9話 嵐の前の……


 フィリアが囮になることを知ったミリィは、当然の如く怒り狂った。


「まったくリガルド様もなぜお認めに! そんな汚らわしい屑どもの巣窟にフィリアお嬢様を行かせて、もし何かあったら……」


 フィリアは先ほどからずっと、それをひたすらになだめるのに必死だ。


 心配してくれるのはありがたいけれど、ミリィだって自分が変装して囮になるとダルトンに持ちかけたというから、お互い様である。


「まぁ、一応身を守るために武器は隠し持っていこうかと。こんな事もあろうかと、多少はダレンにも鍛えてもらってるしね」


 そう言うと、ミリィははたと動きを止めてフィリアをじっも見つめた。


「ん? なぁに?」

「……まさかフィリアお嬢様も、武術の心得を?」

「も……って、ミリィ。あなたも?」


 フィリアが驚きに目を見張りミリィと顔を見合わせると、ミリィはふふふ、と怪しい笑いを浮かべてスカートの中からキラリとナイフを取り出した。


 細身で小さいが投げても良さそうだし、急所さえ狙えれば充分使えそうななかなかの代物とフィリアは見た。


「っふふ。さすがミリィ! よく分かってるわね」

「フィリアお嬢様もさすがです。私やっぱり一生フィリアお嬢様についていきますねっ。女だって自分の身くらい自分で守れませんと! お嬢様、大好きです」

「私たちやっぱり気が合うわね! 私も大好き」


 きゃっきゃと手を握り合い、嬉しそうに意気投合するフィリアとミリィ。


 その影で、リガルドはミリィを側仕えにするんじゃなかったと後悔し、ダルトンは残念な姪の姿にがっくりと肩を落としていることを、二人は知らないのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 そしていよいよ決行を明朝に控えた夜更け。


 フィリアは早く眠らなければと思いつつも、どうにも落ち着かない気持ちを持て余していた。


(やっぱりドキドキする。久しぶりにイリスと対面するせいもあるけど、ひとりでなんとかしないといけないんだもの。ちょっと怖い、かな。やっぱり)


 すでにミリィたちの手を借りて、明日の準備は万全に整えてある。


 武器は、バッカードのもとに到着したら身体を改められる可能性があるため、身につけるのは断念した。が、ロケット形のペンダントの中に目潰しに持ってこいの超激辛の植物を粉末状にしたものを忍ばせてある。

 いざという時はこれを敵の顔めがけて振りまけば、多少の時間稼ぎにはなるだろう。


 フィリアは、ふと数日前のことを思い返す。


 自分とリガルドの間に血のつながりはないと知らされても、悲しさやショックはなかった。むしろ、色々なことが腑に落ちた気がした。安堵、したのかもしれない。

 だってそれならば、リガルドに対するこの思いは許されない恋ではないのだから。


(これでちゃんと伝えられる。伝えて、ちゃんと終わりにできる。きちんと終わらせないと前に進めないもの。これで、良かったんだよね……)


 フィリアにとっては、初めての恋だった。初めはほのかな恋心だったけれど、それが今では大きく育って抑えきれないほど強く深いものに変わった。これは、愛なのかもしれないと思う。そして、こんなにリガルドを愛せたことがとても嬉しくも感じていた。


 その心に後悔はなく、むしろ清々しいようなすっきりとした気分だった。


(でもそれと誘拐は別! やっぱり緊張するのよ! ああ、もう。全然眠れない! ……いっそ少し風にでも当たりに庭に出ようかしら)


 仕方なく薄手の寝間着の上にふんわりとしたケープを羽織り、足を忍ばせて庭へと出る。


 どこからかふわり、と花の香りが漂い、フィリアは頬を緩ませた。

 柔らかな芝の感触が、張り詰めていた気持ちを優しく解いていく。その感触を楽しみながら、フィリアは月を眺めて夜の庭を歩いていた。


 ふと、誰かの気配を感じて振り向く。


「……リガルド! どうしたの、こんな夜更けに」


 そこにいたのは、リガルドだった。驚きだけではない胸の鼓動を感じながら、フィリアはリガルドを見つめた。


「……これを上に。風邪を引く」


 そう言って、手に持っていた丈の長い羽織をフィリアの体にそっとかける。

 わずかにリガルドの指が肩口に触れて、胸が騒いだ。


 その動揺を悟られまいと、フィリアは顔を夜空に向ける。


「いよいよ明日ね。もうヨーク様のお仲間の方たちは、劇場に潜入しているのでしょう? プロがついてくれてるんだもの。安心だわ」

「ああ。でも無理はしないでくれ、絶対に。君が無事でないなら、この計画は無意味なんだから」


 リガルドがどれほど心配してくれているかは、よく分かっている。フィリアとて、リガルドが怪我でもしたらと思うと胸が締め付けられる思いだ。


 大人しくうなずいて、リガルドの横顔をそっと見る。

 月の光で長いまつげの下に影ができて、憂いを帯びた表情と相まって絵画の中から抜け出してきたような美しさだ。

 思わず見惚れて、フィリアはリガルドの手がそっとこちらに伸ばされていることに気づくのが遅れた。


「……少しだけじっとして。フィリア」


 かすれた声が、フィリアの名を呼ぶ。

 そして熱を帯びたその声とともに、身体がそっと引き寄せられ、気づけばフィリアの身体はリガルドの腕の中にすっぽりと収まっていた。


「リ、リガルド……」


 リガルドの身体の熱と穏やかな香りに包まれて、頭も心もくらくらする。

 フィリアはどうすればいいのかわからずに、抱きしめられたまま動けない。けれど身体に伝わるその熱はとても幸せで、心まで溶けていくようで。


「どうか無事に帰ってきてくれ、フィリア。必ず助けに行く。絶対に守るから」


 そして、フィリアは頭の上に何かの感触を感じた。一瞬感じたその感触に、フィリアは思わず飛び退く。


「……なっ? いいい、今の……何」


 頭上でした小さなリップ音と、やわらかなものが押しつけられた感触。

 みるみる自分の顔に熱が上がっていくのを感じ、フィリアは思わず覆う。


 顔を真っ赤に染めて焦るフィリアと、それをおかしそうに笑いながら見つめるリガルド。


「無事に帰ってこれるように、おまじない。……おやすみ、フィリア」


 そう言って立ち去るリガルドの背中を声も出せずに見送りながら、フィリアは熱い頬と今にも口から飛び出しそうな心臓の鼓動と必死に戦うのだった。




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