2話 あたたかな場所
今日もフィリアの部屋には、花瓶に丁寧に活けられた季節のかわいらしい草花が揺れている。庭師のラスが、毎朝わざわざ摘んで届けてくれるのだ。
フィリアは、薄桃色の花びらをちょんとつつくと微笑んだ。
あれは屋敷に滞在した翌朝のこと。慣れないベッドで寝たせいか早朝に目覚めてしまい、仕方なく庭に出た時腰を痛めて倒れ込んでいたラスを助けたことが縁で親しくなった。それを感謝してか、それ以来毎朝こうして花が届けられるようになったのだ。
おかげで部屋もぱっと明るくなり、毎日気分も爽やかだ。
「ラスは気難しくて無口だし、使用人相手にも滅多に話さないんですよ。そのラスがこんな気の利いたことをするなんて、皆びっくりしてます。よほどフィリアお嬢様のことを気に入ったんですね」
それを聞いた使用人たちは、ミリィも含めて皆相当驚いたらしい。
「あ、そういえば今日のお茶菓子はレモンパイだそうですよ! 母の作るお菓子の中で一番好物なんです。お嬢様のおかげで毎日ご相伴に預かれて、本当に嬉しいです」
ミリィの声が明るく弾む。
「ハンナの作るお菓子はどれもおいしいもんね。お茶の時間が楽しみ」
ハンナはミリィの母親で、一年半ほど前からこの屋敷でコックとして働いている。家令のダルトンとミリィは叔父と姪の関係だ。
イリスたちが去った後、働いていた使用人たちがごっそりといなくなってしまい、人手が足りなくて大変だったらしい。一時はダルトンが簡単な食事の用意までしていたというから、驚きだ。でもさすがにこれでは無理があると、ハンナとミリィに白羽の矢が立ったのだという。
「私もミリィがお茶に付き合ってくれるから毎日退屈しないし、いいことづくめね。話し相手になってくれてこちらこそありがとう」
「お嬢様に一緒にお茶をしてくれって頼まれた時は、びっくりしましたけど。今じゃもうこの特権は他のメイドたちには譲れませんよ。ふっふっふっふっ」
そう言ってミリィが不敵に笑った。
実は屋敷で暮らし始めてすぐ、足に合わない靴を我慢して履いて怪我をしたのがバレて、ミリィに注意されたことがある。なんで早く言ってくれないのだとみっちり叱られた。
その時今後一切の遠慮は無用だと言われて、ならばとお茶の時間に話し相手になってほしいと頼んだのだ。
年もほぼ変わらないミリィが話し相手になってくれたら、きっと楽しいだろうなと思って。
それ以来、午後のお茶はミリィと一緒に過ごしている。ミリィが忙しい時は他のメイドが代わりに来てくれることになっているらしいけど、今のところミリィは誰とも交代する気はないようだ。
ちなみにダルトンには、屋敷にお世話になることが決まって真っ先に謝罪した。
やっぱり自分が逃げ出したことで大分迷惑をかけただろうと気にはなっていたから。でもなぜか、反対に謝られてしまったけれど。
「あの頃は、ただ傍観しているだけでお助けもせず、大変申し訳ございませんでした。リガルド様のお立場を思うと下手に動けず……」
ダルトンはそう言っていたけれど、屋敷の跡継ぎであるリガルドを優先するのは当然のことだ。もし手でも貸していたらきっとリガルドの立場が悪くなって、かえって胃が痛い結果になっていたに違いない。
ダルトンはきっと、リガルドを息子のように大切に思っているのだろう。リガルドのことを話す目はとても厳しくも優しくて、なんだか嬉しい。
「ねぇ、ミリィ。本当にここはいいお屋敷ね。最初はうまくなじめるか心配だったけど、皆いい人ばかりだし本当に居心地がいいわ」
まさか今になってこんなにあたたかい暮らしができるなんて、想像もしていなかった。
ダレンが自分を大事にしてくれているのは分かっていた。もしかしたら、娘のように思って心配してくれていることも。
でもダレンは、女性として暮らすことを望んでいた。となれば縁もゆかりもない女性を店に置いておくわけにもいかないから、ダレンの元から離れて暮らさなければならない。それは、どうしても嫌だった。そんなの、寂しくて心細くてとても耐えられない。
(今はまだ全然無理だけど、そのうちリガルドのことを血のつながった本当の家族って思えるようになるのかな。もしそうなったら、ずっとここでこんなにあたたかい生活が送れるのかな。……だったら、それも悪くないかも)
もう一度、この世にたった一人きりじゃないと思える幸せを取り戻せるのかもしれない。リガルドを血のつながった兄だと感じられるようになれば、きっと。それはフィリアの胸にじんわりとした熱を与えた。
想像以上に平穏で快適な屋敷生活に、フィリアは満ち足りた気持ちで大きくほうっと息をつく。その言葉に、ミリィもにっこりと嬉しそうな表情を浮かべた。
「フィリアお嬢様がそうおっしゃっていたと知ったら、きっとリガルド様大喜びですよ! フィリアお嬢様のためなら火の中でも飛び込んじゃかねないくらい、大事になさってますもん。それに、私もお嬢様にお仕えできて本当に嬉しいんです。困ったことがあったら、いつでもこのミリィが力になりますから頼りにしてくださいねっ!」
そう言って力こぶを作るミリィに、思わず顔を見合わせて笑い声を立てる二人だった。
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