第37話 アヤトでなければ

 俺ははっとしてルークを見上げた。

 前髪の隙間から、こちらを見つめるギラギラとした瞳が見えた。ルークは普段穏やかだけど、まれにこういう目をすることがある。すごく綺麗で、少し怖い瞳だ。

「アヤト」

 ルークは立ち竦む俺の両手をそっと握ると、目の前の床に片膝をつき、憂うような眼差しで俺のことをじっと見上げた。

「……俺が正式な専属相手では嫌か?」

 聞かれて、俺はぶんぶんと首を振った。

 ルークのことを嫌だなんて思わない。優しいし、ご飯は美味しいし、夜はあったかいし、触り合うのは気持ちいい。

「嫌じゃない」

「じゃあ、俺以外に、誰か気になっている者がいるとか」

 慎重な口調で、もう一度確かめるように聞いてくる。

 俺はもう一度首を振った。

「いないよ」

 以前はずっと勇者ルーカスのことが気になっていたけれど、それは結局ルークのことだったのだし、この世界で特に気になるような人物はいない。

 俺が答えると、ルークは少しほっとしたように頷いて、それからわずかに困ったような表情となった。

「……じゃあ、何が不安?」

 問われて俺は少し口籠った。

 不安がある、というのとはちょっと違うのかもしれない。強いて言うならば、

「俺は、ルークの怪我を治せるわけでもないし、ルークに魔力を分けてあげられるわけでもないし、あんまり役に立たないよ」

 するとルークは、真面目な顔付きでじっと俺を見上げたまま「大丈夫だ」と言った。

「俺は勇者だから怪我ならば自分で治せるし、魔力ならば体内でいくらでも生成できる。たとえ困難があったとしても、自力でどんな手を使ってでも乗り越えるし、敵がいるならば腕力と魔術で黙らせる。それに金なら腐るほどある」

 それから俺を見つめたまま昂然として立ちあがると、

「だから全く問題はない。アヤトは安心して今まで通りにしていたらいい」

 煌びやかな勇者オーラを全開にしてそう言い切った。


 ……そ、そうだった。

 俺は突然の凛々しい眩しさに圧倒されながら改めて思い出していた。

 目の前に立っているこの人は、美貌の勇者ルーカスなのだ。

 強く凛々しく勇気があって逞しい。

 十年前、17歳の若さで騎士らの先頭に立ち魔物と闘い、苦難の末に魔物封じの結界を完成させた、「勇者」の称号持つ強者。

 普段が素朴で茫洋とした感じだから忘れてしまいそうになるけれど、実はすごい人なんだった。

 

「それに、アヤトは数え切れないぐらい役に立っている」

 ルークは俺の両手を握ったまま、とても綺麗で少し切なげな眼差しをする。

「アヤトがいなかったら、俺はもう一度騎士に戻ろうなんて思わなかった。運命から目を逸らして逃げてばかりいただろう。アヤトのおかげでもう一度闘いの場に立つ勇気が持てた。それにアヤトといると自然と力が沸いてくる。気力が満ちて、ずっと頑張れるような気がしてくる」

 ルークは俺の両手をしっかりと握っていたが、やがてそれでは足りないとでもいうように、もどかしげに俺の身体を腕の中に抱き込んだ。

(……アヤトでなければ駄目なんだ……)

 苦し気に掠れた声が耳に届く。

 いつもよりも速い鼓動が伝わってくる。

 腕の力はしがみつくような烈しさで、微かな震えのようなものが伝わってくる。


 ——どうしてだろう。

 この広すぎる世界の中の大勢の人がいる中で、どうして俺の存在だったんだろう。どうしてルークなんだろう。

 強すぎるほどの腕の中、ルークの身体の苦しいほどの熱と呼吸を感じながら思う。

 同じ世界のもっと身近な、召喚も転移も必要のない者が運命だったなら、もっと簡単に、安易に幸せになれたのだろうに。どうしてこんなにも切実に、真っ直ぐに俺のことを求めてくれるの。

「アヤト」

 ルークは腕の力を緩めると、真剣な、張りつめたような眼差しで俺を見つめる。

「どうか、俺の正式な専属になってほしい」

 まるで祈るようにして言うから、

「うん。わかった」

 俺はこくんと頷いて答えた。

 胸がいっぱいで、それ以上の言葉が出てこない。

 するとルークは、何故か目を丸くして、急に焦ったような表情をする。

「アヤト、すまない、苦しかったか?!」

 そうして俺を腕の中から解放すると、自分のシャツの裾で必死に俺の目元を拭おうとする。

 俺は何故だか目の前が滲んでしまって、手でごしごしと擦ったら、涙が零れて落ちてしまった。

 ルークは俺が泣いてしまったと思ったらしく、すぐさま俺を抱えるようにしてソファへ連れて行き、腰掛けさせて背中を撫でる。それから洗面所から手触りのいいタオルを持ってきてくれ、隣に腰かけるとどこも痛くはないかと聞いてくる。「すまない、怖がらせたか」と焦ったように謝ってくる。

「大丈夫だよ。ちょっとびっくりしただけだよ」

 俺は顔を上げて笑って答えた。涙はすでに止まっている。本当に、色々とびっくりしただけなのだ。

 するとルークも、ようやくほっとしたような笑顔になって、

「今夜の夕食はご馳走にしようか」

 と言う。

 とっておきのベーコンとフルーツと、お酒も出そう。アヤトの好きな野菜の煮込みも作ろうか。ナッツ入りのパンケーキにしてもいいな。

 張りきったようにそう言って、さっそく夕飯の準備に向かおうとするから、

「ルーク」

 俺は立ち上がろうとするルークの袖を引っ張って引き留めた。

 ルークは怪訝な顔をして、もう一度腰かけて俺を見る。

 胸がドキドキした。心の内を伝えるのってこんなに緊張するんだな。でも伝えたい、伝えなければと思った。

「俺もルークのこと、すごく好きだよ。ルークとずっと一緒にいられるの、すごく嬉しい」

 するとルークは瞠目し、感極まったようにひとつ呼吸した。そしてすぐに俺の身体をがばりと宝物のように抱きしめる。そうしてしばらく抱きしめたあと、深く混じり合うようなキスを求めてくる。

 お互いの唇を重ね合い、乱れる吐息や濡れた舌の熱さを共有していると、胸が満たされて甘く疼く。もっと欲しいと舌でねだれば、望む以上に熱心に与えられる。

 出会えて良かったと思う。

 こうして求め合い、応え合える関係でいられることがまるで奇跡のようで、もしも出会わないでいたらと想像すると怖ろしい。

 ……もしも、出会わないでいたならば、俺たちはきっと知らずに気の遠くなるような孤独の中を、ずっと彷徨い生きていただろう。







 

 

 




 


 

 



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