5話 そして動き出す


 リガルドは、ヨークらとともに劇場に潜入するための準備を着々と進めていた。


 ようやくヨークにとっても叩きがいのある顧客が参加する予定の取引が開催されるはずのその日。

 ヨークから、急ぎの連絡が入った。


「勘付かれた? それは一体どういう……」


 リガルドのもとにその一報が届いたのは、夕方のこと。これからまさに劇場に潜入しようとしていたその矢先だった。 

 どうやらバッカードが不穏な気配に勘付いたらしく、今夜の取引は急遽中止になったとのことだった。


 リガルドは小さく舌打ちした。


(イリスたちが動き出す前に早く始末をつけたかったものを……。一体バッカードは何に気づいたんだ?  

 こちらの動きを察知したのか)


 アドリアからは、あの後連絡はない。イリスから接触があればすぐに連絡をよこす手筈になっているし、ヨークの監視もついているからまだ動きがないのは確かだった。


「これでは、次の取引まではうかつに動けませんな。ヨーク様は何と?」

「バッカードが何に気づいたのか判明するまでは、とりあえず静観だそうだ」

「しかしそれでは、いつフィリア様が狙われるか……」


 屋敷の警備は固めてあるし、ヨークが派遣した警備のものも幾人か周辺に常に張り付いてはいる。

 が、最近ではフィリアも何かあったのかとダルトンにたずねるほどに、屋敷中の空気が張り詰めていた。何事かが自分の身に迫っていることに、気がついているのだろう。


 外出はもちろん、屋敷の中でひとりになることすらままならない状態なのだ。いつまでもフィリアを誤魔化せるわけもない。

 だからこそ一日も早くイリスを抑え、この件を片付けたかったのだが。


「困りましたな。フィリア様もここ数日はピリピリしておいでですし、何を隠しているのかとミリィにも詰め寄っているらしいのです。もちろん、何もお伝えしてはおりませんが……」


 ダルトンの懸念はもっともだった。だが、フィリアに話せば、あの子のことだ。迷惑はかけられないと自ら屋敷を出て行きかねない。

 そんなことになれば、相手の思う壺だ。それだけは避けたかった。


「だめだ。フィリアには話せない。絶対に伝えるな。何があってもだ」


 リガルドは有無を言わさず、ダルトンにそう伝えたのだった。


 がそのリガルドの願いも、フィリアの行動により思いもよらぬ方向へと動き出すことになるのだった。




 ◇ ◇ ◇ 



 執務室でリガルドがダルトンと協議していた時のことだった。

 扉が、勢いよく開いた。


「それ、一体どういうこと? イリスが私を誘拐しようと狙っているって、詳しく聞かせて!」

「フィリア? なぜここに。まさか今の話を……」

「イリスをおびき出すための餌が必要って言ってたわよね。なら私を囮にすればいいじゃない。狙われているのは私なんだから!」


 フィリアがその目に強い決意をみなぎらせて、大声で叫んだ。

 それを呆然と見つめるリガルドとダルトンは、フィリアの芯の強さと行動力とを思い出し悟った。


 これはまずいことになった、と――。


 真向かいに座るフィリアと、それを先ほどから強い眼差しで見据えるリガルド。二人のにらみ合いはもう長く続いていた。

 ダルトンはそれを口を挟むわけにもいかず、ただじっと見守るしかない。


「そもそも私が狙われているんだから、私が捕まれば早いでしょう?」

「それだけは許さない。お前は自分の身がどれほど危険にさらされるか分かっていないんだ。もしお前の身に何かあったら……」

「リガルドが助けてくれればいいでしょう! ヨーク様だっていらっしゃるし、警備だってたくさんいるんだし。なら……」

「万が一ということがある! それに一時的とはいえ、ヨークの目も警備の監視も届かない時間があるんだ。その時に何かあったら誰も助けに入れないんだぞ!」


 先ほどからずっとこの調子だった。どちらも一歩も引かず、しかもそれが互いを思ってのことだから厄介だ。


 フィリアにしてみれば、自分のために屋敷中が不便を強いられている上、これ以上ないほど心配をかけているのだ。それは、どうにも耐え難いことだった。 

 まして、自分を守るためにこれまでリガルドが寝る間も惜しんで動いていたのだと知り、それもまた頭を抱えたくなる思いなのだ。


「私をノートン家の人間だというのなら、私にも役に立たせて。リガルドと私に降りかかった問題なら、私も動かなきゃおかしい! それにイリスを追い出した原因は、私が婚約から逃げ出したからなのよ。私に責任があるわ」

「それは違う。君はただの被害者だ。責を負う必要なんて微塵もない。まして危険を冒す必要もないんだ。頼むからここは引いて、大人しく屋敷で守られてくれ! 傷つけたくないんだ!」

「自分だけぬくぬく守られてるだけなんて、絶対に嫌よ! 私も一緒に戦わせて!」


 どこまでいっても平行線だった。


 リガルドは立ちあがり、窓辺から屋敷の外を見下ろした。あの日、フィリアがこの屋敷から逃げ出して夜道を駆けて行った後ろ姿を見送ったのと、同じ場所で。


(もう二度と失いたくない……。あんなふうに見送るのはもう嫌だ。大切に守りたいだけなのに、どうしてわかってくれないんだ。フィリアの気持ちもわかるが、危険すぎる……)


 フィリアに危険が及ぶかもしれないと考えただけで、血の気が引く思いがした。


 しかも相手はイリスだけじゃない。性的な奴隷を売買する犯罪者たちなのだ。もし助けに入るのがわずかでも遅れれば、フィリアの身に何事か起きないとも限らない。


 リガルドの思いも理解できるダルトンも、異を唱えることができず立ち尽くしていた。


 フィリアはと言えば、久しぶりにまともにした会話がこんな言い争いであることに呆然としていた。 

 けれど心のどこかで、リガルドのために自分が返せることがあると知り、どこか嬉しくも感じるのだった。



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