第24話 ルークの秘密

 神殿の礼拝堂で浄化の仕事をしていると、まれにお祈りに訪れた人に話しかけられることがある。

「一緒にお祈りをしてほしい」

 たいていはそんなふうに頼まれる。俺のことを神官か何かと間違えているのかもしれない。

 初めのうちは律儀に神官を呼んできたりしていたが、神官も暇なわけではなく、断られることが多かった。

 だから最近では「俺はただの浄化師だけど、それでもよければ」と、引き受けることにしている。浄化師仲間からは「面倒なら断っていいんだよ」と言われるけれど、一緒にお祈りをするだけで喜んでもらえるのなら、少しぐらい付き合おうと思う。


 今日は十歳ぐらいの女の子に声を掛けられた。 

「これを、神様にお願いしたいです」

 女の子は手のひらに小さく折りたたんだメモ紙を持っていた。広げてみるとそこには拙い文字で、「おとうさんのご病気をなおしてください」とあった。

 俺は神子でも神官でもないから、神様に直接声を届けたりはできない。一応そう伝えたけれど、「それでもいいです」と女の子は言う。

 それで俺は女の子と一緒に、神様がいるとされる祭壇の方に向かってお祈りをした。

 どうか、この子の願いが叶いますように……。


 神殿を訪れる人は、その胸に少なからぬ不安や希望を抱いている。

 不安に暗く沈んでしまいそうな心を、少しでも希望や癒しといった光に変えたい。きっと前を向きたくて、人々はこの場所を訪れるのだと思う。

 どうか、叶え、と願う。

 こうして誰かのために祈っていると、自分の中にある不安や悩みも小さくなって、やがては大丈夫だと思える時が来るような気がする。

 柔らかな陽ざしの差し込む礼拝堂は、とても静かだ。

 本当に、神様が耳を傾けてくれたらいいのに。 



 今日も残業が少しあった。

 勤務時間が長くなると、やはりその分疲れが溜まる。

 仕事終わりに使用した白布巾の片づけをしていたら、窓の外の少し離れた木々の向こうを、騎士が横切っていった気がした。

 あれ。

 俺は手を止めて、窓の向こうに目を凝らしたけれど、騎士はとても速足で、すぐに姿は見えなくなった。

 気のせいかな。ルークの姿に似ていた気がする。

 隣で一緒に布巾を濯いでいたミーニャさんが、ため息を吐きながら布巾を絞る。

「あの勇者、また来ていたわね」

「え?」

「だから勇者。たまに魔石に魔力を吹き込みに来てるでしょ」

「……」

 なんのことだか分からない。というか、『あの勇者?』

 俺が手を止めてぽかんとしているのを、ミーニャさんは面白くなさそうに一瞥し、布巾をさらにぎゅっと絞った。

「いいわよね。あなたはコネでここに居るんでしょ?」

「え?」

「だから、勇者の口添えでここに来たんでしょ?」

 先ほどから、勇者勇者と何のことを言っているのだろう。なにか勘違いでもしているのだろうか。

 俺が遠慮がちに口を開こうとすると、

「私はあの勇者のことを認めていないわ」

 ミーニャさんはそう言って、俺のことをギッと睨んだ。

「私の両親は勇者に見捨てられて亡くなったのよ。村は焼かれて灰になった。人が勇者をちやほやしても、私は決して許さない。勇者はいつまでも責任を負って苦しむべきだわ」

 突然向けられた敵意と、吐露された内容の重さに、俺は言葉を返すことができずに黙った。

 どうしてミーニャさんが、勇者に対する敵意を俺に向けて来るのかは分からない。

 ただ、心臓の音だけが、ドクンドクンと速くなった。

「……勇者」

「知っているんでしょ。ルーカス=アベルよ。隠れていても、忘れたふりをしていても、覚えている者はちゃんといるわよ。あの騎士が元勇者のルーカスだってこと。あなた、詳しく聞かされていないの?」

 憐れむように、ほんの少し残酷なものでも見るように、ミーニャさんが俺のことを見て嗤う。

「だったらあの騎士のクローゼットの奥を覗くといいわ。錆びた剣や朽ちかけた鎧があるはずよ」



 俺は呆然としながら仕事を終わらせ神殿を出た。

 ルークが、勇者ルーカス?

 そんな馬鹿な。そんなことはあるはずがない。

 だってルークはのんびりで、ぼんやりしているところもあって、髪ももさもさだ。家にいる時はいつの間にかちょっと猫背になってるし、それによくムセる。たまにお皿を割っているし、何でもないところで躓くのを見たこともある。

 ……だけど。

 だけどそういえば、合致する部分もある。

 歳がもうすぐ二十八で、少なからぬ魔力を持っているところ。以前にも騎士をしていたことがあるところ。瞳の色も勇者ルーカスと同じ翡翠色だ。それに、左の腰には勇者の証に似た星形の痣があった。

 でも、やっぱり信じられない。

 ミーニャさんの勘違いだと思う。だって今までそんな話を一度も聞いたことがないし、勇者を思わせるような華々しい部分はどこにもない。腰の痣だって、はっきりしっかり見たわけじゃなく、あんな痣なんて多少は誰にでもあるものだろうし。


「ただいま……」

 部屋に帰ってきたものの、ルークの姿はまだなくて、室内はシンとしていた。

 俺は自室に鞄を下すと、そっと隣の部屋を覗いた。

 よく知っているルークの部屋だ。大きなベッド、シンプルで無骨な机と椅子があり、その横には衣類をしまってある木箱。

 クローゼットは壁に埋め込み式となっていて、両開きの扉がついている。

 そういえばあのクローゼットが開いているのを、俺は一度も見たことがない。鍵が掛けてあるのかもしれない。

 俺はルークの部屋にそっと入って、クローゼットの取っ手を掴んだ。

 他人のクローゼットを覗くのは、悪いことだと自覚している。

 だけどきっと、鍵が掛かっていると思うから。大事なものがしまってあるのならばなおさら。中を覗くことなんて、きっとできないと思うから。ちょっとだけ、試しに引いてみるだけだ。

 そう思いながら、思い切って取っ手を引いてみると、『ガチャリ』という重い音がして、両開きの扉が開いた。


 中は意外と広かった。

 そして薄暗い。

 いくつかの木箱。それから古びた本棚があった。棚には難しそうな分厚い本がぎっしりと並べられている。

 一歩中へと踏み入ってみた。

 一番奥の木箱に立てかけるようにして、ぼろ布に包まれた大きな長いものが見えた。ずいぶんと無造作に置いてある。けれど薄暗いクローゼットのなかで、それは布越しに水色の淡い光を放っていて、何か特別な、おそらく剣なのだろうと朧に思った。

 棚にある書物はどれも立派な装丁のものばかりで、魔術に関するものが多い。

 一つを手に取って開いてみると、どのページにも細かな書き込みがびっしりとあって、勉強した痕跡が伺える。

 ふと、隅に一冊、栞の挟まった本があるのを見つけて、気になって手に取ってみた。栞の部分を開いてみると、『召喚術』について書かれた章だった。

 やはりびっしりと書き込みがあった。難しい文字の群れだ。

 その中に日付があって、そこははっきりと読むことができた。

 4年前の11月6日の日付が記されている。

『自分のエゴだと分かってはいるが、召喚の術を敢行することを決意した。この運命を背負わせることのできる魂を望む』


 4年前の11月6日。

 ……俺がこの世界にやって来た日だ。




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