第21話 気にしなくていい
『巣を奪われた魔物達の怒りは、なかなか鎮まることがなかった。
苦悩した勇者レグナンドは、並外れた魔術力でもって難度の高い秘術である≪召喚の術≫を執り行い、異世界から御供となる魂を呼び寄せた』
ん?
俺は読むのをストップして顔を上げた。
召喚の術?
『そしてその御供を、魔物王へ生贄として差し出すことで、魔物達の怒りを鎮めたのである…………』
……面白いお話だった。
けれど、最後の方の『生贄として差し出した』というところが腑に落ちなくて、「よかった」とは思えない。
異世界から召喚した魂って何のことだろう? 魔物に生贄として差し出した? 御供?
まさかこの魂って、『人』ではないよな? もしこれが『人』だとしたら、俺と同じ転移者ということになる。人ではなかったとしても、元の世界から突然見知らぬ場所へ連れてこられて、その上恐ろしい魔物の生贄にされてしまうなんて、酷過ぎるよ。
勇者だったらもっと他の方法が取れたんじゃないのかな。よく考えたらこの勇者はすごく身勝手で残酷な人かもしれない。生贄にされた魂には何の罪もないんだぞ。生贄にするために呼び寄せるってどういうことだよ。もし自分がこの魂の立場だったらと思うとぞっとする。
読むんじゃなかった。こんな怖い話。
ルークが帰宅する前に読み終えたので、本は自室のカバンの中にしまい込んだ。
暦の上ではすっかり秋となっている。
ただこの世界では、四季の寒暖差はそれほど大きなものではない。年間を通してわりと過ごしやすい気候をしている。
だけどやはり秋には秋の花が咲くし、農作物などもその時期に合ったものが旺盛となる。落ち葉がひらりと舞うようになり、秋であることを実感する。
窓辺から入り込む昼下がりの風も、微妙に肌寒いものに感じられて、俺は外を眺めるのをやめて窓を閉めた。
最近の俺は、なんとなくブルーな気分でいる。
夕飯の支度もいまいち気合が入らなくて、簡単なスープを作っただけで力尽きてソファに沈んだ。
この気分は、読み終えたばかりの本の内容に引き摺られているのもあるかもだけど、一番の原因はルークとの距離感に悩んでいることだ。
治癒術のたびにキスをされていたのだと分かった日から三日ほど経つ。が、実は俺はこの三日間、ルークと至近距離になることを避けて過ごしている。
だって、なんだか緊張してしまうのだ。
今までなら何気なく腰掛けていたソファも、隣に来られたらと思うとドキドキしてしまって、ルークが居る時には座れない。意識のしすぎだと分かってはいるけれど、落ち着かないものは落ち着かない。
治癒をしたいという訴えも、昨日は「ごめん」と言って断ってしまった。またあんな風にされるのかと思ったら、ドキドキしすぎて挙動不審になってしまいそうだからだ。
……分かっている。こんなことではマズいのだ。仮にも専属の関係なのに。居候させてもらっている身分なのに。
でも、平気な顔をしてキスを受け入れられるほど、俺の胆は据わっていない。
うう。ルークが俺のことを、自意識過剰で面倒くさい嫌な奴、とか思ってしまったら嫌だな。それに誤解されるのも困る。俺はルークを嫌っているわけでは決してないのだ。
至近距離になっても緊張せずにいられる方法があるのならば、教えてほしい。
「ただいま」
少し遅い時間になって、いつものようにルークが帰ってきた。
騎士の制服の時のルークは、部屋着の時よりもちょっとだけ若く見える。髪を少し切って、もさもさ具合が減ったのが功を奏している。普段はやや背を丸めて座るような癖があるけれど、制服姿の時はそれがない。
「おかえりー」と、なるべく普段通りの返事をして迎えた俺は、思わず「おおっ」と驚いてしまった。
ルークが両腕に大きな紙袋を二つ抱えていたからだ。
「買ってしまった」
そう言ってテーブルの上に置かれた紙袋からは、ものすごく旨そうな匂いが漂ってくる。
「はぅっ、この匂いは、もしかしてっ」
予想は当たっていた。包み焼きの匂いだ。
包み焼きは、ひき肉と野菜のみじん切りをこねた物を、もちもちの生地で包んで蒸したもので、肉まんと小龍包を足して二で割った感じの食べ物だ。メチャクチャ美味しくて、初めて食べた時は頬が落ちるかと焦ったぐらいだ。ただ、店のある場所がちょっと遠くて、なかなか買いに行けないのが難点なのだ。
その包み焼きが、ほかほかと湯気を上げながら山のように紙袋から出てくる。
「いっぱいあるっ」
思わず歓声を上げてしまったら、
「向こうへ行く用事があったから、つい」
目を輝かせる俺を見て、わずかに表情を緩めながらルークが答える。
それからもう一つの紙袋のほうも、入り口を広げて中身を取り出した。
「それは、なに?」
布製のもふもふとした、薄茶色の、……ぬいぐるみ、だろうか? 二頭身半の、ネコのようなクマのような姿をしている。
「これは、安息と安眠の効果がありさらには防虫と魔除け機能も付いている、高性能布製安楽安息装置だ」
至極生真面目な顔でそう説明してくれる。
高性能安楽安息装置……。ぬいぐるみにしかみえない。
持ってみても置いておくだけでも効果があるというので、試しに少し持ってみた。
確かに、癒しの効果は得られるのかもしれない。というか、これは普通にぬいぐるみだろう。
丸顔ののん気な表情が可愛くてよい。むにゅっと抱っこして、思わずもにゅもにゅと揉んでしまう。
この感じ、どこかで見たようで懐かしい。
そうだ。元の世界にいた頃に、家で飼っていた猫に似ている。まるまるしていて、いつも寝転がっている猫だった。
それと、少し前にルークと買い物に行った時に、雑貨屋の店先で見つけて(可愛いなぁ)と思って眺めたぬいぐるみにも似ている気がする……。
「使わないときはソファにでも置いておくといい」
そう言ってルークがソファの真ん中を指すので、俺はひとしきりもちもちと揉んだ後、ソファにぽふんと座らせてみた。賢いことにそいつは傾いたりせずに座っていられた。
しかしこのぬいぐるみを、ルークは一体どんな顔をして買い求めたのだろう。屈強そうな騎士が、ぬいぐるみを買い求める場面を想像してちょっと顔がにやける。それに、どうして急にぬいぐるみなど買ってきたんだ?
若干の疑問はあるけれど、可愛いからとりあえずまあ良しとする。
「俺、これに名前を付けてもいいかな」
どうしても名前を付けてみたくて、俺が尋ねると、
「もちろん構わない」
ルークは鷹揚な様子で肯いてくれる。
それで俺は、このもふもふに『こげお』という名前を付けた。家で飼っていた猫と同じ名前だ。可愛くてのほほんとした雰囲気がとても似ているから。
「……こげお」
ルークも覚えてくれたみたいで、神妙な顔つきで復唱している。
紙袋の底からは、果物や甘いお菓子の包みもたくさん出てきた。
「食べたくなって、つい」
ルークでも甘い物を爆買いしたくなることがあるなんて意外だ。俺の分もある、どころか、どう見ても二人では食べきれないような量がある。
夕飯が一気に豪華なパーティのようになった。買う時に迷って選びきれずに全部買った、というルークの話を笑って聞いた。
美味しい物をお腹いっぱい食べたら元気が出てきた。
「ごちそうさま。おいしかった」
お腹をさすりながら俺が言うと、ルークは小さく肯いて、空になったスープ皿にそっと触れた。
「スープが一番のご馳走だった。ありがとう」
穏やかな眼差しを俺に向けながら言う。
ルークは大人だなと思う。
お皿を片付けて、それからお茶休憩にした。
俺はお茶を飲み終えるとこげおの隣へ行って、そのもちもちな頭を撫でた。安息効果があるというのは本当かもしれない。ネコなのかクマなのか分からないけど、かなり可愛い。男二人のむさ苦しい室内で、さっそく潤いとなっている。
猫のこげおは元気かな。
ふと思い出してしまって手が止まる。
あの頃にはもう老猫だったから、生きているかは怪しいな。
「気に入ってくれたようで良かった」
ルークもまた、お茶を片手にこげおを見に来た。だけどソファには座らず、お茶のカップをローテーブルに置くと、床に片膝をついて、こげおの丸い手を長い指先でむにむにと触る。
俺はあれ、と思った。
こうしていると緊張しない。ルークの身体が結構近くに来ているというのに普通でいられる。
これもこげおの効果だろうか。ただ単に、おなかがいっぱいになって気が緩んでいるだけかもしれないが。
今ならば、ナチュラルに治癒を受けられるような気がする。
「……今日、治癒、する?」
それで俺は思い切って、ルークにそう問い掛けてみた。
するとルークは、こげおの丸い手から指を離し、ソファの端へと移動して腰掛けた。そして思案するような表情で、「いや、いい」と答えた。
「あれはやはり、怪我をしたり、体調が悪い時にだけやるものだ。気にしなくていいんだ」
え、あぁ。そうなんだ。
俺はなんだか気が抜けて、間抜けな返事になってしまった。
俺はてっきり、ルークは治癒を毎日でもやりたいのかと思っていた。だってこの前の時、治癒をすることで俺の魔力が伝わると体調が安定するって言っていたから。俺の魔力とか浄化力とかが欲しいのかなって思ってた。
やらなくていいのなら、変にドキドキしなくて済むからほっとするけど。
だけど心の中は、なんだかもやもやしてしまう。
だって、魔力の交流って、必要がなければ別にやらなくても良いような、そんな程度のものだったのか。魔力を交流をしなくても、専属として役割を果たしていることになるのだろうか。
あれ、専属って何だっけ。どうして俺ってここにいるんだ。
考え出すと余計に頭の中がもやもやしてきて、俺は考えるのを一旦やめた。
こげおの耳をむにゅむにゅ潰す。
ルークが俺のことを気遣ってくれていることは伝わる。ルークはすごく優しすぎるのだ。
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