第36話 王宮からの封書
『この地方の大気中に含まれる瘴気の値が大幅に減少している』
街頭で売られる速報新聞に、そう大きく載っていた。
『詳しい原因は不明だが、どうやら勇者の魔石が効力を強めているとみられ……』
記事には他にも、農作物の発育良好や疫病の減少など、さっそく良い兆候が見られ始めている、とも記されていた。
知らずに神殿の魔石を浄化した日、俺は特に何も言わなかったのだけど、ルークからは帰宅したすぐに指摘をされた。
「……アヤト、神殿で何かあったか?」
「べつに、いつもどおりだったよ」
「……魔石に触れたんじゃないのか?」
深刻な表情でそう問われて、さすがに黙っているのはいけないと思い頷く。
「でも、直接触ったわけじゃないよ。布をそーっと外したらあったんだよ」
「無茶をしてはいけない」
ルークは静かな表情でそう諭すように言う。
「今回はたまたま無事で良かったけれど、危険な物に不用意に近づくことは良いとは言えない」
「無茶なんかしてないよ。それにちっとも危険じゃなかったよ。すごく綺麗な石で、優しい色をしていたよ」
俺がそう答えると、ルークは真面目な表情で「そうか」と頷いた。
それから真摯な眼差しとなり、姿勢を正して真っ直ぐに俺に向き直ると、
「ありがとう」
と、感謝の言葉を伝えてきた。
俺は驚いて、たいしたことは何もしてないよ、と言ったのだけど。やっぱりルークは美しい瞳を真っ直ぐに俺に向けたまま、「それでも、ありがとう」と噛みしめるように言う。
犬の散歩代行のバイトは卒業することにした。
最近になって神殿から、どうしても週四で来てほしいと頼まれるようになったからだ。週四で神殿で働くとなると、バイトを掛け持ちし過ぎるのは体力的にちょっと厳しい。
飼い主さんに事情を話すと、惜しまれながらも聞き入れて貰えた。そうして今後は、孫に散歩係を頼むかもと言う。ながく身体を壊していたらしいお孫さんだが、最近になってとても元気になり、ちょうど犬の散歩係を希望していたのだという。
俺が犬ちゃんお気に入りの散歩コースや、避けた方がいい場所などの情報を伝えると、飼い主さんにとても喜ばれた。
でも終わるとなると寂しく思えて、今日は仕事帰りに寄り道をして、庭先から犬の様子をそっと見てみた。
バイトを始めたばかりの頃は、ちっとも俺に懐いてくれなくて苦労ばかりさせられたけど、最近は俺のことにも慣れて散歩を喜んでくれていた。
庭の囲いの中で放し飼いの大型犬は、今日は12,3歳の少年にリードをつけられて、散歩の練習をしているようだ。俺と一緒の時よりもお利口にしている。やはり、一緒に暮らしている少年と触れ合えるのは嬉しいのだろう。
「ポチ」
そっと名前を呼んでみる。
本当はポインセチアという名前の犬だけど、面倒だから勝手にポチと呼んでいた。
ポチはしっぽを控えめに振って、ちょっとだけ俺の方を振り返った。だけどすぐに主人である少年の方に向き直り、一生懸命指示を聞いている。
少年はポインセチアと一緒に庭を歩き、時折楽し気に笑い声をあげている。
そっか。これで良かったのかも。
ちょっと寂しい気持ちはあるけれど、良い時期に辞められたのかもしれない。
ポチ、がんばってな。
俺は小さくエールを送って、そっとその場から離れたのだった。
豆農場のバイトには、週に一回、金曜日にだけ通っている。
こちらのバイトは、豆とお茶休憩の時間が好きだからなるべく続けていたいと思う。
先日バイト行ったら、珍しくジークさんが来ていた。だけど働きに来たわけではなく、たまたま顔を出しに来ただけらしい。
「アヤト」
ジークさんは俺の姿に気が付くと、目じりに穏やかな皺を寄せながら駆け寄ってきて、両手で握手を求めてきた。
何だかよく分からないけれど、俺もつられて笑顔になりながら握手を交わした。
ジークさんは俺の手をしっかりと握りながら、「お手紙をありがとう」と言った。
……お手紙?
俺はジークさんの笑顔を見ながら頭の中に(?)を浮かべた。俺はジークさんにお手紙を書いたことなんかあったっけ。
「一時期全く書けなくなって、いろいろ諦めかけていたんだが、アヤトから届いた手紙のおかげでまた頑張ろうと思えたよ。今は新しい挑戦を始めているところだよ」
ジークさんは、懐から大事そうに一片の「しおり」を取り出して俺に差し出す。
しおりには、手書きらしい少年のイラストと、『勇者アーチス』という走り書きがあった。
「今度はノンフィクションじゃなくて、一から自分で考えて書いてみようと思っているんだ」
照れたみたいに、でも誇らしげに教えてくれる。
お話? 同人誌みたいなものを作っているのかな。夢があって楽しそうだ。
「面白そうですね。俺、出来上がったら買いにいきます」
俺が言うと、
「僕も、君たちのことをずっと応援しているよ」
なぜだか凄く応援された。
部屋に帰ると、王宮から俺宛に封書が届いていた。
転移者管理課からと、魔術師協会というところからの2通もあった。
上等な紙でできた真っ白い封筒で、どちらも王宮特有の立派な刻印が入れられている。
宛先の所には、この部屋の住所と俺の名前がきっちりと記されているのだけれど。
……え。何これ怖い。
この世界にやってきてから、実は誰かから手紙をもらうという経験が俺にはなかった。
封を一人で開けるのが怖かったので、ルークが帰ってくるまでテーブルの上に放置した。そうしてルークが帰ってきてから、一緒に開けて読んでみた。
『転移者アヤト
貴君の生活態度及び勤務態度は非常に誠実勤勉であり、国民としてふさわしいものである。聖騎士ルーカス=アベルの推薦を以て、義務労働期間の終了と市民権付与を認める』
……市民権の付与?
義務労働期間の終了!
ということは、……やったぁ!! やっと市民権を得られたんだ!!
俺は万歳してテーブルの周りを跳ねまわり、それからルークの左腕に抱き付いた。
「ありがとうルーク! ルークがいろいろ根回しをしてくれたんだね!」
するとルークは、穏やかな笑顔となって俺を胸に抱き入れて、背中をぽんぽん撫でてくれる。
「俺はただ申請書に事実を書いて送りつけただけだ。これはアヤトの頑張りが認められたということだ」
申請書を送り付けてくれたのならば、やっぱりルークのおかげじゃないか。
俺は嬉しくて、ルークの胸元にいっぱいおでこを擦りつけて、胴にぎゅうぎゅう抱き付いた。そんな俺の髪を撫でながらルークも嬉しそうで、喉奥を震わせて声を出して笑う。
もう一通は、王立の魔術師協会というところからのものだった。
『浄化師アヤトを、聖騎士団所属魔術騎士ルーカス=アベルの正式な専属とする』
正式な専属……。
ちゃんとした辞令書なんて初めて見た。自分が一人前の浄化師として国から認められたみたいで、なんだか誇らしい心持ちになる。
今までは(仮)の立場で、いつ終わるか分からない不安定さがあったけれど、正式な専属ならば、よほどのことがない限り一生このままだ。
……一生……。
とても嬉しく思うとともに、俺は少々不安になった。
「……専属相手、ルークは本当に俺でいいの?」
だって、俺よりも優秀な魔術師は他にいくらでも存在するのだ。俺はほんのわずかな浄化能力しか持っていなくて、実質的にはあまり役に立たないのに。本当にこれでいいのだろうか。
するとルークは、綺麗な瞳で俺を見つめ、
「いいよ、もちろん。俺はアヤトがいい。一生俺の専属でいてほしい」
と言う。まるで結婚の申し込みみたいだ。
ありがたくて、俺は感謝の思いを胸に少しだけうつむいた。
「うん。頑張るね。でも、将来もしこの人が良いっていう人が現れたら遠慮なく言ってね。俺、交代するから」
すると、それまで和やかだったルークの雰囲気が少し変った。
「……駄目」
低い声で囁くと、
「交代はしない。絶対に。一生をアヤトと番いで居続ける。アヤト以外とは結婚もしない」
芯の籠った強い声で言う。
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