそれは否だ。
気持ちは嬉しいし、ずっと気にかけていてくれたと知ってありがたいとも思う。でも、今さら自分が貴族家の令嬢になることも、今の生き方を変えることも簡単ではない。
とはいえ、ダレンが回復するにはふた月はかかるだろうと医者が言っていた。となれば、あの店で一人留守番ということになる。
(ダレンが許さない、だろうなぁ。かといって町の人を頼れば、女だとバレてしまうだろうし)
フィリアは、絶望的な気持ちでリガルドの顔をこっそりとにらみつけた。
が、リガルドのまっすぐな目は揺るがない。まるで網の中でじわじわと動きを封じられて捕獲されるような気がして、思わずごくり、と息を呑んだ。
「どうか考えてみてほしい。私たちは家族なんだから」
リガルドの口にした家族、という言葉にふと心が揺れた。
「君はこの世でたった一人の実の妹だし、ここは君の家だ。二度とあんな辛い思いはさせないし、寂しい思いもさせないと誓う。だから、一緒に暮らそう。この屋敷に戻っておいで、フィリア」
そう言われて、思わずぎゅっと目を閉じた。
両親がいなくなり、暮らしていた家ももう人手に渡ってしまった自分には、戻れる場所なんてない。おかえりなさい、と迎えてくれる家と家族なんて、この世のどこにももういない。なのに。
その戻っておいで、という言葉に滲んだあたたかさに心が震えた。
(リガルドが、家族……。それを受け入れたら、私はもうひとりじゃなくなるのかな。もうこんな気持ちを抱えて生きていかなくてもいいの?)
自分がずっと欲しかったもの。けれどもう二度とこの手に戻らないと思っていたものを目の前に差し出されているようで。
気づけば、フィリアは小さく頷いてしまっていた。
「じゃあ、ダレンが治るまでの間だけ……」
その返事に、リガルドがふうっと長い息を吐き出すのが聞こえた。
「そうか……良かった。当面必要なものは、もう一通り用意してある。もし足りないものがあれば、すぐに用意させるから言ってほしい。早くここでの暮らしに馴染んでもらえるよう、できるだけのことをするつもりだ。だから君も、遠慮しないで過ごしてほしい」
気のせいか、リガルドの声が弾んでいる。
「用意……。一体いつのまに……?」
この用意周到さはなんだろう。こんな事態になることを、まさか想定していたとでも?
どうにも手の平の上で転がされているような気がして、フィリアは複雑な表情を浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
「フィリア様は、ぐっすりお休みになっておられます。色々あってお疲れになったのでしょう」
リガルドは棚から琥珀色の液体が入った瓶を取り二つのグラスにゆっくりと注ぐと、その一つをダルトンに差し出した。ダルトンは、小さく微笑み、それを手に取る。
互いの労をねぎらうように触れ合わせたグラスが、小さな音を立てる。
「良かったですね。リガルド様」
「ダルトンもご苦労だった。準備を急がせた分、お前も疲れただろう。皆にもよろしく言っておいてくれ」
若い主のねぎらいの言葉に、ダルトンはふっと口元を和らげ、グラスに口をつける。
「それが私の役目でございますから。にしても、ずいぶんと女性らしくなられましたな」
「ああ。……予定よりも時間がかかってしまったのが悔やまれる。でもようやく取り戻せたよ」
出会ったばかりの頃の今にも壊れそうな小さな身体と、きらきらと輝くまっすぐな眼差しを思い出し、リガルドの口元が緩んだ。
「お顔がだらしなくなっておいでですよ、リガルド様」
ぴしゃりとダルトンに活を入れられて、表情筋に力をこめ直す。
「事がうまく運んでようございましたね。とはいえ問題はここからです。くれぐれもお気を緩めませんように」
「……わかっている。今度こそ、できる限りのことをするつもりだ。お前たちも頼んだぞ」
この日をどれほど待ち望んだか。屋敷を逃げ出すあの子の後ろ姿を、どれほど焦れる思いで見送ったか。妹一人守れない無力さを、何度呪ったか知れない。
だがようやくこうして、再び取り戻したのだ。もう絶対に悲しませたりしないし、辛い思いをさせた分も幸せにしてやりたい。兄として、たった一人の家族として、一生そばで守ってやりたい。
リガルドは安堵の息を漏らし、満足気な表情でグラスを傾けた。
その表情に浮かぶ隠しきれない執着に、ダルトンは心の内で嘆息する。
「……今度はくれぐれも逃げられないよう、ご用心なさいませ。お手元に長く置いておかれたいのでしたら」
ダルトンの温かくも厳しい言葉に、若き当主は静かにうなずくのだった。
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