第26話 勇者がいたから
俺は涙が零れそうになるのを堪えて、ナイフを構えなおした。
「でも、やっぱりルークが勇者なんだろ? 十年前に魔物討伐をしたんだろ?」
「……した。宿命から逃れるこができなくて、やらないわけにはいかなかった。
結果的に勇者と呼ばれることになったが、俺はそんなに偉くない。ひどいことも沢山した。助けられなくて見殺しにした人もいたし、やむを得ず村を焼いたこともあった。思い返すと苦しくて、勇者と呼ばれることが重荷で……」
ルークはそこで言葉を切ると、視線をわずかに俯けた。
「俺は逃げた。過去を忘れて、ひとりで生きたかった。生きられると思っていた。魔物を一掃したことで証の痣はほぼ消えたから。
だけど四年前に、一度消えたはずの痣が、再び色濃く浮かび上がってきて、魔物封じが完璧ではなかったことを悟った。
あの経験をもう一度しなければならない。そう思ったら、たまらなく恐ろしく、不安になった。代わってもらえるものならば、誰かに代わってほしいと願った。勇者と呼ばれる身でありながら、俺は誰かに救いを求めた。
それで魔が差した。俺は召喚術を使って、魔鉱石に祈ってしまった。どうか身代わりを。御供として運命を背負わせることのできる魂をお与えくださいと……」
そこまで言うと、ルークは言葉を止めた。
少し沈黙し、ひどく切なげな眼差しとなった。
「……だけど、召喚でやって来た少年は、無垢で清らかで何も持たない、穢れのない存在だった。
とても背負わせるべきではないと思った。俺の身勝手で汚してよい魂だとは思えなかった。どこかで平穏にしあわせに、笑顔で暮らすべき人だと思った。
だから、関わらないことにした。近づいてはいけないと思った。
でもどうしても気になって、何度もその姿を陰から眺めた。
陰から見ていると、アヤトはあまり幸せそうではなかった。元気がなくて辛そうだった。ある時あまりにも悲しそうで、思わず声を掛けた」
『少年、そこは寒いだろう。腹が減っているのではないか?』
俺が職場を飛び出して、町の隅っこでうずくまって泣いていた時、初めてルークに声を掛けられた。
放浪の旅人のような身なりをしたルークは、俺の目の前で馬を降り、そう言って手を差し伸べてきた。大きくて硬くて頼りがいのありそうな手だった。
もさもさ髪の、冴えない暗そうなおっさんだと思ったけれど、声と滲み出る雰囲気は悪いものではないと思えた。お腹が空いて寒くて心細かったから、俺は誘われるままにその手を取った。
「アヤトから話を聞くと、やはり置かれた状況は深刻で、自分がこの世界に引き込んだことへの責任を感じた。『俺と一緒に逃げよう』という、誘いの言葉が喉元まで出かかった。アヤトとならば、一緒に逃げられるような気がした。
だけどアヤトは、涙をぬぐうと顔を上げてこう言った。
『俺、戻る。もう一度、頑張るよ』
まっすぐな瞳だった。なんて強くて眩しくて綺麗なんだろうと思って、打ちのめされた。逃げることばかり考えていた己を恥じた。
それで俺も、逃げることを止めた。戻ろうと決めた。もう一度騎士となって、きたるべき運命があるのならば闘おうと。
そしてアヤトのことは、身代わりではなく運命の相手として傍に置きたいと思った。そのためには、確固とした社会的地位が必要で、やはり騎士に戻る必要があった。俺は騎士として復帰して、アヤトの身を専属として強引に引き寄せた。
だけど、『勇者ルーカス』として戻ることには躊躇いがあったから、なるべく『アベル』の名前で過ごしていた。あとは、アヤトも知るとおりだ。
アヤトの生活を奪い、この世界に引き込んだのは俺だ。
刺してくれていい。受け止める」
俺は歯を食いしばって、嗚咽が漏れそうになるのを堪えた。
悔しいのだか、悲しいのだか、苦しいのだか分からない。ぐちゃぐちゃの感情が溢れ出して、涙が零れるのを止められない。
「……刺せないよ」
ナイフを持ったままだったけど、もうその切っ先はぶれてしまって、今は床を向いている。
「だって、ルークにはすごく世話になったし、いっぱい優しくしてもらったし、ルークがいなかったら、俺はきっと生きてはいないし」
ルークが、……ルーカスがいたから。
勇者ルーカスは、幼いころから勇者として戦う運命を背負わされ、17歳で騎士として魔物に立ち向かった。慣れない闘いに傷つきながらも、勇気をもって最前線で恐ろしい魔物に立ち向かい続けた——。
俺も、この世界に投げ出された時17歳だった。右も左も分からなくて、一人ぼっちの17歳だった。
けれど、そんな風に物凄く頑張った17歳がいたのなら、俺にもできないことはないって思って。
頑張ろう。勇者ルーカスみたいに前を向こう。立ち向かおうって、憧れて。
目標にして生きてきたんだよ。
俺がこの世界で生きていたのは、勇者ルーカスがいたからなんだよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます