勇者のお部屋に居候
むぎごはん
第1話 ルークのお部屋に居候
異世界へ飛ばされて来て、はや4年。
俺は今、知り合いの騎士の部屋に居候させてもらっている。
わりと棲み心地の良い部屋である。まあまあ広くて綺麗だし、ベッドは大きめでふかふかだ。近所には小さなお店や散歩に丁度良い道もあり治安も良い。平穏に暮らすことができていて、とてもありがたい。
だがこう見えても、一か月ほど前までは辛かった。
右も左も分からない中、町外れの薄汚れた宿屋で、朝から晩まで働らかされていた。
給金は毎月もらえていたけれど、転移者管理税とかいう税金を引かれるせいでとても安く、残業や休日出勤を強いられるけどその分のお金はもらえなかった。体調を崩しても休むことを許可されないし、少しのミスでもひどく叱責される。
けれど俺は転移者で、頼れる人は誰もいないし、一人で生きていけるような術を持たない。我慢するよりしかたがなかった。
やがて俺は頻繁に身体を壊すようになり、食事が喉を通らなくなり、ああこれは、ちょっとやばいなあと思い始めた頃、顔見知りの騎士が俺の身を引き取るといってくれて今に至る。
その騎士の名前はルークという。
ルークとは、昨年町の中で知り合った。仕事がどうしても嫌で職場を飛び出し、だけど行くあてもなくて、町の隅っこでお腹を空かせて膝を抱えていた時に、ごはんを食べさせてくれた男だ。
ルークは現在神殿騎士団に所属する騎士をしている。
でも、出逢った頃はただの放浪の旅人のような風情だった。騎士団に所属する騎士となったのは、半年ぐらい前のことらしい。
三十手前の今でも独身で、どうやら彼女もいないみたいだ。背が高くて筋肉もあって男らしい、恵まれた身体付きをしているのに、どうして。と思うけれど、どこかモサくてやぼったい見た目をしているのが敗因ではないかと、俺は勝手に分析している。
瞳は翡翠色をしていて綺麗なのに、髪の色は濁ったような汚い茶色だ。おまけに癖があってモサモサしている。顔だって、パーツパーツは悪くないのに、いつも眠そうな表情をしていてなんだか冴えない。前髪が重くて、せっかくの翡翠の瞳を隠しているのももったいない。
俺がこの前それとなく髪形を変えることを提案したら、ようやく気になり出したのか、「今度床屋に行ってこよう」と言っていた。でも未だに行っていない。残念な騎士である。まあ、不潔にしているわけではないから、俺的にはべつに困りはしないのだけど。
それにしても、ルークは変に人が好いところがあって、損をしているなぁと思う。
こんな風に異世界人の俺を住まわせているのもそうだし、人の言葉を真に受けて世話を焼き過ぎるところがある。
俺が「頭が痛くて割れそうだ」と言うと速攻でベッドへ担ぎ込むし、「喉が渇いて死にそうだ」と呟けば、すぐに鍋いっぱいに水を汲んでくる。
一緒に住み始めて1か月ほどが経つけれど、おかげで俺は言葉選びにだいぶ気を使うようになった。
今朝だって、本当は俺が朝食を作る番だったのに、起きることができなくて、
「うぅ、ねむい…….、きのうあまり眠れなかった」
うっかりそんなふうに呟いてしまったら、
「寝ていろ」
起きかけていた身体を太い腕に引き戻されて、むぎゅうとベッドに沈められた。
「今朝は俺が作るから、もっと寝てろ」
そうしてルークは素早くベッドを抜け出して、エプロンを着けてキッチンに立つ。
……人が好すぎる。
あれでは悪い人に騙されないか心配だ。よくもまあ、今まで無事に生きて来られたものだと思う。いやもしかしたら、本人が気付いていないだけで、騙されていたりするかもしれない。
俺がのそのそと起き出して食卓に辿り着くころには、焼き立てパンの上にとろとろのスクランブルエッグの乗った、美味しそうな朝食が出来上がっていた。カップに入ったスープからは、いい匂いの湯気がゆらゆらとあがっている。
起きてきた俺に気が付くと、ルークはすぐに近付いてきて、
「寝不足は大丈夫か」
両肩を捕まえ、顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だよ。ちょっとぐらい寝不足でも俺は平気だよ」
心配げな騎士の身体を押し返しつつ、俺は胸を張って答えておいた。ルークはかなりの心配性でもある。
たしかに、一か月前までの俺の体調は最悪だった。眠れない、食べれない、身体が怠いの三拍子で、よく熱も出していた。けれどこの部屋に来てからは元気だ。体重も少しは増えたと思う。
「アヤトの大丈夫は心配だ」
ルークはそう言って眉根を寄せつつ、椅子を引いて俺が腰掛けやすいようにしてくれる。ちょっとお節介なところもある。
ルークの作ってくれる食事はとても美味しい。
独居生活が長いだけあり、ルークは料理の腕が良い。レパートリーもいろいろあってちっとも飽きない。
それに比べると、俺の作る料理はいまいちである。でも作ってもらってばかりでは悪いので、交代制にしている。
掃除や洗濯も分担している。最初はルークが全部やってくれていたけど、家賃も食費も払わなくて良いと言ってくれているから、それくらいはやらないと申し訳ない。
朝食を食べ終えるとすぐに、ルークは仕事へと出掛けて行った。
騎士の仕事は大変だ。街の警備や揉め事の処理、通行の管理や、神殿を護る仕事もしているらしい。
俺の方はというと、だいぶ気楽だ。定職に就いていないからだ。
バイトをちょこちょこし始めているが、なかなか安定した良い仕事というのは見つからない。
体力仕事や汚れ仕事は探せばあるが、俺はどちらかというとあまり体力がなくて、こちらの世界の屈強男たちと対等に働くというのはちょっと難しい。
それに、異世界に来てから、言葉はほとんど不自由しないが、読み書きはかなり困難になった。こちらの世界の文字や文法は、俺が知っているのと違う。一生懸命勉強して一通り読めるようにはなったけれど、難しい文章となると自信がない。だから仕事を探すのにもいろいろ制限がある。
午前中に犬の散歩代行のバイトを終わらせると、今日の俺はもう仕事終了である。
良い求人が出ていないかと街の掲示板を見て回ったけれど、めぼしいものは何もなかった。
あまり暇だと嫌になるので、読み書きの勉強も兼ねて書店へ赴く。
住宅街に紛れるようにして建つ小さな書店は、最近見つけてよく通うようになった。珍しくて面白そうな書物がたくさん置いてある。
俺はそこで安くて読みやすそうな本を一冊買って、ルークと暮らす部屋へと戻った。
ちなみに、ルークの住んでいる部屋の建物は、頑丈そうな古い石造りのアパートだ。各階に一家族が暮らせるようになっていて、3階部分がルークの住居だ。部屋数は3つほどだが日当たりが良く、なかなか良い物件だと思う。
本日購入した本は、強い魔力と鋭い剣技で魔物達を退治する、勇者ルーカスの冒険譚だ。
これはちょっと有名なお話しで、過去の事実を基に書かれているものだ。他にもいくつか、子ども向けの読み物になっているのを見たことがある。
幼い頃から魔物と闘う宿命を負い、並外れた能力と勇気で、17歳にして見事魔物を打倒した。勇者は格好良い英雄だ。簡単な話は知っていたけど、物語としてちゃんと読むのは初めてだった。
途中で洗濯物の片づけをして夕飯を作り、また続きを夢中で読んでいたら、ルークが仕事から帰ってきた。
夕飯は燻製肉と野菜の炒めものにした。ベーグルを温め直してバターを乗せるのも忘れない。飲み物の準備はルークがしてくれた。どれもがつがつ食べてくれて良かった。味はまあまあ良かったようだ。
「俺ね、今日凄くおもしろい本を見つけたよ。美貌の勇者ルーカスの冒険譚で」
夕飯後のテーブルで、お茶を飲みながら我慢できずに、読んでいた本の話をしたら、
「ブホッ、グホッ、ゴホッ」
突然ルークがお茶を吹いた。
「……大丈夫?」
ルークは若いけれど、たまに抜けているところがあるから、年寄りみたいに咽やすいのかもしれない。
「だ、大丈夫だ」
「それでその勇者ルーカスなんだけど、すごく格好良くてさ」
俺が話の続きをするのを、ルークは口元を拭きつつ、うんうん頷いて聞いてくれる。
「十年ぐらい前にあった実話をもとに書かれてるんだ。ルークは知ってる? この話」
「ん、ううむ……。知っているかもしれないが」
ルークはそう言って、大きな右手で口元を隠すようにして、難しげな表情で視線を逸らした。「あまりよくは覚えていない」と言う。
こんなすごい勇者の活躍を覚えていないなんて、なんてもったいないんだろう。俺なら新聞記事とかいっぱい集めて、スクラップにして何度でも読み返してしまいそうだ。
というか、十年前に17歳ならば、今でもどこかで生きているんじゃないのかな。どこかにいるのなら、一度でいいから姿だけでも拝んでみたい。
「そういえば、ルークの名前も『ルーカス』だったよね」
ふと思い付いて口にしてみた。たしかルークというのは略称で、本当の名前はルーカスだったと記憶している。
俺の指摘に対してルークは、「まぁ」とかなんとか、曖昧な反応を寄越しただけだ。
だけど、勇者ルーカスとルークとでは、比べようもないほど違う。
なにしろ勇者ルーカスは、神の落とし子のように整った美しい顔立ちをしており、煌めくような銀色の髪を持っているのだ。そして何より、ルーカスは勇敢な反面、悪人や弱者は容赦なく切り捨てる、冷徹な心を持っている。
ルークだったら、逆に悪い人に騙されそうだし、仲間を庇ったり心配したりするうちに、モブキャラみたいに死んじゃいそうだ。
だけど、ルークが人の好い、穏やかな性格だったからこそ、俺はこんなふうに助けて貰えているわけで。
「ルークが勇者ルーカスじゃなくてホントに良かった」
思わずそう言って笑ったら、ルークは少し驚いたように翡翠色の瞳を俺に向けた。
宿屋にいた時、一度本当に仕事が嫌で、職場を逃げ出したことがある。
だけど行くあてがあるはずもなく、町を彷徨うしかなくて、そのうち日が暮れて来て、おなかも空いて、俺は物陰に隠れて震えて泣いていた。
その時、たまたま通りかかって声を掛けてくれたのが、馬に跨ったルークだった。
ルークは俺にごはんをと飲み物をくれて、黙って話しを聞いてくれた。俺が職場へ戻ること決めると、職場まで送り届けてくれて、俺が叱られることのないように宿長に話しをしてくれた。
それからも、月に一度ぐらいふらりと宿屋に来てくれて、声を掛けてくれることがあった。
そして何より、ひと月前に俺のことをあの宿屋から引き抜いてくれて、こうして養ってくれている。
ルークに助けてもらえなかったら、今頃俺はこんなに元気に生きてはいない。
そのことを伝えると、ルークは少し困ったように俯いて首を振る。そうして席を立つと、
「今日は俺が皿を洗うから、アヤトは続きを読んでいろ」
と言う。
「え、お皿は俺が洗うから、ルークの方こそ休んでいてよ!」
俺も急いで立ち上がってお皿を運んだ。
しばらくの間、お皿洗いをめぐっての、「いいから」「いいってば!」の押し問答となり、結局二人して一緒にお皿を洗った。
そう言えば、物語の中の勇者ルーカスも、翠の瞳をしていたらしい。
もしかしたら、隣にいるルークのように、真っ直ぐに澄んだ美しい、翡翠のような瞳だったのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます