第4話 豆を剥くだけの簡単なバイト

 ルークの部屋で暮らし始めて一月が経ち、体調も安定してきた。

 なので俺は、そろそろお金を稼ぎたい。

 生きてゆくためにも、元の世界へ帰るためにも、とにかくお金が必要なのだ。


 実はこの4年の間、こちらの世界の文字の勉強を頑張る傍ら、機会があればこっそりと、元の世界へ帰る方法を調べていた。

 だけど今までは、なかなか実りのある情報を得られず、調べ方を変えるべきか、半分諦めるべきか、などと考えていた。

 しかし、とうとう見つけることができたのだ。

 「転移魔法」というものを。


 それは、いつも行く小さな書店の隅っこに置いてある、「禁断魔術書」という本に載っていた。

 本によると、「転移魔法」というのは、魔術によって人や物を、今いる場所から別の場所へと移動させる術らしい。この術を応用させれば、自分の身体を思った場所へと移動させることができる。

 ただし、この魔術を発動するには、大型の純粋な魔鉱石と高い魔力が必要となる。

 魔鉱石というのは、魔力を秘めた不思議な光る石のことだ。手のひらに乗る大きさの物が標準で、古くて小さい物や加工品ならば、俺でも頑張れば手に入る。 

 だけど、大きくてたくさんの魔力を秘めた純粋な魔鉱石となると、とてもとても高額なのだ。というか、そんなものどこに売っているのだろう。見たことがない。

 とにかく、その大きくて立派な魔鉱石を手に入れなければ始まらない。

 俺はお金を貯めねばならぬ。


 というわけで、いつものように街の掲示板の仕事情報の張り紙を見てまわる。

 そして今日は、とても良い仕事を見つけてしまった。

『緑豆の皮むき。初心者大歓迎。とても簡単なお仕事です』

 なんと、一日中豆の皮を剥くだけで、一万ベリも貰えるらしい。


「いっぱい豆を剥いてくる!」

 バイト当日となり、俺は上着を羽織り、水筒にお茶も詰めて準備万端だ。

 ルークはその日は仕事が休みで、ラフな普段着を着て部屋にいた。いつものように眠たげだ。

「暗くなる前には帰って来るんだぞ」

 俺の上着のポケットに、ハンカチを詰めてくれながら言う。


 結果的に言うと、豆剥きは意外と大変だった。

 なにしろ物凄い量なのだ。でっかい農作業小屋の天井近くまで豆の山が積み上がっている。

 しかも豆の鞘はでかくて硬い。

 やり方は簡単だ。豆粒のいっぱい詰まった鞘を手に取り、まずは端っこをちぎって引っ張る。すると、ちぎった端っこと一緒に、スジが一本スーッと取れる。スジが取れると中の豆粒は取り出しやすい。手元に置いたザルの中に豆粒を溜め、カラになった鞘は別の籠の中へと捨てる。

 適当に置かれた丸椅子に腰かけて作業を行うのだが、途中から手が痛くなってきて辛かった。皮の手袋を貸してもらって作業したけど、手袋をはめるとやりにくくて反ってストレスで、やはり素手で作業を行う。これを一日中延々と続けるのは、意外と苦行なのだ。


 俺の他にも作業者が三人いて、みんなわりと良い人だった。

 一人はリーダーと呼ばれる三十代ぐらいの男性で、作業の手際が一番早い。俺に豆の剥き方を教えてくれたのもこの人だ。

「もっと手際良くやるんだ」

 下手くそな俺に、リーダーはちょっと厳しかった。

「豆への配慮を忘れるな」「鞘は速やかに美しく葬れ」

 しかも独特な言葉選びをする人で、最初は理解するのに戸惑った。

「いきなり外の世界に引っ張り出される豆粒の気持ちがおまえに分かるか? 衝撃を与えずスムーズに、それが大事だ!」

 豆粒の気持ち……、はちょっと分からないけれど、安全で安心な鞘の中から、突然引きずり出されて戸惑う気持ちなら、俺にも分かるような気がした。

「俺、なんだか分る気がします。豆はきっと『なんで俺がこんな所に!?』と、怒っていると思いますっ」

 俺が答えると、リーダーはちょっと怯んだ様子で豆粒を見た。

「そ、そうだな。怒っているのかもしれん。しかし、豆には豆の役割がある」

 そうか、と俺は思った。

 豆には豆に与えられた役割があり、それを悟って受け入れている。なんて偉いんだ豆。

「採れたての豆は塩茹でにすると美味しいからねぇ」

 難しい顔で豆を凝視する俺達に、隣にいた冴えない中年作業者のジークさんがのんびり笑う。「潰して豆スープにしても美味しいからねぇ」

「みんな、あと五分でおやつだからね! 頑張るよ!」

 同じく作業者で、お茶入れ係のイーロンさんが、時計をちらちら見ながら檄を飛ばす。

 俺達はせっせと豆剥き作業に戻る。


 お茶休憩はきっちり一時間ごとにあり、そのたびに美味しいおやつやお茶をもらえた。

 お茶を飲んだら各々小屋の外へ出て、身体を伸ばしたり、当たり障りのない世間話をしたりした。

 リーダーもジークさんもイーロンさんも、平日はだいたいここで豆剥き作業をしているということだった。

「なかなか上手になったじゃないか」

 帰る頃には俺は、リーダーに褒められるまでに上達していた。

「なかなか根気があるもんだなぁ」

「お茶を美味しそうに飲むね」

 他のふたりにも褒めてもらえて嬉しかった。

 この四年間、褒められたことなんてほとんどなかったから新鮮だった。


 作業の終了時間になると、農場主のおじさんが来て、お給料の一万ベリをくれた。「またいつでも来てね」と言われ、袋いっぱいの豆も貰えた。

 俺達の剥いた大籠いっぱいの豆粒達は、明日の早朝市場へ運ばれ、国内のいろんな場所へと売られてゆくとのことだった。


 夜が訪れる前には、ルークの部屋へ帰ってくることができた。

 貰った豆はルークがさっそく塩茹でにしてくれて、夕飯のおかずに出してくれた。本当にとても美味しかった。

 夕飯を食べ、シャワーを浴びたら、もう眠くて眠くてたまらなくなった。

 ソファでうたた寝していたら、ルークが両腕に抱えて運んでくれる。しかも俺の部屋のベッドじゃなくて、ルークの寝室のベッドへと運んでくれる。

「ルーク、俺大丈夫だよ。自分のベッドで眠るよ」

 迷惑をかけるのが嫌で、俺は懸命に訴えた。

「駄目だ。足先が冷えている。このまま眠ったら明日には熱が出るかもしれない」

 騎士は真面目な顔でそう言って、俺の身体を自分の大型ベッドの上に横たえた。

 ぐぬぬ。

 たしかに、仰る通りかもしれない。

 曇り空の下、窓を開け放った広い小屋での作業だった。汗をかいたあと、少し冷えたのかもしれない。それに手指の先や爪が痛い。使いすぎて血が滲んだままになっている。肩や腰も痛かった。お金を稼ぐためだと思って、かなり我慢をしたかもしれない。

 ルークが布団に入ってくれる。そうすると、たちまち身体がぽかぽかとしてほっとする。

 普段冷え性の俺は、体温の高いルークに一緒に寝てもらうことが多かった。俺が頼むわけじゃなくて、ルークが心配してそうしてくれるのだけど、いつも申し訳ないなと思う。

「俺、いっぱいお金貯をめるからね。それでいつか、ちゃんと元の世界へ帰るからね」

 きちんと自立して、この場所にルークのお嫁さんとか、正式な専属相手さんとかが来る前に、俺は出て行かなくてはいけない。ルークには、何度か俺の『元の世界へ帰る計画』を話してある。

「……そうか」

 隣で横たわりながら、ルークはそう言って頷いて、俺の身体を抱き寄せる。疲れた身体は泥のように重たくて、自分ではもう一ミリも動かしたくない。

 お金を稼ぐのは、なんて大変なのかと思う。今日は一万ベリを稼いだけれど、魔鉱石にはまだまだ遠い。

 俺はちゃんと元の世界へ帰れるだろうか。たくさん稼がないとだめなのに、これではきっと、明日は身体が動かない。

 現実は厳しいものだと思う。久しぶりにちゃんと働いたのに、希望はかえって遠くなったような気がした。不甲斐ない自分が恨めしい。


「このまま少し、目を閉じていろ」

 低く囁く声がした。

 大きな温かい手のひらが、俺の両方の目蓋を覆う。云われなくても、俺はもう目を開けることなんかとてもできない。

 不意に、ルークの気配が濃密になった。

 静かな息遣いを感じる。男らしい肌の匂いも。

 ふにっと、唇になにかが触れる感触がした。

 ……何を、したんだろう?

 とたんに、身体や手指の痛みが和らぐ。知らずに強張っていた肩や腰の力も抜けた。

 はあ。

 思わず、うっとりとしたため息が漏れた。

 気もちが良くて、目尻に溜まっていた涙が零れた。


 ぎゅうとルークに抱きしめられた。そして無言で、背中や肩を撫でさすられた。

 ルークは俺の調子が悪い時、たまにこんな風にする。回復の魔法かなにかを掛けてくれたのかもしれない。ルークは意外と魔力が強い。

 心地が良くて、なんだか心が満たされる。

 そういえば、今日は新しいバイトに行って、新しい知り合いができて、ちょっと褒められたのだった。最初は不安があったけど、思い切って行ってみて良かった。

 ルークの大きな手は優しくて、弾力のある胸筋に包まれていると安心できた。

 元の世界に戻るとしても、この温かさと離れるのはちょっと惜しいな、なんて少しだけ思ってしまう。


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