第20話 魔力の基本と勇者の魔石
驚愕したまま何もできずに狼狽えていると、やがて唇はそっと離れた。
触れられた所から全身へと、いつもの甘い熱が広がってゆく。
ルークは少しだけ身体を離して動きを止めると、憂いを含んだ眼差しで俺を見つめた。
「…………嫌だった?」
もはやばっちりと目を見開いていた俺は、見てしまったことを隠すすべもなく。
嫌だったか、との問い掛けに、呼吸を乱し、思考停止になりかけながらも自問してみる。
……嫌、ではなかった。
ただものすごく驚いてしまって、どうしたらいいか分からなくて。誰かとこんなことをしたのは初めてだし。……でも、嫌なわけでは、なかった。
俺は無言で首を振った。首を振るだけで精一杯だ。
するとルークは、詰めていた息を吐くようにして少し嘆息した。けれど苦しげな眼差しは変わらない。すごく近い距離なのも変わらない。
「じゃあ、……怖い?」
再度、掠れた声で問われて、俺は少し視線を落とした。
ルークのことが怖いとは思わない。
ルークは優しいし、本当に嫌なことはしないし。
治癒がこんな風に行うものだとは知らなかったから驚いたけど、この行為自体も、怖いというのとは違う気がする。
俺はもう一度首を振った。
「……よかった」
ため息交じりに呟かれる声が聞こえる。俺の手を握っているルークの手に力が籠った。再び距離が縮まっている。
ハッとして顔を上げると、切ないような艶を滲ませた翡翠の瞳が至近距離にあった。
「じゃあ、もう一度、させて」
そういえば、過去に宿屋で働いてた時、酔っぱらった客達が、「魔力を交流するんなら、身体の敏感な部分でするもんだ」って、笑いながら雑談してた。その時は全然意味が分からなかったけど。
身体の敏感な部分……。そうか、たしかに唇は敏感な部分だよな。
もう一度重なってくる柔らかな感触。
俺はぎゅっと目を閉じて、息を殺した。
少し啄むように動かされている。繊細な力加減だ。
両方の手も繋がっている。手のひらから熱と力が伝わってくる。
魔力の交流。
まるで生命力の交換のよう。
ルークの魔力が生々しく浸透してゆく身体の内側。
相手の呼吸が震えながら深くなっていくのが分かる。
それに連動するように、己の呼吸も妙な具合に震えて乱れてゆくのを感じる。
……甘くて、気持ちがいいのかも。
アルコールに酔ったみたいにふわふわとして、もっといっぱい溺れたくなる。ずぶずぶにのめり込んで、多幸感に埋もれてしまいそう……。
でも、その一方で、ほんのわずかな危機感も覚える。
俺は、大丈夫なのか。こんな風に流されて、戻れなくなったりしないだろうか。
「……っ」
だが考えるよりも先に、身体の方に限界が来た。
やっぱり駄目だ、なんかヘン。身体の芯が反応しそう。すごくやばい。
「……んっ、もう、やめ……っ」
俺は無理やりに身を捩って手を払いのけ、ルークの身体をもがくようにして押し返した。
橙色の明かりの中で、二人分の乱れた呼吸が響き渡る。
危なかった。
あのまま流されていたら、我を失うところだった。
「……俺、もう寝る」
俺はよろよろとソファを抜け出した。
ルークは動かないままでいる。変に思われたかもしれないけれど、取り繕っている余裕はなかった。
自室へ行き、内側からドアを閉めてへたり込む。
魔力を交流させる行為。求められても、あまり沢山やるのはムリだ。
俺は翌日本屋さんへ行き、『魔力の基本』という初級者向けの書物を買った。
魔力や専属関係について、これ以上無知でいることは、さすがに不味いと思ったからだ。ちょっと値の張る買い物だったけれど必要経費だ。俺はもっと魔力についての知識を身に付けないといけない。
書物は初級者向けなだけあって、比較的簡単な言葉で説明してあった。
だけど、所々分りにくい表現もある。
『魔力の交流は手のひらを介して行うのが基本だが、親しい間柄である場合、皮膚の薄い部分を使って行うことも効果的である』
皮膚の薄い部分……。
なるほど、唇は皮膚の薄い部分だ。別に敏感な部分かどうかは関係ないかも。
『専属関係など、特別に魔力波長が合う者同士なら、身体全体を使って行うことも有効である』
身体全体を使って……?
ちょっと分からないな。これはどういう状況だろう。
『その場合、粘膜を介する接触により、お互いの魔力を循環させることが、』
粘膜を、介する? 接触……?
まずいな。なんかエロい図柄が浮かんできそうだ。
『そうした場合、高確率で性的な興奮を伴いやすい』
……性……、いや、ちょっと待て。
これって本当に魔術書だよな?
俺はページを閉じて、もう一度表紙の題字を確認してみた。真面目な魔力の教科書だ。愛欲指南本というわけではなさそうだよな?
……俺がこの世界の魔力について理解するには、まだちょっと、いや、かなり道のりが遠い気がする。
その日は珍しく残業になった。
午前で終わるはずの浄化の仕事だけど、もう少し残って作業をしてほしいと事務所から頼まれたのだ。
たしかに、神殿内や街の中にも『穢れ』の気配のようなものが多い気がする。日によって、穢れを多く感じる日と感じない日があるけれど。
残業前に一旦昼休憩をもらえて、ミシェルさんと従業員用の休憩室へ移動した。
そこでは、スープとパンの簡単な賄食をもらうことができた。
ミシェルさんと一緒に窓際のテーブル席に座って食べる。パンはありきたりの普通のパンで、スープの味はまあまあだ。
他の従業員の姿も少し見られ、みなのんびりと昼休憩を取っている。
「この神殿の封印の魔石は欠陥品なんだわ。だからこんなふうに時々結界が緩むのよ」
ミシェルさんがパンをかじりながら小声で愚痴を吐いている。残業は嫌いなのよ、とも言っている。
――神殿の封印の魔石?
勇者ルーカスの物語でも、魔物封じの魔石のエピソードが出てきた。
確か、最後の方で、魔物を倒したあとの場面だ。
『勇者は残る魔力を振り絞って、偉大なる魔物封じの魔石を作った。
国を四方からを守るためには、魔石は四つ必要である。
一つの魔石を作るのに、七日七晩の胆力を要した。
勇者の疲労は並大抵でなく、最後の魔石を作るには、二十日二十夜の時間を要した。
そうして完成した魔物封じの魔石を、東西南北それぞれの神殿に置き、大結界として完成させた』
「あの話って、本当ですか?」
思わず俺が食事の手を止めて尋ねると、
「あの話?」
ミシェルさんもパンをかじる手を止める。
「勇者ルーカスが魔物封じの魔石を作ったって」
「当たり前じゃない。本当の話よ。十年前、勇者は魔物封じの魔石をこの神殿にも置いたのよ。でも、魔石には濁りがあるのよ」
ああした英雄譚は、大げさに書かれるものである。だから、半分以上は作り話しかと思っていたけど、意外と事実に忠実だったりするんだろうか。
この神殿のどこかに、勇者が安置した封印の魔石があるということか。
……見てみたい。
憧れの人物の偉業の一端をこの目で見たい。という気持ち、推し活をする人ならば誰でも分ってくれると思う。
俺が石を見たいと言うと、見られないわよとミシェルさんは笑う。
「奥の隠し部屋に置いてあるの。でも誰も近寄れないわ」
人除けの魔法が掛けてあるらしい。
考えてみれば当然のことだ。そんな大切な物を、素人が簡単に見付けられる場所に置くわけがない。
だけど、この神殿のどこかに勇者の魔石がある。そう思うと、ちょっとテンションが上がる気がする。
食べ終えるとミシェルさんはテーブルに突っ伏して、昼寝と決め込んだようだった。休憩時間はまだ半分ほど残っている。
俺は暇だったので、休憩室の端にある本棚の所に行ってみた。少しだけ雑誌や本が置いてある。従業員が自由に読んで良い物のようだ。
あまり分厚くなさそうな、古びた書物を一冊選んだ。
『勇者レグナンドの伝記』
ページをめくると細かな文字が並んでいる。以前の俺ならば手が出なかった難易度の本だけど、今ならば頑張れば読める気がする。
勇者であるレグナンドは、約八百年前に活躍した騎士のようだ。
正義の心と偉大なる魔術力で仲間たちを率い、見事魔物の王を打ち倒す物語。
勇者ルーカスの冒険譚と似ているけれど、所々が少し違う。レグナンドは勇者らしい明朗快活な性格で、統率力にも長けていた。良い仲間にも恵まれたようだ。痛快な快進撃。面白い内容で、どんどん読める。
休憩時間中に読み終らなかったので、家に持ち帰って続きを読むことにした。
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