第29話 勇者にも弱点が

 ふわふわのパンケーキ……。

 クリームとフルーツをいっぱいのせたやつ……。

 

 明け方に、すごく魅惑的なパンケーキの夢を見て、無意識にそんな寝言を言ったかもしれない。

 クリームやフルーツを乗せたふわふわのパンケーキに羽が生えて、食べようとすると逃げるから、夢中でつかまえようとする夢だった。

 突然隣で、がばりと起き上る気配がした。

「分かった。すぐに作ってくる」

 ルークの声だ。それから額に軽く口付けてくる気息。俺が寒くないように、布団を直してくれる手の感触。

 しばらくするとキッチンの方から、バターとシロップの旨そうな香りが漂ってきた。


 腹が減っていた俺は、匂いにつられてむくりと起きた。

 体調は良い。すごく元気だ。

 顔を洗ってからキッチンを覗くと、滅茶苦茶厚みのあるでっかいパンケーキがテーブルの上で湯気を上げていた。

「でかい……」

「おはよう、アヤト。今朝はリクエストのパンケーキだ」

 ルークはそう言って、カットフルーツをパンケーキの上にこぼれそうなほどに乗せた。泡立てたクリームも添える。

 それから小鉢も二つ用意して、

「ピクルスもある」

 秘蔵の漬物樽からピクルスを取り出した。

 ピクルスは、食卓ではすっかりおなじみの顔となっている。今朝のピクルスは俺の大好きな紫蕪だ。

「う、うまそう……っ」

 

 急いでお茶の準備を手伝い、フォークやスプーンもセッティングした。

 窓からは朝の明るい陽射しがあふれ、爽やかな風にカーテンがそよそよと揺れている。

 パンケーキもピクルスもとても美味しかった。香りの良いお茶にミルクを垂らして飲むのもよく合う。もちもちふわふわのパンケーキと、甘酸っぱいフルーツ、それから焦がしバターとクリームのコラボレーションが最高だ。夢の中で見たのよりも美味しいかもしれない。 

 俺が夢中で頬張って食べるのを、ルークは時折すごく優しい眼差しで見つめる。そんな風に見つめられるのは、はっきり言って非常に落ち着かない。だから視線にはあえて気づかないふりをした。

 ふと見ると、ルークのパンケーキにはクリームが添えられていなかった。

「? ルーク、クリームは? 食べないの?」

「いや、俺はいいんだ」

「どうして? クリーム美味しいよ。甘さ控えめだし、フルーツと合うよ」

「いや、……」

 珍しく、勇者は視線を泳がせた。

 それから、観念したように神妙な顔つきとなり俺を見る。

「実は、生クリームが苦手で」

「え。クリームが嫌いなの? どうして?」

 こんなに美味しいのに。俺は一口大に切り分けたパンケーキにクリームを絡ませて掲げて見せた。

「……甘すぎる、というか……。少しぐらいなら食べれないことはないんだが……」

 なんとも歯切れの悪い答えを吐き出す。

 俺はなるほど、と思いながらクリームの絡んだパンケーキを口へ運んだ。

 どんなに優秀な者にだって、苦手な食べ物ぐらいある。苦手な食べ物だというのに、頑張って作ってくれたということなのか。

 そういえば、クリームの使われたお菓子はこの家ではあまり登場したことがない。でも、まったくないわけではなかった。たぶん、俺が食べたいというから、我慢して付き合ってくれていたのだ。

 ルークは難し気な顔をして、俺の皿に乗っているクリームの山を見ている。

 胸の中が感謝の気持ちでじんわりぬくもる。と同時に、なんだか意外な一面を見た気がして、ちょっぴり愉快な気分になった。

「俺、勇者の弱点、掴んじゃったかも」

 そう言ってにやりと笑ってみせたら、ルークは困ったような、怯んだような苦笑を浮かべた。



 神殿での仕事は二回休んでしまったけれど、今日から復帰することにした。

 ルークは「もう一日休んだらどうか」と言ってくれたけど、俺はもう本当に体調が戻っていたし、家でじっとしているのも退屈だった。

 それに、浄化の仕事は一人で行うのは意外と大変で、俺が休んだら、今日出勤のもう一人の浄化師が、残業して頑張るはめになるかもしれない。


 というわけで、俺が出勤しようとすると、ルークが「送っていく」と言い出した。

「え、いいよ。俺一人で行けるし」

 断ったのだけど、一緒に行くと言って譲らない。

 今日はルークも騎士団での仕事があるとのことだったので、途中の道まで一緒に歩くことにした。

 騎士姿のルークは容姿が良くて、何気にすれ違う人々からの視線を浴びる。髪がもさもさしていても、男前のオーラが全身から滲み出してしまうのだろう。

 だけど本人は、そんなことにはまるで無頓着なのだ。 

「アヤト、水溜りがある」

「アヤト、段差だ」

「アヤト、障害物が」

 いちいちサポートしてくれる。はっきり言って過保護である。以前より過保護度が増したような気がする。肩を抱かれたり腰を引いたりされなくても、俺はちゃんと歩けるというのに。

 お互いの職場への分岐点を過ぎても、俺と一緒に来ようとするので、

「もういいってば! ついてくるな! 仕事に行けよ!」

 若干罵倒気味に追い払ってしまった。

「……分かった。またあとで」

 ルークは引き下がりつつ、憂えるように俺を見る。

 ルークは心配しすぎなのだ。俺はちゃんと仕事に行けるし、ちゃんと部屋に帰ってくるのに。

 仕返しに、俺はルークの傍らに駆け寄り、その前髪を手櫛で七三分けにしてやった。

「じゃあね!」

 ルークはきょとんとしていたけれど、その髪型にすれば、顔の露出度がアップする。

 市民からの熱い視線をいっぱい浴びて、せいぜい困惑すればいい。


 



 


 

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