第18話 知らない情報

 今日は週に一度の豆農場のバイトの日だったけれど、行けば必ず顔を見ていた鉄板メンバーのジークさんの姿がなかった。

 聞けばどうやら、今週はずっと出勤していないらしい。そんなにしゃべる仲ではなかったけれど、暢気で優しいおじさんだったからいないと淋しい。「最近は別の仕事が忙しいみたいだよ」と、他のバイトの人が教えてくれる。

 そういえば、この豆剥きバイトのメンバーも、この数カ月で半分くらい入れ替わった。豆の殻を剥くだけというこの作業は、単純で気ままな仕事だけれど、やりがいとか、変化や面白さとかでいったら物足りない。昇給があるわけでもなさそうだし、意外と短期間で辞めていく人は多いのかもしれない。

 俺はこの延々と広がる豆畑や、作業小屋の緑の匂いや、皆で同じ作業を黙々と行う感じがなんとなく好きだから、まだしばらく続けていたい。

 ここでは、転移者だとか魔力保有量だとか、読み書き能力や性別年齢関係なく、みんなで同じ作業を続けるだけだ。それで休憩時間にはのんびりと美味しいお茶を飲む。給料をもらえておみやげに豆までもらえる。

 頑張りすぎると指が痛くなるけれど、とても平和な世界で、すべての仕事がこんな風だったらなと思う。


 

 あれから、ほぼ一日置きぐらいでルークから、「治癒をさせてほしい」と言われる。アヤトに治癒をした方が、体調が良くなって魔力の調子も良いと言う。

 だから俺は、そのたびに大人しく治癒術を受けている。たいていはソファに腰掛けて目を瞑ってする。熱の余韻に耐えるのは大変だ。でも我慢できないことはない。

 だけどそのおかげか、やたら眠くなることが減った。あまり疲れなくなって、神殿での仕事でも、ニーニャさんから文句を言われることが少なくなった。

 それと、浄化をする前とした後とで、空気の清浄さが違うことに気付くようになった。

 どこからか、知らないうちに沸いてくる『穢れ』のようなもの。「消えろ」と念じて手のひらで触れると消えてなくなる。

 「穢れ」が消えた後の空気は澄んでいて、呼吸がしやすくなるような気がする。

 ドアの隅、棚の陰、澱んだ気配はどこにでもある。一度浄化したはずの場所でも、気が付けば再び濁りが出てくる。裏通りの錆びれて傾いた看板や、水たまりの淵。商店街の軒の下。道端に咲く小さく可憐な花の陰にも。

 「穢れ」の存在に気付き始めると、街を歩いていても気になってしまう。初めのうちは、行き帰りの途中でも、できる限り道端の穢れを浄化して歩いた。だけど、消しても消しても、穢れや濁りはあちこちにあり、まっさらになることはない。

 いちいち反応していては、頭がおかしくなりそうなほどに、街の中でも何処にいても、「穢れ」の陰は蔓延っている。

 俺はそのうち疲れてきて、なんだか腹も立ってきて、穢れのことは極力見ないことに決めた。神殿での仕事中以外は、忌々しい穢れのことはなるべく無視する。


 神殿で働く日数が、週二回から週三回に増えた。

 人手不足だから増やしてほしいと、先日神殿長に頼まれたのだ。少しは慣れて来たし、できないことはないかなと思い引き受けた。仕事内容は変わらない。


 その日は、いつものように礼拝堂で白布巾を片手に浄化の仕事をしていた。

 すると突然、カツカツと高い足音を響かせて、見たことのない騎士が礼拝堂へと入ってきた。

 見るからに屈強そうな体格で、歩き方は堂々としている。ルークよりも少し年上くらいだろうか。目つきが鋭く軍人然とした雰囲気だ。

 騎士は迷いなく礼拝堂の中央を歩いて祭壇の方へ進み来る。

「ブルースト副団長よ」

 一緒に仕事をしていたミシェルさんが小声で教えてくれた。

「あまり見ない方が良いわ。奥の方で仕事をしていましょ」

 それで俺も、ミシェルさんのあとに続いて礼拝堂を出て、奥の廊下や小部屋の浄化掃除を行うことにした。

 しかし高い足音は、祭壇の前で一瞬足をとめたのみで通り過ぎ、俺達を追うようにして、隅にある関係者用の扉から奥へと踏み入ってきた。

「アヤトという浄化師はいるか!」

 大きな声で名前を呼ばれて、廊下にいた俺はびくりと背筋を跳ねさせた。野太くて良く通る声だ。

「は、はい」

 なぜ自分がこんな怖そうな騎士に名前を呼ばれるのかわけが分からない。けれどアヤトという名前の浄化師は俺しかいないので、返事をしないわけにはいかない。俺はなにか不味いことでもしただろうか?

 困惑しながら振り返ると、強面短髪の屈強騎士は値踏みするように俺を見ながら近づいて来た。

「君がルーカスの専属か?」

 ブルースト副団長はそう言って、睨み付けるような目をする。

「そ、そうですが」

 専属といっても(仮)ですけど、という言葉は飲み込んだ。

 この人はルークの上司にあたる人だろうか。わざわざこんなところまで来て、俺に何か用事だろうか。

「君にはルーカスのことをどうかしっかりと支えてほしい。彼が復帰してくれたことは、我々にとっては大きな価値があることなのだ」

 副団長は鳶色の瞳を眇めると、高慢そうに口を開いた。

 ……復帰? 

 気になる点はあるけれど、口を挟めるような雰囲気ではない。

「ルーカスは未だに傷を抱えているはずだ。いや、傷ではなく痣というべきか」

 傷? 痣?

 ルークが怪我をしているなんて、初耳だ。ルーカスって、本当にルークのことを言っているのか?

 戸惑いながらも取り敢えず直立して相手が言うのを聞くしかなくて、頭の中に「?」が浮かぶ。

「だが、もしも支えきれないというのなら、早めに彼から離れてほしい。足を引っ張られるのは非常に困る。君のような者は、本来はこのような場所にいるべきではないだろう」

 その高圧的な態度や鋭い眼差しは、十分に俺を怯ませるものだった。

 俺は威嚇されている、あるいは脅されている?

 それにたぶんこの騎士は、俺が転移者であることを暗に指摘している。移転者は地位が低く信用もない。本来ならば騎士の専属などという重要な位置にいてはいけない。俺が神殿で働いていることも気に入らないのかもしれない。


 胸の中に、久々に苦い気分が広がった。

 前の職場である宿屋にいた時にも、よくこの気分を味わっていた。人は何故か、俺が転移者だと分かると途端に見下してきたりする。侮蔑的な態度や攻撃的な態度を取られることもあった。そのたびに、とても嫌な気分になった。

 この街へ来てからはわりと平和で、自分が転移者だということをあまり気にせず生活していられただけに、久しぶりの苦みを痛みに感じる。

「俺は…………」


 俺は別に、好きでこの世界にいるわけじゃない。


 望んで騎士の(仮)専属をしているのでもない。

 生きていくためには従うしかなく、できることを頑張るしかない。頑張ろうにもできることは限られていて、それでも頑張ろうと思って足掻いて。

 ……今の場所を奪われたなら、次はどこへ行けばいいのか。


 何かを言わなければならない。胸が苦しくて足が震える。

 俺が口を開こうとした、その時。

「そしてエッチなことをしてほしいっ」

 いつの間にか俺の隣には、例のちょっとボケているおじいちゃんが立っていた。皺くちゃな顔をさらに皺くちゃにして、難しげな渋面をしている。

「彼には、愛とエッチが必要なのじゃ!」

 あくまで真剣に、矜持のようなものを持って、まるでこの世の真理かなにかのように言い放つ老人に、俺と、おそらく屈強騎士も、面食らってたじろいだ。

 どこから来たのだろうこの老人は。そして、なんてファンキーなことを言うのだろうか。


「神子様ー!」

 にわかに慌ただしい足音がして、奥からドタバタと大勢の神官たちが押し寄せて来た。

「神子様がおられたぞっ」

「神子様っ、勝手に抜けられては困りますぞ!」

「さあさこちらへお越し下され! お祈りの時間はまだ終わっていませんぞっ」

 神官たちが小さな老人を取り囲んで連れ去ろうとする。

「嫌じゃっ、わしはここで真面目なお話をしているのじゃっ、大事なお話をしているのじゃっ」

 老人は駄々っ子のように抵抗して騒ぎ立てる。

「どうか正気にお戻りなされっ」

「お勤めをしてもらわねば困りますぞっ」

 神官たちが駄々をこねる老人に手を焼いて揉みくちゃになっている。

 このおじいちゃんは「神子様」だったのか……。と俺は驚きながらも納得していた。どうりでなんだか立派な服装をしているし、神殿内で自由にふらふらしているわけだ。

「この青年でなきゃ駄目なのじゃっ」

 突然老人に袖を掴まれ振り回されて、俺はよろよろとよろめきながら、神子様である老人をなだめる役割にまわるなどする。

「そ、それではこれで失敬するッ」

 威勢をくじかれた副団長は、咳払いを一つすると踵を返し、そそくさとその場を離れて行った。

 


 あの副団長は、よほど部下のことが大事なのかな……。

 俺は夕食後の瓜桃を食べる手を止めて考え込んだ。

 わざわざルークのために、俺に発破を掛けに来た(或いは文句を言いに来た)わけだよな。勤務中に仕事を抜け出してまでそんなことをしてくるとは。

 それってルークのことをよほど大事に思っているからか、それとも……。

 思わず向かい腰掛けるルークの顔をじっと見る。

 ルークは今、食卓で俺と同じように瓜桃をスプーンですくって食べている、のだが、

「? や、やはり変だろうか?」

 手を止めて、若干困惑ぎみに己の髪に手をやった。

 実はルークは昨日から、髪色を普通の茶色に変えている。それに、あんなに重そうだった前髪を、少しだけ短くしていた。俺が何度か髪のことを残念がったからか、心境の変化なのか、久しぶりにちゃんとした散髪屋に行ったらしい。

 髪の色が綺麗になり、翡翠の双眸が見やすくなって、なんというか、男前度が増している。

「ヘンじゃないけど……」

 俺はうむーと考える。

「けど……?」

 ルークは言葉の先が気になるのか、神妙な顔つきで聞いてくる。それで俺は、思い切って考えていたことを聞いてみた。

「騎士団の副団長さんってさ、ホモなのかな?」

 ぶほッ、とルークが大きくムセた。

 ムセたけど、今回は立ち直りが早かった。

「副団長のブルーストが、なぜホ、ホモだなんて思うんだ?」

「だって、ルークのことをすごく大事みたいに言っていたから」

 もしかしたらルークのことを上司と部下以上に思っていて、それで邪魔な存在となる可能性のある俺のことをけん制しに来たのでは、なんて邪推してみたけど。

「ホモかどうかは知らないが、ブルーストにはすでに大事な人がいる」

「なんだ。そうか」

 俺はちょっとほっとして胸をなで下ろした。

 ルークにあんな怖そうな恋人ができたら、俺はしょっちゅう嫌がらせを受けて寿命が縮みそうだ。いやその前にこの部屋を追い出されて、前の職場へ強制送還されそうだ。違っていて本当に良かった。








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