第25話 刺してくれ

 頭の中が混乱していた。

 召喚の術……?

 運命を、背負わせる……?

 どういうことだ。

 俺は本を棚に戻すと、近くにある木箱の一つを開けてみた。

 そこには、古びた騎士の制服や、マントがしまってあるようだった。そしてその上には、勲章の金バッジやメダルが、無造作に幾つも積み重なっていた。

 金色のバッジやメダルは、薄明りの中にあってさえ、きらきらとした眩しい輝きを放っている。

 俺は、呆然としながら木箱の蓋を閉じた。

 ルークが、勇者ルーカス……。

 そのルーカスが、召喚の術を使って、俺をこの世界に引き込んだのか?

 ……信じたくない。

 どう理解したらいいのか分からない。


 だけど、思い返せば怪しい部分はいくつだってあった気がする。

 記憶の中でいろいろな情報がフラッシュバックする。

 魔力がとても強くて、治癒術も攻撃魔術も使えるところ。他の人はどちらかの属性しか持っていないらしいのに、ルークはどちらも使えていた。

 復帰してまだ半年の騎士なのに、こんな良い物件に住めていること。副騎士団長にえらく目をかけてもらっていることも、王宮から手紙が届いたりすることも。元勇者だったからなのか。

 それに、翡翠の瞳がとても美しい色をしていて、よく見ると男らしい整った顔立ちをしていることも。髪の色だって、薬で染めているけれど、あれは白髪染めなんかじゃなくて、おそらく元の髪色を隠すために染めているのだ。

 神子様が俺を見てやたらと勇者の話をしたのも、ルークのことを言っていたのか。

 すべてが、ルークが勇者ルーカスであると思えば納得がいく。

 じゃあ、ルークが俺に近づいて、強引に専属浄化師にしたのは何のため?

 俺を囲い込んで油断させて、いずれは魔物の生贄や御供として利用しようと考えていたのか……?

 

 いつの間にか、部屋のに中は夜の気配が満ちていた。

 窓から入り込む月明かりが蒼白い。

 明かりを灯す気にはなれなくて、俺は自室のベッドに横たわったまま、じっと瞼を閉じていた。

 どこかへ行ってしまいたい。そう思ったりもしたけれど、結局行ける場所などどこにもないし、帰れる場所もこの部屋しかない。


 ルークが、勇者ルーカスであったこと。

 そのルーカスが、どうやら俺のことを魔術で召喚したらしいこと。

 俺のことを召喚したのは、利用するのが目的だったらしいこと。


 俺はこれを、どう受け止めたらいいのか。

 クローゼットの中を見てしまったあとは、しばらくの間うろうろと部屋の中を歩き回って、それから自室のベッドで丸くなって考えたけれど、頭の中は整理できずにぐちゃぐちゃのままだ。

 薄闇の中にいると、この世界に落とされた時のことを思い出す。

 俺は、ほの暗い森の中の小さな泉に落とされて、この世界にやって来た。

 ずぶ濡れで動転して、やっとのことで泉の淵から這い上がり、驚愕しながら辺りの景色を見渡した。見たこともない、全く知らない森の中だった。

 怖くてたまらずに、泣きながら森の中をさまよい歩いた。お母さんやお父さんやお姉ちゃんの名前を呼んで、裸足の脚で何度も転んだ。

 確かに昨夜は、自分の部屋のベッドに入って、安全に眠ったはずだったのに。いつもと変わらない同じ明日が来るのだと、信じて疑わずにいたのに。

 何時間か歩きまわったころ、この世界の村人らしい数人の男に発見されて、俺は保護された。

 男たちは俺の姿を見付けた時には目を丸くしていた。そうして口々に、

「本当にいるとはなあ」

 と言った。

「転移者がいるから保護してくれって大金を渡されたけど、まさか本当にいるとはなぁ」

 あの時は混乱していてよく分からなかったけれど。村人たちは俺を見てたしかにそう言っていた。


 静寂の中、外から伝わるわずかな物音を鼓膜が拾う。

 規則正しい足取りで階段を上ってくる足音。

 ドアの前で立ち止まり、ポケットから鍵を取り出す気配。

 ああ。ルークだ。

 足音でわかる。ルークが帰ってきたんだ。

 いつの間にか、俺は足音だけでルークが分かるようになっていた。一人ぼっちの夜にはいつも、この足音を待ちわびたし、ルークが帰ってきたと分かると、ほっと安心したりした。

 ベッドの上で、俺はゆっくりと瞼を開けた。

 そうしてゆらりと身体を起こす。

 俺をこの世界に引きずり込んだ張本人が、もうすぐここにやって来る。


 宿屋にいたときには、俺はシャツの内ポケットに常にナイフを持ち歩いていた。

 いつ何時、悪意を持った輩が悪戯を仕掛けてくるか分からない。素手では敵わない相手かもしれない。もしもの時のために、護身用に持ち始めたのがきっかけだった。

 ルークと暮らし始めてからは、ナイフなど必要のない生活となった。俺はとても安心して、時には楽しいとさえ思いながら日々を過ごした。一緒に飲んだお茶や、いろんなおやつ、食事、果物、おいしかった。


 暗闇の中、俺は引き出しの奥から、ナイフを静かに取り出した。

 ナイフは折りたたみ式の小型のものだ。だけどその切っ先は鋭く尖り、刃は研ぎ澄まされている。

 折りたたまれた刃を摘んでそっと引き出す。

 怜悧に尖った切っ先が、月明かりを映して蒼く光った。


 ルークがドアを開ける音がする。

「……アヤト?」

 訝しむように俺を呼ぶ声。

 室内が非常に暗いことに疑問を持ったのだろう。

「アヤト、なぜこんなに暗く……」

 ルークは玄関先にある小さな灯り石に光りを燈した。

 俺は自室の入り口に立ち、ルークがこちらに近づいて来るのを待った。

 ルークは玄関の扉を閉めて振り向き、俺の姿に気付いたようだ。驚いたように動きを止める。

 俺はルークの方を向いて立っていた。

 両手でナイフの柄を握り締め、その鋭い切っ先は、真っ直ぐにルークに向けられている。


「……アヤト」

 呆然としたように俺を見るルークに、俺は声が震えてしまわないように、全身に力を入れて言葉を発した。

「……ルークが、勇者ルーカス、……だったのか?」

 ルークは息を飲むように瞠目し、差し向けられたナイフと、それから俺を見た。

「俺をこの世界に呼んだのも、ルークだったの?」

「……それは」

 ルークの脚が一歩近づいてこようとしたので、俺はナイフの柄を一層固く握り締めて構えた。

「……なんで、……どうして、どうして俺をこの世界に呼んだんだよっ。俺は元の世界で暮らしていたのにっ!」

 ナイフの切っ先は、震えながらもひたすらにルークの心臓に向けられている。

 これ以上、一歩も動くことができないことを悟ったのか、ルークはその場に佇んで、沈痛な面持ちで俺を見つめた。

「本当のことを言えよ! 嘘をついて、俺を騙していたんだろう。本当は、俺を利用するつもりだったんだろう……!」

 するとルークは、とても静かに口を開いた。

「……嘘をついていたつもりはない」

 そうしてその場で手荷物を下すと、騎士服の喉元のボタンをひとつ外した。

「だけど結果的には、騙していたのかもしれない……」

 悄然とした様子でそう呟くと、視線を上げて俺を見て、少し苦しそうに話し始めた。


「たしかに俺は、勇者と呼ばれて持てはやされた時期があった。だが、勇者と呼べるような立派なことはしていない。

 子どもの頃から魔力が強くて、逃れられない「証し」の痣があったから、勇者の役割を背負うことは必至だった。

 だけど俺は、勇者と呼べるような人間じゃない。毎日が不安と恐怖の連続だった。逃げることも立ち止まることも許されず、周囲を顧みるような余裕もなく、ただ闇雲に突き進むしかなかった。そして失敗と後悔の連続だった。

 俺は自分を勇者だなんて思っていない。だから、あえて何も言わなかった。騙していたつもりはない。だけど、結果的に騙しまっていたのかもしれない。

 ……すまなかった」

 ルークは騎士服のボタンをすべて外して上着を脱ぎ捨てると、静かに両腕を広げた。

 少しの哀みと、諦念を浮かべた眼差しが俺を見る。

 そうして静かに口を開いた。


「……刺してくれ」


 



 

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