第30話 勇者はたまにお節介
神殿内ではいつものように、白布巾を手に黙々と浄化する。
今日一緒に仕事をする浄化師は、ミーニャさんだった。
ミーニャさんには開口一番、「体調管理をちゃんとなさいよ」と言われた。
「浄化師は己の体調管理が重要なのよ。身体を壊すなんて自己管理がなっていない証拠だわ」
その通りだと思って、俺は欠勤したことを謝ろうと思ったのだけど、
「だけど体調が悪い時に休むのは悪いことではないからね! これからも調子が悪い時には早めに休んだら良いわ!」
そう言って、ミーニャさんはすぐに仕事に入ってしまった。口を挟む隙も無かった。
口調は厳しかったけれど、棘のようなものはあまり感じなかった。謝る必要はない、と言われたのだと思うことにして、その後はなるべくいつもどおりに作業した。
神殿建物の中は基本的には静寂さが支配している。
休憩室内はさておき、礼拝堂や本殿内では人々は静かに歩くし、喋る時もなるべく抑えた声で話す。
静かな中で黙々と浄化の作業を行っていると、いろんなことをあまり考えなくて済むから良い。
自分が転移者だということや、元の世界のことや、ルークとのこと、自分の中にある悲しみや諦めのような気持ちのことからも、少し距離を置いていられる。
目の前の、穢れや澱みを消し去る作業にだけ集中していれば良い。そうすると、ほんのわずかでも自分が役に立っていると思えるからありがたい。
そうして礼拝堂の隅で浄化作業をしていたら、突然高らかな軍靴の音が響き渡った。
「アヤトという浄化師殿はいるか!」
聞き覚えのある野太い声がして、踏み込んできたのはブルースト副団長だ。相変わらず歩き方は居丈高で、周囲を圧倒する強面ぶりだ。
副団長は俺の姿を見付けると、ずかずかとこちらに近づいてきて、たじろいで後ずさりしようとする俺の両肩をガシリと掴んだ。
「元気になったのか! 浄化師殿よ!」
何故だか感極まった表情で言う。
「どうかこれからも息災でいてくれ! 貴殿が臥せっている間、ルーカスは魂が抜けたような状態に陥って大変だったのだ。訓練では失敗するし馬は逃がすし平坦な道では躓く始末……。どうかこれからも、貴殿には勇者を支えて欲しい!」
「は、はぁ……」
俺は困惑しながら返事した。
俺が臥せっている間? この四、五日ほど、ルークは職場でそんな風だったのか?
部屋ではわりといつもの通りだった気がするけど。いつも通り、俺に消化の良い料理を作ってくれたり、俺の好きな果物を買ってきたりしていたけれど。
「そうでないと、我らが騎士団の、いや、この街、しいてはこの国全体の安全と繁栄を脅かすことになりかねん!」
随分と大げさなことを言う。と思ったけれど、そういえばルークは勇者様なのだから、もしかしたらある意味本当のことかもしれない。
「わ、分かりました。俺、がんばりますっ」
とりあえずこの場を収めるためにも必死に答える。
「うむ! 頼んだからな、アヤト殿!」
副団長はそう言って俺の肩をバシバシ叩いて、踵を返して帰っていった。
俺はほっとしながら脱力してため息を吐いた。なんて疲れる人なんだ。あんな上司がいるなんて騎士達も大変なんだろうな。
冷や汗を拭いながら、気を取り直して作業に戻る。離れた場所にいたミーニャさんからは、若干気の毒そうな視線で見られた。
仕事帰りに商店街にある文房具屋へ寄った。字の練習用のノートとペンを補充するためだ。
この世界の文字を覚えるためには、やはり地道に書いたり読んだりし続けることが大事なようだ。突然すらすら読み書きできるようになるとか、突然元の世界に帰還できる、とかいう奇跡はどうやら起こりそうにない。
文房具屋を出たところで、通りの向こうに巡回の騎士が三人ほどいることに気が付いた。深いグリーンを基調とした騎士服姿は、遠目からでも見栄えが良い。
どうやら騎士らは、若い女の子たちに取り囲まれている様子だった。華やかな黄色い声が飛び交っている。街を守ってくれる強く頼もしい騎士たちは、女の子たちの憧れの存在なのかもしれない。
よく見ると、女の子に一番囲まれている騎士は、すごく見覚えのある男だった。昨夜は同じベッドで眠り、ハグやキスまで交わした男だ。後ろ姿を見ただけで分かる。
女の子たちは、このあたりの学校に通う学生だろうか。おそろいのワンピース姿で、可愛くラッピングされたプレゼントを手にわちゃわちゃしている。
そいえば、今までにも何度か、小さなお菓子の包みを持ち帰ってくることあった気がする。あれは街の女の子たちからのプレゼントだったのか。
他の騎士たちは、嬉しそうな笑顔で女の子たちに対応している。
ルークは一体、どんな顔をして、あの女の子たちの相手をしているのだろう?
ふと興味が沸いて、俺は通りを少しだけ移動して、ルークの表情を遠目に伺い見てみた。
……能面? のような朴念仁顔……?
周りの人は気づかないのだろうか。
重い前髪と、基礎が整っているせいで誤魔化せているのかもしれない。だけどあれは、思い切りぼんやりしているか、興味のないものを見ている時の顔だ。
市民相手に邪険にするわけにもいかず、面倒臭いけれど仕方なく付き合っている感じなのかな。騎士でいるのも大変なんだな。
せいぜいお仕事頑張ってくれ。
心の中で応援しつつ、俺はそっとその場を離れることにした。
……のだけれど、ルークの顔つきが急にパッと凛々しくなった。精気を取り戻したようになり、何かを探すように辺りに視線を巡らせ始めた。
と思ったら、目が合った。
「……アヤト!」
げ。見つかった。
ちょっと距離があるし、気配を隠していたつもりなのに。
しかもルークは、女の子たちをかき分けて、なんとこちらへ駆け寄って来る。
一見普通に見えるけれど、俺には分かる。あれはすごく、喜んでいる時の表情だ。
「アヤト、買い物の帰りなのか?」
ルークは俺の傍らに来ると、通行人や女の子たちの視線から、さりげなく俺を守る位置に立った。
「うん。ノートとペンが欲しかったから」
「そうか、偉いな」
読み書きの練習を続けていることを称えてくれているのだろうか。慈愛の眼差しをビシビシと感じる。こんな街中の、大勢の人目のある場所で、と思うと、なんだか恥ずかしいような、居たたまれないような気持ちになってくる。
「迷子にならずに帰れそうか?」
「帰れるよ。当たり前だろ。ルークのほうこそ仕事に戻れば」
「ああ。今日も早めに帰る」
「うん」
「身体を冷やさないようにな」
ルークの形の良い左右の手の指が、俺の上着の胸元をつまみ、そっと掻き合わせるようにする。
「分かってるよ」
お節介だなぁと思いつつ、俺は羽織っているだけだった上着の前ボタンを留めた。ルークはたまに「お母さん」みたいなことを言う。
俺がボタンを留め終えると、ルークはわずかに口元を緩めて俺を見る。
そうして「じゃあ」と言って手を振って、仲間達のいる場所へと軽やかに駆け戻って行った。
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