第12話 夜明けの寝台でのこと

 急に抱き締められてびっくりしたし、ちょっと苦しいなと思ったけれど黙っていた。

 ルークは俺のことを固く抱擁し、しばらくのあいだ何も言わない。

 男らしい身体からは、焦げたような匂いや、土の匂い、草の匂い、それから少し汗の匂いがする。きっと、仕事が大変で、危険な思いもたくさんしたのに違いない。作業が無事に終わってからも、留守番をする俺のことを心配して、ろくに休憩も取らずに帰ってきたんじゃないのかな。

「おかえり」

 小さくそう声を掛けると、

「……ただいま」

 言葉を噛み締めるような、掠れた返事が耳に届いた。

 心臓の音が聴こえてくる。

 抱き込んでくる腕は縋り付くような強さで、普段はあまり感情の波を感じさせない騎士だから珍しい。

「……仕事、大変だったの?」

 そっと聞いてみると、ルークが少しだけ頷いたのが気配で分かった。

 騎士の仕事は、きっと厳しい規律や規範があるのだろうし、危険な場所での緊張する作業は、想像する以上に疲弊するのかもしれないな。ルークは普段はわりとマイペースだし、ちょっとぼんやりした所もあるから、そういった集団行動は大変なのかもしれないな。

「……手、つなごうか?」

 思い切ってそう聞いてみた。

 手を繋いだら、ちょっとは気持ちがほっとして、いつものルークに戻るんじゃないかと思ったからだ。

 手を繋ぐなんて子どもみたいな行為だけれど、それで少しでも楽になって、ルークが元気になるのならば、やったらいいと思うんだ。

「……っ」

 だが、返事が返ってくる代わりに、唐突にガバリと身体を引き剥がされた。

 どうしたんだろう? と思って相手を見ると、

「手を洗ってくる」

 乱れた髪の隙間から、ギラギラとした瞳が見えた。

「ついでにシャワーも浴びてくる。待っていてくれ、すぐに戻るから」

 妙な勢いと圧に押されて、

「わ、分かった」

 俺は頷いた。

 ルークの呼吸がなぜだか若干上がっていて、身体からは熱みたいなものが伝わって来て。ちょっと怖いな、と思ったけれど、外から帰ったら汚れを落とすのは大事だもんな。

 ルークはすぐにシャワールームへと消えて、勢いよくシャワーを浴びる音が響いてくる。本当に大急ぎで身体を洗っているようだ。そんなに慌てなくても、俺はちゃんと待っているのに。


 テーブルの上には、汚れて破れて所々穴の開いた手袋が、ぺしゃんと取り残されている。一体どうやったらこんなにボロボロになるのだろう。

 椅子の上に脱ぎ捨てられた騎士服もやはりボロボロだけど、こちらは丈夫な布地でできているのか破れてはいない。

 その上着の内ポケットの間から、真っ白い封筒のような物がちらりと見えた。

 上質そうな美しい紙でできたその封筒には、正式な書体で書かれた差出人の氏名がほんの少しだけ見えていて、『ジェルシア王宮』と読めた。

 その他の文字は隠れていてよく見えないし、見えている字は難しすぎていまいち読めない。

 王宮……? ジェルシアって、この国にある一番大きな都市の名前じゃなかったっけ。たしか王様も住んでいる。

 王宮からの立派な封筒を持っている。うーん、何だろう。王宮にお友達でもいるのかな?

 分からないし、多少気にはなるけれど、さすがに人の手紙を手に取ってまで見ようという気にはなれなくて、そっと内ポケットに押し込んでおいた。


 とりあえず、俺はソファに腰掛けて、ルークが戻ってくるのを大人しく待つことにした。

 無事でよかった。

 どこも怪我をしていなさそうで良かった。

 安心すると、とたんに眠気が押し寄せてくる。



(……アヤト)

 耳元に、優しい声で呼びかけられたような気がして、意識がふわふわと浮上した。

 石鹸のいい匂い。

 それと、ルークの肌のいい匂い。

 気持ちの良い、スベスベの肌に触れている感触。

 安心感が半端ない。ここにいれば大丈夫。どんな辛くても乗り越えられるし、頑張って生きてゆく勇気が湧くような。

「……ん」

 身じろぎをしてみる。

 どうやら俺はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。今はベッドの中にいるようだ。

 うっすらと目蓋を開くと、目の前に整った顔立ちのルークの寝顔があった。

「えっ」

 驚いてぱっちりと目が醒めてしまった。

 俺はルークの真横で寝かされていて、しかも、こちらを向いて眠るルークと、いつの間にか手を繋ぎ合っている。

 ルークは上半身は服を纏っていないようだ。布団からは裸の肩が見えている。俺の方は、上着を脱いで眠っていた。なんだかスカスカするなと思ったら、夜着のシャツのボタンが、上から二つまで外されていた。

 たぶん、ルークが俺をベッドまで運んでくれたのだろう。そうして上着は、俺が寝苦しいだろうと思って脱がせてくれたのに違いない。

 ボタンは、……よく分からないけれど、俺が楽に眠れるようにと思って外してくれたのかな。

 そうして、俺の手を握って寝たということか。

 ……これは、待っている、と言いながら、待ちきれずに俺が先に眠っちゃったせいだよな……。

 申し訳なさに、胸の内がじりじり痛んだ。

 起こしてくれれば良かったのに、とも思うけれど、俺がグーグー寝入っていて、声を掛けられても起きなかったという可能性もある。


 ルークは俺の手を握りながら、健やかな寝息を立てている。年上の立派な騎士の男だけど、こうしてみるとまるで少年のようだと思う。

 ごめんよ。

 心の中で謝って、そうして優しく握ってくれている大きな手のひらを、しっかりと握り返した。


(どうか、ルークの疲れが取れますように。そうして、幸せな夢が見られますように)


 自分の能力のことはよく分からない。けれど、ちょっとでも効果があるのなら。

 願いを込めながらぎゅっと握る。

 不意に、ルークの形の良い長い睫が、微かにふるふる揺れるのが見えた。

 そうして、うっすらと目蓋が持ち上がり、陶然とした翡翠の瞳が俺を見た。

 あ……、起きた?

 と思ったら、いつもは殆ど表情のないその口元が、夢見るようにふっと緩んだ。握っている俺の手を、そっと口元に引き寄せる。

「アヤト、素敵だ……」

 囁いて、騎士は甘い仕草で俺の手の甲に口づけをする。そうして、またうっとりと目を閉じた。まるで王子様のような行動だった。

 ドキンドキンと自分の心臓の音が鳴っている。

 今のはちょっと想定外すぎた。

 頬が熱い。自分がものすごく赤面しているのが分かる。

 だって、あんな風に口づけられたら、誰だってすごく照れると思うんだ。


 ルークからは、再び健やかで規則正しい寝息が聞こえる。

 ……眠ったようだな。たぶん寝ぼけていたんだろうな。

 俺は脱力して、はぁ、とため息を吐いた。

 壁の時計は、今がまだ朝の早い時間であることを指している。カーテンからは、柔らかな白い日差しが漏れ込んでくる。

 もう一回寝ようかな。

 俺はゆっくりと目蓋を閉じた。

 昨夜はあまり眠れなかったし、せっかくこんな心地良い睡眠環境にいるのだし。

 手を繋いだままだけど、まぁこのままでもいいんじゃないかな。


 



 

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