第3話 仮の専属の話
というわけで、いつにも増して食欲を失くしていた俺だったけど、その日の夕方に顔を出した人物によって、「ルーカス」の正体が明らかになった。
その男は、たまにこの職場(宿屋)へやって来る人で、俺はいつも心の中で、「傭兵さん」とか「もさもさのおっさん」と呼んでいた。
爽やかさの欠片もないモサい髪型に、ヨレヨレのくすんだ古いマントを羽織って、いつも表情は眠たげで、たぶん三十代の後半ぐらいの歳じゃないかな。
一年ほど前からたまに宿屋にやって来て、俺に声を掛けていく。
眠たげな、でもどことなく難しげな表情で、「元気か」とか「困ってないか」など、短い言葉を掛けてくる。俺はそのたびに、「はい」とか、「まあなんとか」など、当たり障りのない返事を返した。
どこまで気を許したらいいのか、距離の測りにくい相手なのだ。何を考えているのか分かりにくいし、親しみやすい感じでもない。
だけど、俺が困っていた時に助けてくれた人である。一応恩人なのだ。
出会ったときは流浪の旅人のような雰囲気だったけれど、半年ほど前からは、騎士団所属の騎士をしている。
忙しいのか、宿屋へ来ても長居はしない。掛けられる言葉はいつも同じで、難しげな表情を崩そうとはせず、宿屋の食堂の隅でお茶を飲んだら去ってゆく。
だけど、その日はいつもとちょっと違った。
「3日後に迎えに行く」
珍しく午前中にやって来て、俺を食堂へ呼び出すから何だろうと思ったら唐突にそう言う。他の客が誰もいない時間帯で良かった。
「え?」
俺が聞き返すと、
「聞いていないのか?」
もさもさの前髪の向こうで、どうやらおっさんの眉根が寄せられたようだった。
「?」
俺がきょとんとしていると、おっさんは難しげな表情をさらに難しげにしかめ、口元に手をやり少し咳払いをした。
「おまえを引き取ることにした」
……引き取る?
俺を?
それでようやく、俺は気付いた。
この男の名前が「ルーカス」なのだ。
ルーカスは、「今回のために根回しをした。ちゃんとした手続きを踏んできた。後ろ暗いところは何もないから、安心してうちに来てほしい」というような説明をぼそぼそとした。あまりよく分からない説明だった。
だけどとにかく、俺はこの男に引き取られることになったらしい。
ルーカスが迎えに来るという日の朝、転移者管理課の人が下宿先の部屋に来た。後ろに宿長も一緒に来ていた。
管理課の人は、真っ白い紙に難しい文章が書かれたものを俺に見せて説明してくる。
「おまえは騎士ルーカスの専属相手に選ばれたのだ」
専属相手、というのは「バディ」のことを言うらしい。互いに協力し合い、助け合って生きる相手。より有益に、より効率よく仕事を遂行するために、タッグを組む相手。
魔力値の高い騎士には、普通は同じくらいの魔力を持つ治癒師などが選ばれる。魔力波長の似た者同士が選ばれやすい。
その「専属相手」に、俺が選ばれたのだと。
いつだったか誰かが、「専属相手は人生の伴侶のようなもの」だと言っているのを聞いたことがある。
「番い」という言葉で言い換えられることもある。唯一無二の大切な人。或いは、大切な家族のようなもの。
良い専属相手に巡り合えたら、その後の人生は間違いなく素晴らしいものになる。
俺はルーカスの「専属相手」になれるのか。「家族」になるということか。
この4年間ずっと孤独だった俺にとっては、「家族」という言葉は、とても眩しく、とても尊いものだった。
「ただし、(仮)である」
管理課の男は事務的な口調でそう言った。
「……仮?」
よく見ると、文書の「専属」という文字の前には、見慣れない「仮」という単語がついている。
「つまりおまえは、この騎士に正式な専属相手が来るまでの、一時しのぎに選ばれたんだよ。要は使い捨てってことだな。身分や能力の低い人間がよくやらされる役割だ。だが安心しろ。捨てられたらまたうちで雇ってやるからな。いつでも戻ってこいよ。ちゃんと使ってやるからな」
文書を覗き込んできた宿長が、恩着せがましく言ってくる。
俺は息を詰めたまま立ち尽くし、白い書面にある「仮」という文字をじっと見つめた。
仮。一時しのぎ。使い捨て――……。
……それでもいい。
仮でも使い捨てでもなんでもいいから。
「分りました」
一歩前に踏み出したいんだ。
先の見えない同じ場所にずっととどまっているよりは、勇気をもって進みたい。物語の中の勇者のように。
俺は頷いて、文書を受け取ったのだった。
ルーカスは、自分のことを「ルーク」と名乗った。
「俺はルークだ。ルークと呼べ」
芒洋とした眠たげな顔をしている。だけどたまに難しそうな表情をする。
何を考えているのかよく分からない、取っ付きにくくて親しみづらい雰囲気がある。
精悍で男らしい大柄な体格をしているぶん、黙っていられると威圧感のようなものを感じる。
恩人だから感謝してはいるけれど、はっきり言って苦手なタイプだ。
けれど、一緒に馬車旅をしてみて分かった。
この男は、思っていたよりもまともだし、思ったよりもずっと優しい。
食欲のない俺に、消化の良い物をいろいろと用意してくれる。移動中に俺が吐き気をもよおすと、馬を止めて、俺が楽になるまで休憩してくれる。
道中では、俺の分の水筒や、肩掛けや、新しいブーツを買ってくれた。俺がお金を払おうとしても頑なに受け取ろうとはせず、「これくらい気にするな」という。それでも俺が払おうとすると、子どものお菓子代ぐらいの額をやっと懐に納めてくれた。
俺が働いていた町からルークの暮らしている街までは、だいぶ距離があるらしく、移動初日は空き地に止めた馬車の荷台で夜を過ごした。
この世界は、日が昇るあいだはわりと温暖ですごし易いが、夜になると急速に気温が下がる。
寒くて身体が震えてしまう俺に、ルークは自分の上着と毛布を貸してくれた。それでも俺の震えが止まらないのを見ると、ありったけの服を俺の毛布の上に敷き詰め、それから困ったように傍らに寄り添う。自分の体温で温めようとしてくれているのかもしれなかった。
俺はもともと冷え性な性質で、しかも慣れない馬車旅で疲れが溜まっていたのと、体調があまり良くなかったこともあり、体温調節機能はがたがただった。
だけど、こんなふうに温められれば、さすがに震えも治まってくる。
狭い場所で寄り添っているせいか、男の体臭や汗の匂いをわずかに感じた。だけど嫌な匂いだとは思わなかった。どこか懐かしいような、ほっとする匂いだ。
真っ暗な夜の、狭い荷台の静寂の中。
どこかの遠い場所からは、夜の鳥の啼く声がする。
俺は息をひそめるようにして、微かな匂いとぬくもりと、2人分の密かな呼吸に耳を澄ませた。
「どうして泣くんだ」
唐突に、寄り添うように傍らにいたルークに問われた。
俺はばれていないつもりでいたので、慌てて袖口で顔を拭った。
夜になると、たまに勝手に涙が出てくる。別に理由があるわけじゃない。放って置くと零れてくるから、いつもは諦めて放置している。
「……どうもしません。これは癖です」
「癖?」
「……」
癖、という意外にどう説明すればいいのか分からない。
「そうか……」
押し黙る俺の髪に、大きな手のひらが遠慮がちに触れてきた。ぽむぽむぽむ、と撫でられる。と思ったら、逞しい両腕が伸びて来て、毛布ごと抱き寄せられた。分厚い胸の中にぎゅうっと抱え込まれた。
俺はかなり驚いた。けれど取り敢えずじっとしていた。
相手がこの涙をどう解釈したかは知らない。だけど少なくとも、侮蔑や邪心のようなものは感じなかった。
密着しているけど嫌な気持ちにはならない。腕の力が心地が良くて、ほっとするような安心感がある。
ルークの胸の筋肉は、張りがあって少し固い。もしかしたら、俺が想像するよりも、この人はずっと若いのかもしれない。
俺はルークのことを何も知らない。
あまり詳しく聞かされないし、個人的なことは聞きにくい雰囲気がある。だけど、専属としてこんなふうに近くにいれば、やがて少しは分かるのだろうか。たとえ(仮)の関係だとしても。
力強い心臓の音と規則正しい呼吸のリズム。相手の身体に身を預けていると、いつの間にか涙は乾いた。
男は口数が少ないけれど、身体はとても温かく、腕や手のひらは心地良い。
じわりじわりと眠りの予感がおとずれてくる。
ルークは翌日の夜からは、宿に泊まることに決めたようだった。たぶん、俺の体力がもたないと判断したのだろう。
泊まるのは、俺が働いていたような安宿じゃなくて、清潔な広い部屋のある立派な宿だ。
ベッドは二つあったけれど、夜中になるとやっぱり俺がガタガタ震えて眠れない。
そんな時、ルークは俺の傍らに来て。毛布ごと俺を抱きしめる。胸の中で俺を温めながら眠るのだ。
俺は、しばらくは緊張で身体が強張る。けれど、いつのまにか手足の隅々まで温かくなって、気が付くとすやすや眠ってしまう。
あの数日間の馬車旅以来、ルークは俺の身体が冷えることを、過剰に心配してくれる。
食べ物や飲み物も冷えに効くものを勧めてくれるし、もこもこの靴下とか生地の厚い夜着とかを買ってくれる。そして俺の身体が凍える夜は、自分の身体で包み込んで温めようとしてくれる。まるで親鳥のようだと思う。
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