第11話 留守番の夜

 その日は豆剥きのバイトの日だったけれど、いつもより2時間も早く作業が終わった。出荷に必要な量はもう十分採れたから、早めに上がって良いとのことだった。バイト代はいつものように一日分が支払われたからラッキーだった。

 得した気分で帰り支度をしていたら、バイト仲間のジークさんが「今日は真っ直ぐ帰ったほうが良いよ」という。

「今朝の新聞に、森の方で良くない瘴気が確認されたとあったから、こういう日はあまり出歩かない方が良いんだよ」

 瘴気。

 こちらの世界独特の言葉で、いまいち理解できない単語の一つだ。あまり良くない空気、みたいなものだろうか。

「じゃあ、まっすぐに帰ります」

「うん。それが良い」

 俺達はお互いに、「お疲れさま、気を付けて」と声を交わし合い、豆農場を後にした。


 まっすぐ家に帰ったけれど、さすがにルークはまだ仕事みたいで、部屋の中はしんとしている。室内は、俺が朝に部屋を出た時のままの状態だ。

 だけどよく見ると、食卓テーブルの上に、朝にはなかった白い紙が置いてある。

 紙にはなにか文字が書いてあって、『アヤトへ』という見出しがあった。ルークからのメモのようだ。


『アヤトへ  今晩は仕事で帰れないかもしれないから、先に夕飯を済ませて、戸締りをして、寝ていてほしい』


 とても読みやすい、綺麗な字体でかっこいい。俺もこんな文字が書けるようになりたい。

 思わずいらない紙を引っ張り出してきて、ルークの文字をなぞって真似して、しばらく字の練習をしてしまった。

 きっと俺が心配しないように、仕事のあいまに一旦帰って来て、このメモを書き残してくれたのだろう。


 夕飯は近所のお惣菜屋さんで買って済ませることにした。

 ルークからは食費として余るほどのお金をもらっているから、ちょっと贅沢な物でも買えてしまう。

 だけど、買うのはいつもの定番の、芋の煮物と肉団子の煮物にしておいた。芋の煮物は俺の好物で、肉団子の煮物はルークが好きなおかずだ。

 お惣菜を持参した容器に入れてもらい、大事に抱えてアパートへと帰る。

 夕方の街はいつもよりも人通りが少なくて、すれ違う人は心なしか足早に通り過ぎてゆく。


「今日はアベルさんは遅いのだろうね」

 花屋の前に差し掛かると、店主の親父が売れ残った花の手入れをしながら笑顔で話しかけてきた。

「そうみたいです」

 俺はちょっと立ち止まり、無難な笑顔でそう答えた。

 ちなみに『アベルさん』というのはルークのことだ。ルークは外では、ファミリーネームである『アベル』という名前をよく使っている。

 ルークの元に届く手紙の宛名にも、「ルーカス=アベル」とか、「ルーク=アベル」という名前が使われている。ルークの元にはたまに手紙が届くから、俺も早いうちからこのアベルという名前を覚えた。


 花屋の親父は、いつもやたらと情報が早い。ルークの帰りが遅いことも、どこからか仕入れた情報で知ったのだろう。 

「騎士は大変だなぁ。シジメの森に魔物が出たそうだから、退治に時間がかかるんだろう」

 この情報は初耳だった。

 シジメの森って、ずっとずっと向こうにある、とても大きな森のことだ。魔物なんて、お話しの中だけの生き物だと思っていたけど、やはり本当に出ることがあるのだろうか。俺は見たことがないけれど、とても大きくて恐ろしい生き物だと聞く。

「誰も怪我とかしないといいなぁ」

 花屋は眉根に皺を寄せ、どこか遠い方向へと視線を向けた。

 ルークが怪我をする可能性がある。

 ということに、俺はその時初めて気付いた。それまでは、ちっとも思い至りもしなかった。

「だけどまぁ、ああいうので大変なのは、最前線へ行かされる攻撃魔力のある騎士だけさ。一般兵は後方支援か補給係りになるんだろうから、まず安全だ。ここ数年は勇者の結界が緩んでいるって噂だけど、まぁ大丈夫さ」

 心配ないさと親父が笑う。

 …………し、心配だ。

 だって、ルークは多分攻撃魔力を持っている。

 騎士団に入ってまだ一年も経っていない下っ端兵のはずだけど、もしかしたら、前方の危険な場所に行かされるかもしれないじゃないか。

 ルークが怪我をしたら、すごく嫌だ。すごく困る。

 俺は思わず眉をしかめて、笑顔の親父から視線をそらした。

 花屋の店先のブリキのバケツに、白い花弁の可愛い花が束になって生けられている。爽やかな匂いがあたりに漂い、『厄除けに効くシロシロの花 お買い得!』と、でっかく書かれた札があった。

「厄除けの花……」

「ああ、良く効くよ。厄除け虫除け魔物除けにも」

「全部ください」

 思わずたくさん買ってしまった。



 夕飯を済ませ、寝支度も済ませた。

 すっかり遅い時間になったけれど、やっぱりルークは帰ってこない。森での魔物討伐隊に加わっているのだろうか。

 さっさと寝てしまいたいと思うけれど、ルークのことが気になってしまい眠れない。

 窓からシジメの森の方を見てみるけれど、もちろんこんな処から森が見えるわけがなく、夜の街にぽつりぽつりと小さな灯りが浮かんでいるのが見えるだけだ。

 無事だといいなぁ。

 自分のベッドで寝ていると不安になるので、ルークのベッドを使用することにする。こっちの方が、なんとなく安心できるような気がするからだ。

 肌寒いので、夜着の上に薄手の上着を羽織ったまま横になる。この上着は元々はルークのもので、先日たまたま気軽な気持ちで「そのカーデガンいいね」と言ったら、その場で「あげる」と言われて着せかけられて、うっかり返しそびれてしまったものだ。すごく温かいから、寒い夜にたまに着ている。

 微かに、ルークの男らしい肌の匂いのなごりを感じる。


 部屋で一人で眠るなんて、どうってことないはずなのに。

 シンとした暗い空間のなかにいると、たまらなくひとりぼっちなのだと感じる。

 慣れって怖い。ルークと暮らし始めてまだ2カ月ほどしか経ってないのに、ルークが一緒にいることにすっかり慣れてしまっているのだ。宿屋で働いていた時の方が、よほど孤独で辛かったのに。

 シーツを掴んで鼻をうずめる。

 はやく帰ってきてほしい。

 はやく朝になってほしい。

  

 明け方に、静かなドアの音がして、ルークが帰ってきたのだと分かった。 

 俺は結局あまり眠ることができなくて、途切れ途切れの浅い眠りのなかにいた。おかげでルークの帰宅にも、すぐに気付くことができた。

 無事な姿を確認したくて、もぞもぞと起き上がる。

 ドアを開けて、リビングダイニングのほうを見ると、朝の淡い光の中に、騎士服姿のルークが立っているのが分かった。

 制服はずいぶん汚れて煤けている。でも、大きな怪我をしているような様子は見受けられない。

 テーブルの上にあった紙を手に取り、じっと読んでいるようだった。あの紙は、ルークからのメモへの返事のつもりで、俺が頑張って書いたものだ。

『ルークおかえり。ごはんは棚のなかにあるよ。パンと芋と肉だんごだよ』

 と書いたつもりだ。下手な字かもしれないけど、練習しながら書いたから読めると思う。

「ルーク」

 声を掛けると、

「ただいま、アヤト。遅くなってすまなか……」

 ルークは言いながら俺を見て、なぜかポカンと視線を留めた。

 ……ん?

 なんだろう?

 俺は腹を掻いていた手をそろりと下ろした。寝ぼけて腹を見せながら起きて来るなんて、だらしがなかったかな。 

 それとも、ルークの部屋から出て来たことが良くなかったか。勝手にベッドを使ってしまった。

 それとももしかして、このブカブカのカーデガンが駄目だった? 温かいからつい着たまま寝ていたけど、いい加減に返さないと駄目だったかな。それとも寝癖か? そんなにひどい? 

「……あの、ごめん、ベッド、借りちゃった」

 とりあえず、一番謝った方が良いと思われる事柄について謝罪してみる。勝手に部屋を使うなんて、やっぱり良くないことだったよな。

 ルークは、俺がしどろもどろに謝るなか、両手の手袋を素早く外し、制服の上着も無造作に椅子に脱ぎ捨てた。そうしながら俺の方へとずんずん近付き、

「……ッ」

 ガバリ、と音がしそうな勢いで俺を抱き締めた。





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