第19話 隠したいこと

 副団長のホモ疑惑が晴れて俺はほっとしたのだけど、

「アヤト、今日ブルーストに会ったのか? なにか言われたのか?」

 眉間に皺を寄せてルークが喰い気味に聞いてくる。

 そういえば、神殿にブルースト副団長が来たことをルークにちゃんと話していなかったっけ。

「副団長が仕事中に突然俺の所に来て、ルークを支えてほしいって言ってた。あと、ルークが復帰して価値があるとか、ルークには傷があるとか言ってた」

 簡単にかいつまんで説明をする。

 支えられないのならこの場所にいるべきでない、と高圧的に言われたことは……黙っておこくことにした。あまり心配をかけたくはない。

 それよりも、あの時副団長が言っていた事は本当なのだろうか。

「ルークは、以前にも騎士をしていたの?」

 問うてみると、ルークは一瞬沈黙し、小さく息を吐いて静かに口を開いた。

「……していた。だけどもう何年も前のことだ。いったん止めて、また舞い戻った」

 そうなんだ。知らなかった。

 俺はてっきり、ルークはずっと日雇いの土木作業や傭兵しかしたことがないんだと思ってた。だけどよく考えたら、そんな人が急に騎士になれるわけがないもんな。経験者だから聖騎士団に入れたんだな。

 それともう一つ、気になることがあったんだ。

「ルークは、どこかに怪我をしているの?」

 あの副団長が傷とか痣とか言っていた。この際だから、気になったことは聞いてしまおう。

「いや、どこにも怪我などしていない」

 ? じゃあ傷があるっていっていたのは何だったんだろ。

「……じゃあ、痣は?」

 すると、ルークはわずかに目を逸らし、逡巡するように口籠った。

「痣……は、あるが、大したことはない」

 歯切れの悪い答えだった。

 もしかして、隠したいのかなと思う。誰にだって、言いたくないことの一つや二つはあるものだ。痣なんて身体的なものならなおさら、おおっぴらにはしたくないのかもしれない。

 俺は「ふぅん」と頷いて、それ以上は触れないことにした。


 近頃各地の森で、魔物出現の報告が増えているのだと、食後のお茶を飲みながらルークが教えてくれる。

 森の中だけでなく、思わぬ場所で魔物に遭遇することもあり、騎士団としても神経質になっている。市民の生活を守り、不必要に不安を抱かせない為に、尽力している。騎士やその専属魔術師に対し、気を引き締めて勤務に当たるようにと、国からの通達も出ているという。

 だからあの強面の副団長も、俺の所に檄を飛ばしに来たのかな。俺が転移者で魔力も不十分な身だから、頼りなく思われたのかな。

 騎士団って大変なんだな。平和そうに見えるこの世界だけど、見えないところでは問題がいろいろあって、対処している人々がいる。

 俺は世間知らずなので、ルークからこうしてたまに世の中のことを教えてもらえるとありがたい。

 


 その夜、寝る前にテーブルの所で辞書を片手に本を読んでいたら、寝支度を終えたルークがいつの間にか俺の傍らに立っていた。

「……アヤト、今日も、良いだろうか」

 治癒術をしても良いかという問い掛けだ。

「あ、……うん。いいよ」

 俺は辞書を閉じて、いつものようにソファへ移動した。治癒をしてもらう際はソファで行う。最近ではこれが暗黙のルールとなっている。治癒をしてもらうと身体がぐらついたりしやすいから、すっぽり支えてくれるソファでのほうが安心するのだ。

 俺がソファに腰掛けると、ルークはキッチンの明かりを落とし、隣に来て腰を下ろした。

 ローテーブルの上の小さな灯り石のみが光りを燈す。橙色のほんのりとした明かりが、俺達の姿を浮かび上がらせる。

 やはりすこし緊張する。

 治癒をしてもらうとなると、距離が非常に近くなる。ルークの肌の匂いや息づかいに、不必要に敏感になる。

「……昨日、何が欲しいかと聞いてきたな」

 ルークが静かに口を開いた。

「うん、聞いた」

 俺はこくんと頷いた。

 実は俺は、ルークの誕生日が日に日に迫っているというのに、プレゼントを何にしたらいいのかまったく分からなくて、いっそ欲しい物を本人に尋ねることにしたのだ。それで昨日「もらえるとしたら何が欲しいか」と質問したら、本人から「少し考えておく」と言われたのだった。

「考えたのだが」

 ルークが少し緊張した面持ちで俺を見る。

 俺は黙ってその翡翠の瞳を受け止めた。


 ルークが少し前髪を切り、双眸が見えるようになって、ひとつ気が付いたことがある。

 ルークがとても頻繁に俺のことを見ている、ということだ。

 何気ない会話の最中も、ゆっくりお茶を飲んでいる時も、ぼんやり休憩している時も、ふと気が付けば瞳は俺に向けられている。追うように視線を向けられることもあれば、さらりと確認されるだけの時もある。

 不快には感じないけれど、見つめてくる翡翠の色がとても美しくて、戸惑いそうになることがある。

 吸い込まれそうな視線から、目が離せなくなりそうな気がして。

 ルークはただ、気遣いでこちらを見ているだけかもしれず、俺の自意識過剰かもしれないけれど。


「何でもいいよ。言ってみて」

 ルークが躊躇うような素振りを見せるので、励ますように言ってみる。

 だけどやっぱり高い物は買えない。先週神殿からお給料をもらったけれど、思ったよりも少なかった。転移者管理費という税金を引かれてしまうのだから仕方がないけど。

 でも手の届きそうなものなら頑張って買って、プレゼントしたいなと思う。普段からとてもお世話になっているし。

 俺の手元の辺りに向けられていたルークの視線が、ゆっくりと上がって俺を見る。その瞳には、わずかな熱のようなものが滲む。

「……手を、繋いでくれたらいい」

 ルークの口から出たのは、ものすごく謙虚な答えだった。

「これからも、手を繋いだり、治癒をさせてくれたらいい」

 ルークの両手が、俺の両手へと伸びてくる。絡め取るようにして優しく握り込まれた。じっと見下ろしてくる瞳がある。

 まるで求められているようだ、と思う

 自分がかけがえのない大切な存在にでもなったかのよう。

 胸の内が苦しいような気持ちになって、俺はあわてて視線を伏せた。

 ルークの触れてくる手が熱い。 

 ドキドキと鼓動が速くなって、羞恥に似た気分に襲われる。とても視線なんて受け止められない。こんな風に思うなんて、俺は変かもしれないけれど。

 だいたい、ルークがいきなり髪形を変えるのが悪い。こんなに熱の籠った綺麗な瞳をするのが悪い。俺に優しくしすぎるのも良くない。

 俺は(仮)の専属で、異世界から迷い込んだ人間で、いずれは元の世界へ帰りたい、帰るべきだと思う。……けれど。

 こんな風にされたら、もう二度と、帰れなくなるような気がする。

 少し怖いな、と思ってしまう。 



「治癒をしたい」

 囁くようにルークが言うので、俺は慌てて姿勢を正して目蓋を閉じた。

 すぐに訪れるであろう甘い熱にも身構える。

 ルークが望むのならば、できるだけ叶えたい。ずっと元気でいて欲しいし、俺は一応専属相手で、ちゃんとルークを支えるべきで、これぐらいしかまともに役に立てることがない。 

 暗闇の中、ルークの気配が強くなる。

 うっとりとするような肌の匂い。微かな衣擦れの音と、少し速くなる息遣い。

 今から治癒術を施される……。


 だけどその時、ふいに疑問に思ってしまった。

 治癒術とは、いったいどのようにして行われるのか。

 俺は毎回固く目を閉じていて分からないけど、ルークはどうやって俺に治癒を行っているのだろうか。

 ルークが知っていて、俺だけが知らないなんて、なんだか不公平だ。

 ちょっと怖いような気もするけれど、見てみたいと言う好奇心が膨れ上がって抑え難い。

 ほんの少しだけ、見てもいいだろうか。

 俺は目蓋をうっすらと、微かに持ち上げる程度開いて、目の前の光景に目を向けた。

 ルークの男らしく日に焼けた頬が見えた。

 淡い色の形の良い唇が薄く開いて、それが気怠げに、やるせないような色を滲ませてゆっくりと、俺の唇に近づいてゆく。

 熱の籠った艶やかな瞳が俺を見据える。

 唇をやわらかく塞がれた。

 ふに。

「……っ」

 俺は思わず仰け反って、びくびくと身体をしならせた。

 言葉にならない叫びを心の中で叫びまくる。じたばたと身動きしたくても、ルークの身体に抑え込まれていて動けない。

 ……キスだっ。

 これって、キスってやつじゃないのか――……!

 


 


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