第35話 勇者の魔石

 気が付くと、俺はルークのベッドの中で寝かされていた。

 ベッドサイドの小さな灯り石のみが、室内をほんのりとした橙色に染めている。

 夕飯後にルークと抜き合いのようなことをした後、俺は気絶するように寝落ちしてしまっていたのだった。

 汚れたはずの服は夜着に変わっている。下腹部も清潔になっていて、ちゃんと下着とズボンをはいているから、きっとルークが拭き清めて着替えさせてくれたのだろう。

 そのルークは俺の隣で、重ねたクッションに背を預け、難し気な書物に読み耽っている。時折ページを捲る静かな音だけが室内に響く。

 気怠い疲労感がまだ身体に纏わりついていて、すぐに起き上る気にはなれない。

 少し視線を動かすと、俺とルークのあいだにはクマだかネコだか判別できないぬいぐるみが寝かされていた。

「あ。こげお」

 俺は手を伸ばしてこげおをだっこして、その全身をむにむにと揉んだ。もふもふのぬいぐるみは相変わらず能天気な顔をしている。

「よかった。おまえ無事だったんだな」

 あの接触に巻き込まれて精液とかで汚れていたら可哀想だなと思ったけれど、うまく避難させられていたのだろう。

「アヤト」

 俺が起きたことに気付いたルークが、本を閉じてそっとこちらに手を伸ばしてくる。

「大丈夫か」

 梳くようにして髪を撫でられた。艶めく翡翠の瞳が心配げに俺を見る。

 俺は少し恥ずかしくなって視線を反らした。

「……大丈夫だよ」

 何でもない風を装って返事する。

 はっきり言って、ルークとはとんでもないことをしてしまった。この大きな手で撫でられて、お互いのモノをナマでこすり付け合っていっぱいイッた。

 ……それに、「愛してる」って言われたんだった。

 思い出すと顔が熱くなってくる。

 脳内記憶に内心動転している俺に、ルークはベッドに肘をつきながらゆっくりと身を寄せてきて、優しく甘いキスをしてくる。

 気恥ずかしい、けれども心地がよくて、されるがままにキスを受けた。ルークの身体からはいい匂いがして、伝わる熱に吐息が震える。

 きっとルークは、恋人ができたらすごく大事にするタイプだろうな。大事に大事に可愛がって、箱の中にでも隠して愛でそうなタイプだな。

 ……て、今は俺がその位置にいるんじゃないのか? 

 愛してる、って、やっぱりそういう意味なのか?

 翡翠の瞳は甘く艶めきながら啄むキスを繰り返し、俺から視線を離そうとしない。

 俺は戸惑いながら視線を伏せた。

 ……う、嬉しい、かもしれない。

 すごく大切にされている。存在を、丸ごと包み込まれているような。


 俺だって、ルークのことは嫌いではない。

 エッチなことをするのも不快感とかなくて、びっくりするぐらい気持ちが良かったし、傍にいるだけでほっとする。一緒に居れば不安を忘れるし、一緒に食べるご飯はいつもすごく美味しいし、触れ合う時はドキドキするし。

 むしろ、凄く好きなのかもしれない。

 こうやって口づけ合っているだけで心が満たされる。揺ぎの無い居場所を得られたような気がして。かけがえのない絆で結ばれているような気がして。

 運命の魂とか言われてもよく分からないけど、ルークと交わっていると、もっとずっとこうしていたいと思ってしまう。

 これってもしかして、幸せっていう気持ちだろうか。


 ……心って、不思議だ。

 召喚のことを許せない気持ちは確かに残ったままだけど。

 愛されることはあまりにも嬉しいし、愛を返したい、繋がりたいと強く求める。

 心の中はきっと複雑に入り組んで、様々な色が幾重にも混じり合っているようなものかもしれない。

 綺麗なものばかりで出来ているわけではないけれど、多少の濁りや澱みがあったり、悲しみや諦めを引き摺っていたりするけれど。いろんな力を貰いながら、継ぎはぎだらけになりながらここにいる。明るい場所を夢見ているよ。 

 ルークの背中に両腕を回してぎゅっと抱いたら、相手の震えるような吐息を感じた。

 そうして、俺が抱きしめる以上の力で、強くしっかりと抱き返された。




 神殿内は、いつもよりも少しひんやりとしている。

 穢れの陰があちらこちらに潜在しているのはいつものことだ。祈りを込めて浄化をすると、空気は清らかさを取り戻す。

 礼拝堂は人々の悩みや不安が集まりやすい場所だから、穢れや澱のようなものが溜まりやすいのだと以前に教えてもらったことがある。

 人々がこの場所で穢れを落とし、少しでも希望を見出して生活に戻ってゆけるのならば、いくらでも何度だって浄化を繰り返したらいい。

 今日も残業を頼まれるかもしれないな。そう思いながら浄化の作業を進めていたら、廊下の一角に、まるで見覚えのない小さな扉を見付けた。

 こんなところに扉などあっただろうか。

 物置部屋か何かかもしれない。ならば浄化が必要だろう。

 古びたドアノブを回してみると、ギイ、と重い音がした。


 中はそれほど広くなかった。薄暗い、緑色の空気の揺蕩う部屋だった。

 中央に机があり、その真ん中に、台座に載せられ赤い布の掛けられた『何か』が置かれている。

 緑色の美しい波長の色は、この布の下の『何か』から発せられているようだ。

 紅い布をそっと除けてみる。

 そこには、とても美しい、見たこともない色の石があった。翡翠の色にも似ているけれど、そうではない。様々な色合いが、石の中で生き物のように揺れ動いている。

 もしかして、これは勇者の魔石だろうか?

 十年前に、ルーカスが一生懸命闘って、そして魔物を封印した、勇気と努力の結晶の石。

 とても綺麗で、見ているとなんだか胸が焼け付くように切なくなった。

 石は少し埃をかぶっているような気がしたので、俺は祈りを込めながら、そっと浄化の力を加えた。

(どうか、この世界がいつまでも平穏でありますように。)

 そうして、元のように布をかぶせて部屋を出た。

 

「アヤト!」

 部屋を出ると、突然ニーニャさんに腕を引っ張られた。

「そこは入っちゃだめだよ! 不用意に入ったら身体を壊すよ!?」

 焦ったようにそう言われ、「どこも怪我してない? 火傷とかしていない?」身体をあちこち確認された。

「俺、知らなくて、すみません」

 俺が謝ると、

「もう! ここは普通の人は入れない場所なんだからね! 近付いたら危険なんだからね! ……ていうか、入れたの?」

「……? 入れました」

「……魔石があったでしょ?」

「ありました。ちょっと澱んでるみたいだったから浄化をしました」

「へ、平気なの?」

「平気、です」


 その時神殿の方から急に、神官たちの騒ぎ立てるような声が聞こえてきた。

 なにやら驚いているような、喜んでいるような様子だ。

「神殿内の穢れが突然一気に晴れたぞ!?」

「結界内の澱みも大幅に減少している?!」

「何があったんだ?!」

「神様のお導きか!」


 俺とニーニャさんは、無言で目を見合わせつつその場を離れた。

 面倒なことに巻き込まれるのは御免だから、何も見なかったことにしよう。お互いに無言のうちにそう同意しつつ、素知らぬ顔をして仕事に戻る。

 そうして、通常の浄化作業を再開しようと思ったら、

「……まぁでも、良いと思うわよ。そういうの」

 突然ニーニャさんが、ぶっきらぼうな風に言う。

「これからもそうやって頑張ったらいいと思うわ」

 珍しい。ニーニャさんが俺を認めるような発言をした。

「あなたの能力、意外と悪くないからね」

 ニーニャさんはそれだけ言うと、再びつんとした様子で作業に戻ってゆく。

 俺はびっくりして、そうしてありがたいなと思った。ニーニャさんの心の中にも、様々な思いや葛藤があるのだろうけど。それでも俺のことを、心配したり応援したりしてくれる。

 俺は嬉しい気持ちを胸に抱いて頷いた。

「はい。頑張ります」


 


 


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