第31話 手よりももっと
夕方になると、ルークは本当に早く帰ってきた。
終業後すぐに帰宅したという感じだ。けれどよく考えたら、ルークの帰りが遅いのは、遅出勤の日か、何か特別に仕事を頼まれた時ぐらいで、大体いつも帰りが早い。
そうしてルークは、ポケットからよく熟れた紅桃の実を二つ取り出して見せた。「美味しそうだったから買ってきた」と言う。良い匂いのする真っ赤な紅桃は本当に美味しそうで、俺は思わず「やったー!」と喜んでしまった。
ルークはさらに上着のポケットから、ピンク色の可愛い包みを三つほど取り出して無造作にテーブルに置き、手を洗いに行ってしまった。
俺は「あっ」と思った。
これは昼間に街中で、女の子たちからもらっていたプレゼントだ。ルークは何も説明しないけれど、遠目に見ていたから分かる。
手に取ってみると、それらは丁寧にラッピングされ、綺麗なリボンまで結ばれている。中身はクッキーかキャンディーだろうか。手作りだろうか。ルークは普段から、あんな風にモテるのだろうか。
「ルークって、モテるの?」
上着を脱いで手洗いから戻ってきたルークに、さりげなさを装って聞いてみた。
俺は前の世界でも今の世界でも、女の子からのプレゼントなんて貰ったことがない。モテる男がもの珍しい。というか、モテる人は家では、どういう生態をしているのか、なんだかちょっと興味がある。
「いや……」
けれど、ルークから返ってきた返事はいまいち冴えない。「特段モテるわけではない」と、本人は首を傾げながら言う。
「でもこれ、女の子たちから貰っていたよね」
ラッピングされたプレゼントを並べて見せると、
「たまに食料を押し付けられることはある。断ってもポケットに捻じ込まれるから、貧乏だと思われているのかもしれない」
ルークはそんな風に真顔で答えた。
「そんなわけないじゃん」
俺は思わず笑ってしまった。
「これは好意でくれてるんでしょ? かわいい子達だったよね。付き合っちゃえばいいのに。つまみ食いし放題じゃん」
俺だったら、少なくともすごく嬉しい気持ちになるだろう。デートぐらいならホイホイ付き合ってしまうかもしれない。ルークは嬉しくないのかな。
すると突然、ルークの身体がずいっと目の前に近づいた。
俺はルークの身体とテーブルの間に挟まれて、少し窮屈な立ち位置になった。というか、距離が近い。今にもお互いの身体がくっ付きそうな近さだ。
「俺が興味あるのは……」
すぐ間近から、熱を孕んだ瞳に見下ろされている。大きな手が、そっと頬に触れてくる。
「な、……え、」
ドクン、ドクンと急に鼓動が騒ぎ始めた。
なんだこれ。なんで急に妙な雰囲気になってるの?
(アヤト)
ルークは掠れた声で俺の名前を囁くと、そのままぎゅうっと俺の身体を胸の中に抱き込んだ。
少し強いけれど苦しくはない、心地のよい力加減だ。
身体と身体が密着している。ルークの静かで深い息遣いを感じる。
「……アヤト、久しぶりの仕事で、疲れていないか?」
優しく囁くような声でルークが聞いてくる。
「べ、別に」
疲れている、と答えたら、何をされるか分からない。
一瞬そんな風に考えて、俺は無難な答えを返した。「治癒をしよう」とか言い出されたら、俺は心の準備が大変なのだ。
けれど。
「……俺は疲れてる」
ルークがそんな言葉を口にしたので、俺は少しぎょっとした。
「アヤト」
ルークは腕を緩めると、美しい翡翠の瞳で俺を見つめた。濃密な艶を滲ませた、求めるような眼差しをする。
「て、手でも、つなごうか……?」
戸惑いながら俺が尋ねると、ルークはわずかに首を振り、瞳を眇めた。
「……手よりももっと、深いのがいい」
……手よりも、もっと深いの……? それは……。
俺が目を見開いてたじろぐ前で、男らしい淡い色の唇が、薄く開きながら俺の唇へと近づいてくる。
そうしながら、翡翠の瞳は強く絡めるように俺を見る。とても逃げ出せるような余裕はなかった。
ルークの唇が、俺の唇を柔らかく塞いだ。
次の瞬間には、相手の甘い魔力が全身にぶわりと広がって、途端に身体の力が抜けた。
唇は、まるで俺の唇を愛撫するかのように動く。そうされると、俺は無意識に身体が揺れる。二本の腕にがっつりと抱え込まれているから、ぐらついたりはしないけれど。
「んっ」
予感した通り、熱い舌が侵入してきた。
ルークの肉厚な舌は、俺の口内を深くまで入り込み、怯む俺の舌を捉まえると、撫でるように絡まってくる。
甘く痺れるような陶酔に染まる。上擦ったため息が何度も漏れた。
舌を使った魔力の交流。これはたぶん、ものすごく気持ちの良い行為なのだ。
いつの間にか俺の舌も、ルークの動きに応じるように一生懸命動いてしまう。唇をいっぱいに開き、お互いの粘膜をよりたくさん擦り合わせようとする。そしてよりいっそう身体が喜ぶのを感じる。
……もう、ルークとのキスのことしか考えられない。
ガタン、と、椅子が大きな音を立てた。ふらついた俺の脚にぶつかったのだ。
「……っ」
それで俺は、ハッと正気を浮上させた。
ルークの身体から、強引に己の身体を引き剝がす。
はぁ、はぁ、と呼吸が乱れた。
俺はルークの腕に掴まりながらうつむいて、袖で濡れた口元を拭った。
……危なかった。
自分を見失うところだった。
「……ごめん。俺、顔洗ってくる」
そう言って俺がルークから離れると、ルークの腕も名残惜しそうに俺から離れた。
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