第22話 偽物の勇者
朝のまだわりと早い時間である。
部屋に来訪者があったらしく、ルークが玄関口で話をする声が聞こえてくる。
相手は若い男のようで、「久しぶりだな」とか、「最近どうしているんだ」などと会話を交わしている。ルークのお友達だろうか。人が訪ねて来るなんてとても珍しいことだ。
自室で寝ていた俺は、ベッドを抜け出してドアをそっと開けると、玄関のほうをこっそりと覗いてみた。
お友達は、黒っぽいコートに身を包み、バックパックを背負っていて黒帽子を手にしている。茶短髪の青年だ。ルークと同じくらいの歳だろうか。
見つからないように覗いたつもりだったけど、青年は俺の姿にちらりと目をとめたようだった。少し驚いたように目を丸くして、それから人懐っこそうに笑う。
俺は自分が寝起き姿なのを思い出して、あわてて扉の陰に隠れた。ぼさぼさ頭の夜着のままで、こんなだらしない恰好じゃお客さんの前には出られない。
着替えて顔を洗って髪を梳かさなきゃだけど、……面倒だからもうしばらく部屋の中で隠れていようかな。
しかし青年はこれから用事があるらしく、ルークが「どこかでお茶でも」と言いかけるのを断って、短く挨拶をしただけで帰っていった。
それで俺はようやくほっとしながら自室から出ることができた。
ルークは山盛りの黄蜜の入った紙袋を抱えて複雑な表情をしている。
「お友達?」
俺が尋ねると、
「友達、というほど親しくはないんだが、毎年こうして何かをくれる」
黄蜜は、たしか南の地方でしか穫れない果物で、このあたりで見かけることは珍しい。黄色い皮がつやつやしていて目に鮮やかだ。南のほうへ旅行にでも行ったのだろうか。
「世話になってるからと言われたが、別に世話をした覚えはない。十年前に少しの期間同じ場所で働いていただけだ」
ルークは首をかしげながらも、黄蜜の紙袋をテーブルの上に置き、実を一つ一つ吟味する。そうして「問題なさそうだな」と呟くと、一つを手に持って皮を剝き始めた。
「これは手で簡単に剥けるんだ」
中の実は橙色をしていてミカンに似ている。ルークは実を半分に割ると、片方を「ほら」と言って俺に差し出した。実を受け取って口に入れてみると、甘酸っぱくて瑞々しい。
「知らないうちに何かしてあげてたんじゃないの?」
ルークは意外と世話焼きなところがあるから無意識に人助けとかしてそうだ。
俺がそう問うと、ルークは「うーん」と首を傾げ、「よく分からん」と言った。それから黄蜜の実を口に入れながら、「実はあいつの名前もよく覚えていない」と答えた。
「美貌の勇者が街に来ている」
このところ、そんな噂を耳にする。
街を歩いていても聞くし、豆農場のバイト先でも耳にした。
実は掲示板のところで小さなポスターも見た。
『勇者Lの奇術ショー☆ 美貌の勇者が華麗な奇術をお披露目します』
見てみたい。
一体どんな美貌の勇者が現れて、どんな素晴らしい奇術を見せてくれるんだろう。
勇者Lって、やっぱりルーカスの「L」なのかな。まさか本物の勇者、な訳はないだろうけど、それに似た人が来るのかもしれない。
このことを俺は嬉々としてルークに話したんだけど、ルークはまったくと言ってよいほど興味を示さなかった。それどころか、人込みで子供騙しのショーを見ることには、若干忌避的な感じだった。
ショーは街の広場で数日間行われるらしい。休日が合えば一緒に見に行きたいなと思ったけれど。ルークを誘うのは無理のようだ。
それで俺は、神殿の仕事帰りに一人で見に行くことにした。
商店街の広場なら場所は分かる。買い物で何度か通りかかったことがある。
普段の広場は、のんびりと散歩をする人や、ベンチで休憩する親子連れの姿が見られるような、わりと閑散とした場所である。
だけど、この日は違った。
老若男女の人だかりがあり、どこからか楽し気な音楽が流れてくる。風船を持つ子どもの姿もちらほら見かけた。甘いお菓子の匂いが漂い、カラフルなポスターの貼られた立て看板も出ており、すっかりお祭りムードとなっている。
美貌の奇術師勇者Lは人だかりの向こうにいるようだ。人込みのが邪魔してちっとも見えない。
勇者を見たい。どうしても見たい。どんな姿なのか、とても興味がある。
俺は気合を入れて人の間をすり抜け、かいくぐり、たまに足を踏まれたり、押されてよろめいたりもしながら、なんとか目的の人物の姿が見える位置にまでたどり着いた。
勇者Lは、真紅の騎士服を身に纏い、艶やかな黒マントを翻してそこにいた。
目元には黒いマスク。きらきらと波打つ長い金色の髪。頭上にはシルクハット。すらりと細身で脚取りは軽やかだ。
目元のマスクのせいで、美貌かどうかまでは分からない。見た感じは一応整ってはいるかもしれない。
奇術師は微笑みながらギャラリーを見渡すと、胸に手を当て恭しい騎士風の挨拶をした。
そうして頭に乗せているハットの位置を優雅な仕草でわずかに直すと、傍らにある自動演奏装置をオンにした。
どこか懐かしいような軽快なオルガンの音色が流れ始めた。
その明るくももの哀しげな音色に合わせ、奇術師は優雅なステップを踏み、大道芸を披露し始めた。
カラフルな玉を幾つも空中で操りながら、華麗なターンや宙返り。手からは次々と薔薇の花が飛び出して、カラフルな玉はいつの間にか大量の薔薇に変わった。
抱えきれない薔薇たちは、にわかに吹いた突風に巻き上げられ、花吹雪となって観客の上にはらはらと舞う。奇術師がふうっと息を吹けば、口先からは虹色のシャボン玉がシャワーのように飛び出して、上空をシャボン玉の群れが泳ぐ。
観客は歓声を上げ、魅了されっぱなしだった。
ポケットからは火花を取り出し、両手のひらの上で火花がパチパチと爆ぜたかと思うと、それは赤や黄の風船に化けた。その風船を奇術師が客に向かってポンポン投げるから、観客からはどっと笑いが起こる。
そうかと思うと、指先から炎を噴き上げ、熱風で客たちを驚かせる。炎の中からはカラフルな玉が飛び出し、いつの間にか炎は消えて、奇術師の投げる手の先で高く低く、くるくる回る。
華麗で巧みな奇術はどれも奇抜で魅力的だ。
だけど、『奇術師勇者L』は、勇者ルーカスとは何の関係もなさそうだ。
木の立て看板の所には、『美貌の勇者ルーカスが華麗な奇術をお披露目します』と書いてあるけれど、よく見るとルーカスの文字の横には小さく(の親友)という文字が見えた。
本人じゃなくて、親友? まぎらわしいな。
奇術は他にも、口から火を拭いたり、懐から怪鳥を取り出したりして、どれも楽しくて飽きなかった。
子供騙しと言えばそうかもしれないけれど、魔力を使わなくては無理だろうと思われる術もあり、結構本格的だった。
勇者が投げキッスをすると、女性たちからは黄色い声が盛んに上がる。拍手や「いいぞ!」の声もすごい。
だけど、投げられるのは声援ばかりではなかった。ショーの途中では、「逃亡勇者!」と後方から嗤い交じりのヤジが聞こえた。「剣を捨てて芸を磨いたのか」という嘲笑も聞こえた。
最後には、奇術師は華麗に微笑みながら剣を抜き、舞踏のような剣術を舞った。
空を切る剣の軌道には光の粉がキラキラと尾を引き、人々は鋭い刃の煌めきと、生き物のようにうねる火の粉の軌跡に魅了されて、大きな拍手を勇者に捧げた。
ショーが終ると、勇者は懐から古びた黒帽子を取り出し、裏返して足元に置くと、恭しく礼をした。
見物料をこの中に入れろということらしい。
こういうところはやはり大道芸人だ。
小銭を投げ入れる人もあれば、称賛の声だけ残して去る人もいる。お金を払わない人のほうが多いかもしれない。
俺はお金を払うことにした。最後まで見てしまったし楽しかったし。
ごそごそと鞄の中から財布を探って小銭を取り出す。
奇術師勇者は、人々に手を振ったり握手をしたりして愛想を振り撒いている。
人だかりがまばらになり勇者の帽子の前が空いたので、俺も近づいてお金を入れた。そんなに大きな額は払えない。申し訳ないけれど、美味しいパンを一食分買えるくらいの額にした。
お金を入れると、奇術師に笑顔で握手を求められたので、軽く手を握る。
目元のマスク越しに見えるのは琥珀っぽい瞳の色で、金色の髪は作り物めいている。やっぱりルーカスじゃないなと思う。
と思っていたら、急に手をぐいっと引かれ抱き寄せられた。
抵抗する暇もなかった。唇に「チュ」と軽いキスをされ、びっくりする間に解放された。
相手は笑って手を振っている。
今のは挨拶みたいなものだったのか。まったく悪びれた感じはなさそうで、人懐っこい笑顔をこちらに向けてくる。
俺は引きつった顔で手を振り返し、転びそうになりながらその場を離れた。
可愛い女の子相手ならばともかく、男の俺にキスをするなんて。あの奇術師はどうかしている。奇術はとても素晴らしかったけど。
俺は袖口でごしごしと唇を拭いながら歩いた。
ただの軽いキスだった。魔力が入ってくるような感じもなかった。
だけどなんか嫌だった。
歩きながら、なんだかだんだん腹が立ってくる。
キスっているのは、相手にお伺いを立ててからする大切な行為だろ。あんなふうに不意打ちでするのなんて違反だろ。
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