第2話  宿屋で働いていた頃の話

 

 この世界にやってきてからの4年間、俺は田舎町の宿屋で下働きをしていた。

 掃除や洗い物、厨房の手伝いなどが主な仕事だった。

 宿長はとにかく人使いの荒い人で、俺は朝から晩までこき使われて、休憩を取る間もないほどだった。それに、この世界に来た当初俺はまだ17歳で、洗い物とか野菜の皮むきとかあまりしたことがなくて、慣れるまでが大変だった。

 知らない世界でのそんな生活だったので、俺は体調を崩したり、怪我をすることがたびたびあった。毎日毎日がへとへとで、その日その日をやり過ごすだけでやっとだった。


 この世界では、転移者に対する評価は低い。

 移転者は、低能で倫理観の薄い人間だと思われがちで、転移者だと知れた途端に白い目で見られたり、軽んじられたりすることが多かった。どうやら過去に、素行の悪い転移者がいて、その印象が今も根付いているらしいのだがよくは知らない。

 逃げ出したいと思うことはたびたびで、一度だけ、本当に職場から逃げ出してしまったこともあった。

 けれど実際問題、俺はこの世界では半人前で、一人で生きてゆくことは難しい。辛いけれど我慢して、ここで働いているほうが賢明だ。ここにいれば、最低限の寝床と食事は確保されるし、少ないけれどお給金も貰える。出てゆくのなら、一人で生活できるだけの知識と経験とお金を貯めて、色々準備してからのほうがいい。


 この世界の仕組みは、俺の知っている世界のものとは少し違っている。

 この世界には「魔力」というものが存在するのだ。

 魔力は、普段はほとんど必要ないし、なくても全然困らない。だけど、魔道具を動かす時には必要となる。

 人は誰でも、身体の中に多少の魔力を持っていて、それで魔道具を起動させることができるらしい。

 だけど俺は、持っている魔力の量が少なくて、使える魔道具は限られていた。一応使えたとしても、知らないうちに体力をかなり消耗している。

 読み書きが困難なこともそうだし、この世界では、俺は少々生きにくい。


 転移者は、国が管轄する『転移者管理課』というところに登録され、管理されているらしい。

 そしてたぶん、常にどこかから見張られている。住む場所や職業は指定されていて、自分で自由に選ぶことはできない。

 ただし、2年間の義務労働を終了すれば、市民権を与えられる。市民権があれば、仕事も住所も自由に選べるし、変な税金を引かれなくなるから給金も上がる。

 是非とも市民権を与えられたい。

 そして、カビの生えない日の当たる部屋に住みたいし、もっとホワイトな職場に転職したい。


 ただ、残念なことに、俺は早いうちから宿長に、「おまえには市民権をやれない」と言われていた。理由は、よく休むから。

 市民権を得るには、「義務労働終了書」に職場の長のサインが必要だ。サインがないということは、その転移者がちゃんと真面目に働かなかったということになり、そうなると、また2年間、義務労働のやり直しとなる。

 体調を崩してのやむを得ない休みであっても、宿長には怠慢だと捉えられた。怪我をしていても、熱があっても、出てきて仕事をしろと言われる。身体が辛くて手を止めていると叱責が飛んでくる。給金を減らされたりもする。

(俺はもしかしたら、一生ここから抜け出せないのかもしれない。)

 そんな風に思い始めていた4年目のある日、『身請け』の話を聞かされた。


「おまえはルーカスという男に身受けされることになった」

 仕事中にいきなり宿長に廊下の隅へ呼び出され、何事だろうと思ったら、そう言い放たれたのだ。

 身請け、……と言ったら、娼婦とか女郎がお金持ちにされるやつだ。金でその後の人生を買われる的な? ていうか、身請けなんていう言葉、リアルに聞くのは初めてだけど、もしかしてこの世界では「身請け」が普通に行われるのか? 俺は男なんだけど。 

「……あの、身請け、というのは」

「来週には迎えに来るそうだから、準備しておけ」

 それ以上は質問できるような雰囲気ではなかった。

 宿長はかなり機嫌が悪い様子で、立ち尽くす俺を残してさっさとどこかへ行ってしまった。


 仕方なく、疑問と不安を抱えたまま仕事に戻る。

 ルーカスって誰だろう。

 そんな名前の人は周りにいない。

 身請けってことは、俺は「そういう相手」として売られていくのか? 

 この世界では男同士の恋愛が結構成り立つ。同性同士の結婚もわりと当たり前にあったりする。

 しかし、俺にとっての恋愛対象は男ではない。男とそういうコトをするだなんて、想像もできない。

 いつの間に目を付けられていたのだろう? 相手はどんな人なのだろう。俺に拒否権は無いのだろうか。この先俺はどうなるのだろう……。

 考え出すと不安ばかりだ。




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